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「境界」ということ

「境界文士」などという、謎の肩書き(?)で 記事をしたためている。ここでは筆者が主に「境界」という言葉で、何を意味しているか書いておきたい。この言葉は人類学などで言う、「境界人(マージナルマン)」を援用したものである。社会の片隅で生きる者、はみ出し者などとも表現できるだろう。この「境界」なる言葉は、筆者の歩んできた人生を実にうまく象徴しているのだ。

幼い頃、筆者が興味を示したものを一言で表せば、それは非日常であった。本やマンガの世界、手品や忍術、化石や恐竜、昆虫、外国などの異文化、ファンタジー映画、そして「ゲゲゲの鬼太郎」に始まる妖怪や「あの世」。これらはつまり筆者が日常と非日常の境界にいて、常に非日常に引き寄せられていたことを示している。歳を重ねると興味の対象は心理学や哲学、テレビゲームの世界などへと範囲を広げたのだった。

大学で学んだユング心理学に関して書くと、自分は「ものとこころ」の境界を常に意識していた気がする。ユングの心理学はそれこそ、科学と非科学の狭間に位置するようなところがあって、非科学的な要素を孕みつつも何とかアカデミズムに生き残っている不思議な学問だった。

ユング心理学を日本に紹介された河合隼雄先生は、日本と欧米の対比から独自の異文化論を編み出された。そして筆者は、これに最も魅了されたのである。精神科医の中井久夫先生も書いていらっしゃるが、隼雄先生はいつしか「自分にはタイコモチの素質があるな」と自嘲(?)されていたとのこと。タイコモチの正式名称を「幇間(ほうかん)」と言うが、これは「間を助ける」という意味である。人と人を取り持って宴会などを盛り上げる職業(!)を指すが、これも誰かと誰かとの境界にいるからこそ成立する仕事だろう。ともかく筆者は隼雄先生の影響もあり、のちに英語の学習でアメリカに留学することになる。とはいえ一番興味があったのは英語そのものではなく、やはり彼の地の異文化であった。

筆者は小児期より、発達性トラウマ障害ないし複雑性PTSD様の症状を抱えている。だがこういった疾患も近年までは、あまり注目されてこなかった。つまりこの面でも筆者は「健常」と「障害」の境界にいて、両方の世界に通じているようでありながらも、どちらにもうまく馴染めないという境界人ならではの境遇を生きてきたのである。

そういえば大学の心理学科では、「境界例」という難解な概念を学んだこともあった。「精神病と神経症との中間」くらいの概念だが、当時は何のことか見当もつかない。とはいえ実に謎めいた名称であり、何か深い意味がありそうだとは強く感じていた。今ならその意味するところを、少し理解できそうな気はしている。それでもまだ、少し回り道が必要だと思うが。

さてアメリカから帰国した筆者は、大学院で翻訳を学んだ。もともと英語から日本語へ訳す一方通行のトレーニングだし、修了して何年も経った今では英語も随分と忘れてしまった。だが両言語の発想の違いは、少しばかり体得できたと思う。ある現象を言葉で描写するとき、どう筆を起こすかが先ず違うのだ。それは「境界文士」にとって、言語以上の学びであった。

トリックスターという概念についても触れておこう。ユング心理学でもかなり議論されているものだが、筆者は大学では学習しなかった。目下、文化人類学の文脈で独習しているが、曰く「境界の神」を意味する言葉とのこと。非常に重要な概念のようだが、まだ詳しく誰かに説明できるほどの知識を持ち合わせていない状況である。ご容赦ください。

ところで「境界文士」の「文士」は、「作家」と考えていただいて構わない。だが正確には、「リテレート(独習者・在野研究者)」の訳語として用いている。さて、ここで境界人としての、筆者の立ち位置をまとめておく。筆者が生きてきたのは、上記のように日常と非日常、社会と辺境、ものとこころ、科学と非科学、意識と無意識、日本と欧米、「健常」と「障害」、さらに加えるならば善と悪、大人と子ども等々の狭間である。そして、どちら側にもちゃんと馴染めないのが境界人の特徴なのだ。だが筆者は、仮にうまくいけばではあるが、両者の橋渡しができる位置にいるとも言える。馴染めなかった両方の世界を、自分が架け橋となって繋げるかもしれない。境界人にとって、それが理想でなくて何であろう。

果たして、両側をつなぐことができるかどうか。そればかりは分からない。だが文章を書いているうちに、少しでもそういった理想に近づければと夢想している。具体的な行動として一応の形を成しているのは、目下こうした文章ばかりである。だからこそ拙文の幾ばくかが、どなたかの琴線に触れることを願ってやまないのだ。

(最後までお読みいただき、ありがとうございました。)


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