読書レビュー「雪男は向こうからやって来た」角幡唯介
初版 2013年11月 集英社文庫
あらすじ
ヒマラヤ山中に棲むという謎の雪男、その捜索に情熱を燃やす人たちがいる。新聞記者の著者は、退社を機に雪男捜索隊への参加を誘われ、二〇〇八年夏に現地へと向かった。謎の二足歩行動物を遠望したという隊員の話や、かつて撮影された雪男の足跡は何を意味するのか。初めは半信半疑だった著者も次第にその存在に魅了されていく。果たして本当に雪男はいるのか。第31回新田次郎文学賞受賞作。(アマゾン商品紹介より)
これは、大真面目なUMA捜索ドキュメンタリーだ。
昔、子供のころ、ネス湖のネッシー捜索のドキュメンタリー番組を嬉々として見たことを思い出した。どこのテレビ局かは忘れたが、日本のテレビクルーが当時の最先端の装備を配備し、大掛かりな物量作戦でネッシーをテレビカメラに映そうと試みた番組だった。
結果、それらしき生物の撮影には失敗するのだが、不思議と落胆は無かった気がする。
むしろ、成功していたら(やらせ疑惑を抱き)逆にしらけていたかもしれない。
失敗はしても、大の大人が大勢集まり、多くの時間とお金を費やし、子供でも簡単に信じないような未確認生物を真剣に追いかけていた姿が、すがすがしく、かっこよくさえ思えたものだった。
本作もそういう種のものだろう・・・と手に取ったものの。
しかしタイトルの「雪男は向こうからやって来た」が気になる・・。
本当に見つけてしまったのか?こういうののお約束、思わせぶりタイトルか?
騙されてもいいや。いや、おそらくは観念的な何かの比喩だろう。
それならそれでどういう意味なのか?
もうそれを早く確かめたくて確かめたくて、ぐいぐい引き込まれてしまった。
結果についてはさすがに言えない。
本書の最大の楽しみはそのタイトルが何を意味するのかを読み解くことにあるのだから。
なので核心については各々読んで確認してもらいたい。
きっとガッカリはしないはずだ・・・と思う。
そんなわけで、細かい内容は置いておいて、ここで特筆したいのは、著者の一歩引いた視点の面白さだ。
例えばこんな1文がある
—――霞が浦には河童がいると言い張り1ヶ月も張り込みを続けるフランス人7人と、それを冷ややかに見つめる茨城県民。そんな間抜けな構図の中に今、わたしたちはいるのではないか。ふと、虚しい思いが頭をよぎった—――
私はこの部分、夜中にお茶飲みながら読んでいたんだけど、思わず吹き出してしまった。
しかし、ここに笑いだけじゃない何とも言えない人間の悲哀が含まれている気がする。
誰しも半信半疑を抱きながら、非合理なことにからめとられてしまうということが、多かれ少なかれあるのではないだろうか。
ダウラギリ4というヒマラヤでも屈指の秘境に壮大なキャラバンを組んで潜入し、雪崩の巣窟の中、雪男捜索に命を懸ける日本人たちの姿を通して、
ある種の人間の業のようなものをみつめようとする著者の真摯な試みが、なんとも心に響く作品だった。