トラウマについて~その①:原因となる出来事
前稿で、トラウマとは『時間が経っても消えない心の傷(出来事の影響)によって、辛い記憶に苦しんだり、振り回されること(症状)が続いた状態』と、私なりに定義してみました。
今回の記事では、どのようなことがトラウマとなるのか、どのようなことが私たちの心に傷として残るのか――といった、トラウマの原因について綴っていきたいと思います。
精神医学において、トラウマがどのように位置づけられているかについても触れていきます。
ここからは、原因についてコトバを綴っていきますが、お読みいただいた方によっては辛くなったり、苦しくなる方もいるかもしれません。
トラウマの症状の1つに侵入性回想体験(フラッシュバック)というものがあり、場合によっては原因についての解説文がフラッシュバックのきっかけになる場合があるからです。
具体的なエグイ内容は記載はしていないのですが、人によっては刺激が強いと感じる方もいるかもしれません。
なので、その心配がある方、自信のない方は以降は読み飛ばしていただき、『まとめ』の文面だけを読んでいたければと思います。
トラウマの原因
トラウマの原因となる出来事は、災害や戦争、暴力、性暴力、犯罪被害や事故、虐待やDV被害など、実際に生命や身体が脅かされたり、強い恐怖や無力感を体験するなどの精神的な衝撃を受けたことが主な原因として挙げられます。
こうした被害を目撃することや、家族や親しい友人が受けたこと耳にすることも原因となる場合があります。
これらは、実際に死んでしまう, もしくは死の危険を体験する、または身体的に重傷を負う、性的な暴力を受ける――といった出来事に関連しています。
ポイントとなるのは、実際に自分がそのような目に合っていなくても、その出来事を目撃したり、内容を耳にしただけでもトラウマの症状が出る場合があるということです。
ただし、これら原因となる出来事があっても、誰もがトラウマを発症するわけではありません。
一時的に症状が出ても、時間の経過とともに落ち着いてくるものもあります。
トラウマとPTSD
トラウマと聞くと、PTSDが思い浮かぶ方が多いかもしれません。
しかし、トラウマ=PTSDではありません。
PTSDの診断基準では、その出来事が生命の危機や身体的な重症に直結していたり、性的暴力といった具体的な出来事でなければ原因とは見なされません。
ですが、生命の危機や重症、性的暴力といった出来事でなくてもPTSDの症状が出ることがあります。
PTSDの症状全てが出なくても、症状の一部だけが出ているケースもあり、臨床上はこちらのほうが多い印象です。
例えば、学校や職場での虐めやハラスメントも、その状況がいつまでも続いたり、適切なケアや介入が行われずにいるとPTSDの症状が出る場合があります。
ただし、症状があるだけではPTSDとは診断されません。
PTSDの診断基準を満たすには、診断基準に記載された症状の複数項目を満たしている必要があります。
(症状については、次稿より解説していきたいと思います)
そのうえで、該当する出来事が実際にあって、症状が1か月以上存在していること。
その出来事が発症要因として認められるものであって初めてPTSDの診断がつくことになります。
(因みに、原因となる出来事があって、その症状が出て1か月経っていない場合は、急性ストレス障がい という診断がつくことになります)
つまりは、PTSDの症状が出ることと、PTSDの診断基準を満たすかどうかはまた別の話で、症状があるからと言ってPTSDと診断されるとは限らないということです。
ただ、症状を抱えた当事者の方のことを考えると、それがPTSDかどうかは本質的な問題ではないと思います。
なぜなら、当事者の方は実際に困っていて、ケアや支援を必要としているわけです。
それを「これは診断基準を満たしていないので、PTSDではないですねぇ…」という話だけで済ましてしまうのはズレたことだと思うのです。
大切なのは、それがPTSDかどうかではなく、症状があるならケアや治療の対象にしていくことだと私は思います。
私が、トラウマとは『時間が経っても消えない心の傷(出来事の影響)によって、辛い記憶に苦しんだり、振り回されること(症状)が続いた状態』と定義づけしたくなった理由がここにあります。
「トラウマは誰にでもある。だから大したことはない」とするのではなく、「誰にでもあるものだし、誰の身にも起こりうるものだからこそ、ケアを身近で当たり前なものに」していくことが大事なのだと思います。
トラウマはその人の主観的体験を大事にしたコトバ
子どもの頃に見たTVの内容や、本で読んだ話が、その人の気づかないところで(ネガティブな形で)大きな影響になっていることがあります。
ただ、それがトラウマと呼べるほどのものになるかどうかは、その出来事の後に体験の共有や「それは怖かったよね。怖いのは恥ずかしいことではないよ。怖いのは当たり前だよ」といったケアを受ける機会がなかった場合が多いようです。
『はだしのゲン』という漫画をご存じでしょうか?
戦争の悲惨さを克明に描いたものですが、子どもの頃に『はだしのゲン』を読んだ人みんながトラウマになったかというと、そうではないと思います。
とても衝撃を受け、死の恐怖を身近に感じた人もいれば、全く何も感じない、怖いとは思ったけど、日常的に思い出してしまうほどではなかったり…。
つまりは、原因となる出来事があっても、その体験の仕方には個人差があるということです。
トラウマについて考える時には、原因となる出来事を、その人が(主観的に)どのような体験をしたかが重要となります。
そして、実際に死の恐怖や生命の危機にはあたらない出来事であっても、その後の人生に(ネガティブな形で)影響を与え、辛い記憶や感情に苦しんだり、振り回されたりする出来事はたくさんあります。
ですから、トラウマというコトバは、その人が主観的にどのような体験をしたかを大事にしたコトバだと言えるかもしれません。
精神医学が客観性を重視しているのに対し、トラウマというコトバはその人の主観性も大切にしているところに違いがあるのだと思います。
そう考えていくと、トラウマはPTSDよりも広い現象を含んだコトバと言うことができるかもしれません。
トラウマというコトバが広く一般化し、日常語として用いられるようになったのも頷ける気がします。
精神医学におけるトラウマ
精神医学は医学である以上は科学の一領域でもあるので、その人が主観的にどのような体験をしたかについては取り上げていません。
なぜなら、原因となる出来事を受けた人の主観的な体験までをも考慮しようとしてしまうと、科学的な客観性が維持できなくなってしまうからです。
なので、精神医学ではトラウマという現象を医学として扱うために、原因として『出来事』を中心とした形で診断基準が作られています。
生命の危機や重症に繋がる出来事、性的暴力は個人差を越えたストレス要因は、『こんな出来事があったら、誰だってしんどいし耐えられるものじゃない』ものだからこそ、明確に定義しやすく、客観的に判断しやすいところもあるので診断基準に明記されることになったと思われます。
さらにマニアックな話になるのですが、今の精神医学では診断をつける際に原因を特定しません。
操作的診断基準と呼ばれていて、表に出ている症状のみを中心に診断をつけていく形になっています。
そうしていかないと、科学的な客観性が維持できないので、観察可能な行動や症状を基準に据える必要があったのだと思われます。
しかし、数ある精神科の診断のなかで、PTSD(複雑性PTSDも含む)のみが唯一、診断の際に原因となった出来事を特定、もしくは考慮する項目が含まれています。
これがPTSD(複雑性PTSDも含む)という診断の大きな特徴だと思います。
まとめ
原因となる出来事があっても、誰もがトラウマを発症するわけではない。
トラウマはPTSDよりも広く心の傷について捉えたコトバ。
精神医学の診断基準は、客観的に観察できる行動や症状で判断する形で作られているので、診断の際に原因の特定は行わない。
しかし、PTSD(急性ストレス障がい、複雑性PTSDを含 む)が唯一、原因である出来事についての記載がある。
PTSDの診断基準を満たしていなくても、トラウマの症状が出ることはある。むしろ、臨床上はそういった人のほうが多い。
それがPTSDかどうかではなく、症状があって自分や周りが苦しんでいたり、困っているのなら、ケアや治療、支援の対象とすることが大事。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次稿より、トラウマの症状について綴っていきたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?