#1 中学と、詩と、自分の感受性
オシダナ(推し棚)は、小布施町民の方々、テラソ利用者の方々の推しの本たちをご紹介していくコーナーです。不定期更新。
小布施在住2年目にしてイノベーションHUBの事務局長を務める日髙さん。
太陽のよく似合う笑顔が印象的。日髙さんをつくった一冊は…?
日髙:茨木のり子さんの「おんなのことば」です。
本というより、挿入されている「自分の感受性くらい」という詩をどうしても手元に置きたくて、古本屋で探して買いました。
『おんなのことば』著.茨木のり子
志賀:なんと!私もその詩大好きです!(興奮)
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
(中略)
自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
ってやつですよね。出会いのきっかけは?
日髙:そうそう、それです!
実は、僕の中学時代の国語の先生の授業が少しユニークな方で。毎回、授業前にオススメの詩をプリントして配り、全員で音読してから始める人だったんです。その時に配られたうちの一枚でした。当然当時はそんなに響かず、この授業エモいなと思っていた程度だったんですが(笑)
志賀:その先生すごい。中学時代にエモいな、で終わるのはわかる気がします。それがいつから日髙さんにとって大切なものに?
日髙:社会人1、2年目頃です。色々と思うように事が運ばなかったりと鬱々としていた時期でした。大学時代の全てを自分の意思で楽しみ、充実していた頃に比べ、社会人のはじめは会社から働かされているような気分でした。勿論、学びや感謝や面白さを感じることもあるのですが、学生の時に仲間達と感じていたような熱中や歓びがない。
こんなはずじゃなかったのになと、被害者めいた気持ちだった頃、たまたま部屋の整理をしていて、中学時代のプリントを見つけたんです。
志賀:中学時代のプリントまで、きちんと保管されているところに日髙さんみを感じます(笑)
日髙:そうかもしれないです(笑)懐かしくてパラパラとめくっていたらその中にこの詩があって。つい手が止まりました。
凄くグサッと、ハッとしたんです。なんで自分は今のつまらなさを人や会社のせいにしていたんだろう。なんで自分の感受性くらい自分で守れなかった、守ろうとしなかったんだろうって。
自分だけがこの憂鬱な状態から自分を抜け出させることができ、決して誰かのせいにするものではないと、気付かされたんです。
志賀:なるほど…。詩って言葉数は少ないのに、時に物凄く心に刻みつけられますよね。芯を喰った言葉しかないというか。重いというか。
日髙:そうそう。実は僕、普段あまり本を読まないんです。本読むのそんなに得意ではなくて。だからといって詩をたくさん読むわけでもないんですけど、詩だと本と違ってひとつひとつ物語が完結していく感じが好きなんです。開いたページだけを読んだっていい。頑張らなくてもすぐ手元にあって、ひとつをじっくり味わえる感じがいいなと思います。
志賀:確かに。気負わずじっくり味わう、いいですね。心に響いた茨木さんの詩、今、改めて読むと何を感じますか?
日髙:今日、久しぶりにちょっと読んでみたのですが、心を鷲掴みにされるというよりも少し手前で受け取っている感じでした。ぐわし!と来ないというか。もしかしたら心に薄膜があるのかも。
今の自分には、この言葉の鋭さを受け取り切れる余白が足りないのかもしれません。そういう意味でこの詩は自分の状態のパラメーターにもなりますね。僕は今きっと、少し素直になりきれない時期(笑)
志賀:そっか、今だと鋭すぎるのかな。全身で言葉を受け取れてしまうと、感受性を守りきれない自分がいた時にもっと苦しくなってしまったりとか…あるかもしれないですね…。次はどんな時にまた手に取りたいですか?
日髙:うーん、すっかりこの本のことなんて忘れた頃に、また目の前にあって欲しいです。読もうとするというより、ふと見つけてしまった時にまた手が吸い寄せられればと思います。次は自分が一体何を感じるのか… 楽しみ?です(笑)
志賀:ふふ。それは楽しみ!
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日髙さん、ありがとうございました!
茨木さんの詩は本当にハッとさせられるものが多いです。
是非皆さんもお手に取って読んでみてください。