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約40年越し:児童期トラウマの言語化に挑む

前置き

この記事は、特定の誰かを責めるためのものではありません。筆者が辛かった過去を清算し、現在の生きづらさをできる限り緩和するための試みです。そのためにも可能な限り主観を排し、客観的記述に留めます。

また最近、「外傷性神経発達症」(「発達性トラウマ障害」とも同義かと思われます)のHPをシェアしております。ここにも載せておきますので、合わせて御覧ください。


最も辛かった外傷体験の時期(他にも沢山あるのですが…)

具体的には、中学受験に向けての2年間です(小学5・6年)。筆者は第2次ベビーブームのほぼ頂点に生まれており、必然的に同年代との競争が極端に激しかったのです。

この時期のトラウマ:主な4つの要因(と細かい11個の要因)

◎スパルタ塾 
 ◯体罰、脅し、見せしめなど
 ◯大量の宿題  [学友曰く、物理的にこなせない]

◎軍隊式(私立)小学校
 ◯無意味な授業(筆者修得済み内容)による束縛
 ◯無意味な宿題(筆者修得済み内容)による束縛
 ◯通学による長時間浪費(往復2時間半)
       [すでに方向感覚障害があった]
 ◯友人がおらず孤立、イジメにも遭う
       [加害側に回ったこともあり]

◎機能不全の家庭
 ◯進学校入試合格への心理的圧力
                    [両親や、他の大人たちなどから]
  ◯体罰や脅し
 ◯睡眠時間の剥奪

◎身体的症状   
 ◯重度の気管支喘息  
    [呼吸が24時間ままならない。
    「スキー場に行けば死亡する」と医師。]
 ◯全く口に合わない薬を頻繁に飲まされる  
    [医師に繰り返し訴えるも改善されず]

※これらの要因は、ほぼ全て同時進行でした。

考察

①ビッグモーター事件が連想されることについて

上記の環境は、ビッグモーター事件で洗脳の手口として用いられた三条件(「いじめ・パワハラ」「長時間労働」「睡眠不足」)を満たしています。自分で考え、判断する力を衰えさせるという機能があると考えられます。

②本記事作成の筆者自身にとっての意義

簡単なリストですが、このまとめを記すまでに約40年の歳月を費やしているのは特筆すべきことです。知能検査WAIS-IVにおける筆者の言語理解の点数はかなり高かった。にもかかわらず、それだけかかったのです。筆者はこの知能検査結果にバラつきが見られることから、発達障害の診断を受けています。前置きに「外傷性神経発達症」のHPリンクを貼ってありますが、このHPを要約すると「発達障害は必ずしも生まれつきではなく、トラウマからも生じうる」「もともと発達障害の人はトラウマを受けやすいので、トラウマ体験に晒されると更に発達障害傾向が強くなる」となるかと思います。筆者が生まれつき発達障害だったかどうかは確かめにくいですし、あまり大した問題ではありません。今回お示しした状況は誰が経験してもストレスフルだと思われますが、筆者自身がその後遺症を現在まで患っているという事実、そしてその事実を踏まえて筆者がこれからどう生きるかが重要なのです。ようやく過去の状況を冷静に振り返ることができました。なぜ、これだけかかったのでしょうか。

⑤時間がかかった理由
       :傷ついた人格の成長が必要なため

少し専門的になりますが……トラウマ体験は誰にとっても辛いものです。脳や心は、この辛さを遮断して見なかったことにしようとします。記憶の面では「断片化」(精神医学の専門用語)と呼ばれる仕組みが働き、感情や思考、時系列が混乱したままトラウマを封印します。シロウト考えで恐縮ですが、これは「下手に思い出さないため」なのでしょう。これは脳や心の防衛反応ですから、言語化できないのに封印が解かれるのは非常に危険なわけです。トラウマ体験当事者などで体験を語れる人がいますが、それはある程度「乗り越えられた人」「危険から距離を置けた人」でしょう。子供は大人に比べて言葉が未発達で、それは自然なこと。子供時代に理不尽な目に遭っても表現できないし、そのまま強い「断片化」に巻き込まれることもあると考えられます(筆者のケースでしょうか)。言葉というのは対象と距離をとる壁の働きをします。ところが壁が柔らかい(言葉が未発達な)うちに衝撃を受けると、中身(人格)ごとダメージをくらってしまう。中身(人格)が成長し、壁(言葉)でトラウマとの距離を取れるようになって、初めて表現できるようになるのでしょう。ある芸能事務所の問題がありましたが、「なぜ世界で児童虐待が問題視されているのか? 」という問題にもつながってくるかと思います。

⑥言語化できない辛さ

トラウマ体験の辛さをきちんと言語化できない以上、自分でも正確に事態が把握できません。他人にも順序立てて説明できないのです。周囲も事情を適切に認識できない以上、共感や同情のしようがありません。筆者はセラピスト(臨床心理士などの専門家)と出会わなければ、非常に危うかったと思われます。ただし、今になってやっと言語化できただけでも本当に良かったと思います。とはいえ年齢に関係なく、トラウマを言葉にできないまま苦しんでいる人が大半だと考えるべきでしょう。

本記事は以上です。お読みいただき、ありがとうございました!


(追記)
この記事を執筆して以来、筆者自身の「生きづらさ」が少なくとも3割軽減されたように感じております。ただし同様のことで悩んでいらっしゃる方が、私と同じことを独力で試みようとされるのは危険かもしれません。

筆者が医師やカウンセラーなど専門家の助力を得ていること、また自分でも大学で心理学を修めその後も研究し続けていることを改めて付記します。トラウマの破壊力が強ければ強いほど、独力では太刀打ちできないと考えてよいでしょう。

一般的には専門家に相談され、解決を委ねられるのが一番かと思われます。専門家はそのためにいるのです。ケースにもよりますが、「うまく利用する」ぐらいの気持ちで試されることをおすすめいたします。



私の拙い記事をご覧いただき、心より感謝申し上げます。コメントなどもいただけますと幸いです。これからも、さまざまな内容をアウトプットしてゆく所存です。どうぞよろしくお願いいたします。