求めている意味や答えは、わかりやすいものではないかもしれない。
こんばんは。
あなたは、
「生きる意味って何なの?」
「どうすれば幸せになれるの?」
などと質問されたら
何と答えますか?
逆に、
自分が誰かにそう質問したとして
何という答えが返ってきたら納得しますか?
もしくは、
自問自答を繰り返して
自分なりに答えが出せますか?
私はその答えを自分なりに掴みたくて考えを巡らせることが多いですし、
誰かに対して何かを伝えたいときも
「できるだけ適切な言葉は何なんだろう」と頭を悩ませます。
でも、そうなったときに思い出すと
無駄な力が抜ける本の一部分があるんです。
「生きる意味や幸せの答えを的確に言語化して伝えるということは難しいけれど、伝えようとする中で伝わっていく。」
というものです。
何の本かもどんな書き方だったかも覚えていないし、
当時私が読んで脳内で噛み砕いて記憶に残っているものを文章にしたものですが…。
「伝えようとする中で伝わっていく。」
思い出すたびにハッとします。
「これだ!という答えを掲げられなくてもいいんだ。
掲げられなくて当然なんだ。」
と気づきます。
人間てすぐ忘れますよね。
生きるのがつらかったり追い詰められたりしていると、
「生きる意味って何なんだ」とか
「どうすれば幸せになれるんだ」とか
思考が狭窄してくるじゃないですか。
そして納得できる答えが見つからず苦しい。
疲れる。
(まさに、「幸福とは、幸福を問題にしない時を言う。」by芥川龍之介 ですよね。)
自分の気持ちを表現したかったり
誰かの救いになるようなことを言いたかったりしても、
なかなか上手くいかなくてもどかしくなったりもするじゃないですか。
でもそんなときに、
「生きる意味や幸せの答えを的確に言語化して伝えるということは難しいけれど、伝えようとする中で伝わっていく。」
ということを思い出すと
意味や答えが見つからないことによる焦りやイライラが
多少ゆるみませんか?
自分のつらい状況を上手く言い表せられなくても、
その言い表せないという状態や
言い表そうとして絞り出している言葉たち
によって、
自分の状態は伝えられる。
わかる人はわかってくれる。
生きる意味は何なのか、
どうすれば幸せになれるか、
というのも
議論していくなかで、探し求めるなかで、
見つかったり気づいたりしていく。
何かを伝えたいとき、
上手く伝えられなくても
「必死に伝えようとする姿勢」から伝わるものがある。
だから、
「明確な意味や答えを見出したり伝えたりすることはほぼ不可能だ」
ということを頭に入れておけば
行き詰まっていたものが解放されるかもしれないですよね。
余裕がないとその曖昧でぼんやりとしたものが許せなくなってしまうんですけどね。
「探していくことや伝えようとすること自体が答え」
なんですよね。
(画像は、最近の私の主食。卵と納豆と米。卵白と納豆の組み合わせは栄養の吸収が妨げられるから良くないらしいんだけど美味しいんだよね。)