「海をあげる」上間陽子
まさに今読み終わった。
静かな嵐というのか?
体中を余韻が吹き荒れている。
まずは読むきっかけとなった、大好きな漫才コンビ”ラランド”にお礼を言いたい。
ちょっと下品だけど面白いYoutubeチャンネル、いつも楽しみに見させてもらっている。
基本下ネタだらけなのだが、たまにこういういい作品を紹介してくれる。
土曜日に読み始めて、最初の1篇から心を奪われた。
で、ずっと心に残っていたのか日曜日の朝だというのに朝5時に目が覚めてしまい、最後まで読み進めてしまった。
止まることなく。
本作はノンフィクション。
以前の記事で書いたが最近はフィクションよりも現実に近いもの、エッセイやノンフィクション、コラムを読むほうが好きになっている。
その3つの違いはよく分からないのだが。
沖縄を舞台に、作者が調査で出会った出来事や、子供との日常などを綴っている。
そこに出てくるのは、沖縄の戦争のこと、基地・軍隊と生きること、繰り返される性暴力のこと、貧困とそれによって搾取される弱者のこと、そして権力による理不尽のこと。
沖縄観光パンフレットには描かれない、でもそこにあるもの。
スティッチというディズニーアニメ、ちゃんと見たことはないがハワイが舞台、ということは知っていた。
ある時、朝早く起きるとテレビでスティッチのアニメを放送していた。
横目で見ているとどうやら沖縄が舞台の新シリーズだった。
ハワイと沖縄ってそういえば似てるなと、秀逸な舞台設定だなとその時は思った。
ハワイでのオハナ(いとこ)って言葉、一度でも会ったらいとこののように仲良く出来るって感覚、沖縄の”いちゃりばちょーでぃ”、一度あったら兄弟って言葉と一緒だなって思った。
そんな風に思いながらも、住んでいた時の記憶を思い起こすと何か違う、とも思った。
その違和感の正体が、この本を読んでわかった気がする。
そもそも沖縄に住んでいた一年でも、ただのリゾート地とはなにか違うという感じは抱いていた。
それは”和”の雰囲気があるからかなぁと漠然と思っていたのだが。。
本作を読んで、違ったと気づいた。
ここに描かれている沖縄の課題が、実際に住んで生活し、沖縄の人と日常的な会話をしていると、単なるリゾート地では無い”なにか”を感じさせていたんだろうと今になって思う。
それでもそれ以上のことを気づけなかった、感じれなかった、どこか対岸の火事だと思っていた。
それを少し恥じた。
1年の駐在出張の時、車が無くて困ったのを覚えている。
モノレールでは行けるところは限られていたから。
そういう時やさしい沖縄の人たち、自分の部下である契約社員の子たちが、車でいろいろなところに連れて行ってくれた。
ある時、10歳以上も年の離れた契約社員の女の子に、家まで送ってもらっている車中で、こんな会話をしたのを覚えている。
「沖縄の人って沖縄で完結するよね?本土が、つまり日本という国がなくなっても困らないんじゃない?笑」
「そうかもですね。あまり気にしないかも」
「いいとこだもんね~」
あれは沖縄の人が日本に期待していない、見限っているってことだったのかもしれない。
そうじゃない、とあの子が言えなかったのは、ナイチャーである俺にもなんら理解を期待していなかったからかもしれない。
こんな自分でも、海をもらえるんだろうか?