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【滝口寺伝承(2)火宅の女①】

後醍醐帝(ごだいごてい)の御時のお話です。

鎌倉幕府が滅び、朝敵足利尊氏を追討した京の都は束の間の平和に酔いしれておりました。

そんな弥生の空の下、都はある武将の噂でもちきりでした。清和源氏の嫡流、源八幡太郎義家の後裔にして、この度左近衛ノ中将に昇進されたー新田義貞(にったよしさだ)のことです。

義貞は、挙兵してわずか半月で鎌倉幕府を打ち滅ぼし、朝廷に反旗を翻した足利尊氏を破って九州へ敗走させるなど、帝からも戦功第一の者とされ、「稀代の名将」と もてはやされる 新しき源氏の棟梁でございました。

特に噂話が仕事の、内裏の女御たちのくちずさみは止まず、坂東からむくつけき者が都に乗り込んできたかと思いきや、これがなかなかの美丈夫(美男)。かの源氏の宝刀「鬼丸」・「鬼切」を携え、颯爽と都を走りぬける様は、武者人形そのものとの評判でございました。

忠顕のたわむれ

そんな時の人、義貞も昨年来から血生臭い戦の連続で疲れておりましたので、昨今はひと時の良い休息となりました。

ただ、都住まいというものになかなか慣れず、連日誘われる公家たちの戦勝祝いの酒宴にいささか辟易しておりました。

特に後醍醐帝はめっぽう酒が強く、「付き合いも ほどほどにしなければ身体がもたないな。」と思いながら御所務めを終えて歩いていると、「左中将殿!ここですぞ。」と簾の陰から声を掛けられます。懇意にしていた公家の千種忠顕(ちぐさただあき)でした。

忠顕が言うには、「あー野暮用がありまして、今宵ある方を連れてお宅に伺いたいがいかがか?」とのことでありました。「お連れの方とはどのような方ですか?」と義貞が尋ねると、「それを言っては面白くないですぞ。ある女性、とだけ言っておきましょう。」と含み笑いし、忠顕は去って行きました。

「ある女性……?」義貞はふと、後醍醐帝に招かれた酒宴の夜のことを思い出しました。その夜も例のごとく 帝らに酔いつぶされ意識朦朧としていた所、白湯と酔い覚ましの薬をそっと持ってきた女官がおりました。義貞はその女官の、都の色香漂う気品とあまりの美しさに、一瞬にして心を奪われてしまいました。

それからというもの、義貞は寝ても覚めてもその女官のことを考えてしまい、ついには 忠顕にその女官の名や身の上を聴くに至ったのです。

「左中将殿(義貞)も隅におけないお方ですな。その女官は一条(藤原)行房殿の妹君で、宮仕えの名を勾当内侍(こうとうのないし)と申す者です。内侍は、後宮で帝の身の廻りのお世話をするお役目の方ですので、あー簡単に申しますと帝の寝所にあまた侍る寵妃のおひとりです。それでいて 都いちのあの美貌ですからな。そういえば琴も和歌も なかなかの腕前でしてな。ですからね、あーそれは帝のご寵愛もめでたきお方ですよ……。」と、忠顕は にやけながら、ひたすら ぺらぺらとしゃべりました。

義貞は忠顕に悟られないよう「はぁ」とため息をつきました。
義貞の胸には「聴かない方が良かった」という後悔の波が押し寄せます。
源氏の出とはいえ、所詮坂東の田舎武者には「高嶺の花」ということか。それに、すでに帝にお仕えの女御の方とあらば なおさら諦めもつこう。あのようなお美しい方と少し話せただけでも僥倖としようか……。 

◇ 

……義貞は想いを払うように頭を二、三振りました。
それにしても 何のたわむれで忠顕殿はあのようなことを申したのであろう。義貞は逡巡しながら高倉の辻にある仮住まいに戻りました。

世良田の桜

住まいに戻った義貞は庶務をしても落ち着かず、夕刻、世話の新兵衛に湯殿の準備をしてもらいました。湯に浸かり、うつらうつらしていると故郷の世良田の館の桜が夢に出てきます。その桜のもとにたたずむ女性…あれは…?

義貞の心には、留まって離れない二人の女性がおりました。ひとりはもちろん先日の内侍、もうひとりは昔、世良田の桜のもとでよく語らった はつ恋の君であります。戦乱に巻き込まれ、今は何処とも知れぬ方ですが、出家して尼になられたと人づてに聴いておりました。

戦に明け暮れた昨今、もはや顔も朧気ながら、先日の内侍の目鼻立ちの美しさ、匂い立つ気品は、瞼の中で はつ恋の君を彷彿とさせ 義貞の心を踊らせました。

「義貞様、忠顕様がご到着されました。」新兵衛から不意に声を掛けられて目を醒ました義貞は、すぐに「お連れの女性の方もか?」矢継ぎ早に、「年のころはどれぐらいの方か?若いのか?それとも老女か?身分の高そうな方か?」と新兵衛に質問を浴びせます。「それはわかりません。なにせ牛車に乗っておられますので。」新兵衛が当惑しているところで我に返り、……牛車に乗ってこられるとはそれなりの身分の方かもしれないと考え、そそくさと身支度をしました。

忠顕を迎えると、「あー離亭(はなれ)でお人払いを。」と言うのでいよいよ義貞の気持ちも高ぶってまいります。帝のこと、公家の愚痴、尊氏の討伐のことなど、また あれやこれや忠顕が言っているようですが、気もそぞろな義貞の耳には何も入ってきません。

なかなか連れの女性の話をしないで ぺらぺらしゃべっている忠顕に、義貞は少し苛立ちはじめました。「忠顕のことだ、なにか私をからかっているのかもしれない。それとも私があの方に あまりに執着していたので、代わりにどなたか公家の娘を連れてきたのだろうか。」などと、とりとめもない憶測が義貞の頭のなかをかけ巡ります。

気が付くと忠顕の姿がみえず、話半分に聴いていたので気を悪くして席を立ったのだろうかと義貞が思っていると、不意に風が吹き、ひらひらと桜の花が入り口の木戸から舞ってきて、足元に落ちました。

ふと顔を上げるとそこに、あの内侍が黛をひそめて立っていました。

夢ではなかろうか、と義貞は呆然としましたが、依然内侍は黙ってつっ立ったままです。

「あ、あの…忠顕殿は?」ふり絞って義貞が声を漏らすと、「帰られました。もうここには戻られません。」内侍はぽつり言いました。「今宵からこちらにお仕えするよう仰せつかりましたゆえ、まかり越しました。」

「…仰せつかる?……どなたにですか?」
義貞はまだ事態が呑み込めません。

「帝の御諚(ごじょう)なれば。」

「帝の……?」

ふたりの間にしばらく気まずい空気が流れます。

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火宅の女②につづく


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