本屋は動的平衡が保たれている
第1章 本屋のたのしみ (15)
ところが不思議なもので、本が入れ替わっても、その本屋がその本屋であることは変わらないと感じる。
建築や内装、什器などが変わらないという意味ではない。本はどんどん入れ替わっているはずなのに、「この本屋が好きだ」と思った店のことは、来月も再来月も、来年も再来年も好きなままであることが多い。客のほうも自然と、本は入れ替わってほしい、けれどその本屋らしさは変わらないでほしい、と思っている。
それはちょうど、人間の細胞が一年ですべて入れ替わっても、その人がその人である事実は変わらないことに似ている。「本屋B&B」の共同経営者である嶋浩一郎との対談で、かつて話にのぼった。
嶋 本屋の場合、永遠に終わらないですからね。毎日が暫定一位をつくりつづける仕事だからね。
内沼 そうですね。本屋は終わらないんですね。本当に終わらないですね。お客さんもそうやって変わっていくのを楽しみにしてくれるし、変わらない味を提供する飲食店とかとはやはりちょっと違うわけですね。もちろん全体としては変わらない味というか、あそこに行くと、いつもこういうおもしろさがある、というものは変わらないほうがいいかもしれないけれど、店にあるものはやはり全部変わる。
嶋 そうだよね。「動的平衡」本屋編。(……)違う部品が次々に補充されていって、本屋という筐体というかボックスは変わらないけれど、中の細胞はどんどん変わっていく。そういうイメージだよね。
嶋浩一郎『なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか』(祥伝社、二〇一三)一六八~一六九頁
年間八万点もの本が出版されて、タイトル数が増えていく。毎日本が入荷し、売れた本が客の手に渡り、売れない本は返品されていく。その終わらない流れの中で、店の本棚と平台の品揃えを、そのとき自分たちがベストだと思う状態に、できる限り近づけていく。この作業が永遠につづいて、終わりはない。本屋はまるで生き物のようだ。
嶋が挙げた「動的平衡」ということばは、まさに生き物のことばである。生物学者の福岡伸一さんによるベストセラー『生物と無生物のあいだ』で、ひろく知られるようになった。福岡さんは、ルドルフ・シェーンハイマーという生化学者の研究に魅せられた。シェーンハイマーは、分子の同位体を利用して代謝を追跡することで、身体を構成するタンパク質などの物質がものすごいスピードで入れ替わっていることを実証した。シェーンハイマーの「生命の動的な状態(dynamic state)」という概念を拡張して、福岡さんは「動的平衡(dynamic equilibrium)」ということばで、生命を「動的平衡にある流れ」と再定義した。
本屋もまた「動的平衡にある流れ」であるとすると、なぜその本屋は、本が入れ替わっているにもかかわらず、その本屋であることを保ち続けることができるのだろうか。福岡さんは、その再定義を掲げた次の章で、以下のように記している。
生命とは動的平衡にある流れである。生命を構成するタンパク質は作られる際から壊される。それは生命がその秩序を維持するための唯一の方法であった。しかし、なぜ生命は絶え間なく壊され続けながらも、もとの平衡を維持することができるのだろうか。その答えはタンパク質のかたちが体現している相補性にある。生命は、その内部に張り巡らされたかたちの相補性によって支えられており、その相補性によって、絶え間のない流れの中で動的な平衡状態を保ちえているのである。
福岡伸一『生物と無生物のあいだ』(講談社、二〇〇七)一七八頁
タンパク質がつくられては壊されるように、本屋では、本が入荷しては売れていく。それが本屋にとって「その秩序を維持するための唯一の方法」だ。本が入れ替わっていかなければ、本屋は成り立たない。
そして一冊の本がなくなった場所に、次にどんな本を置くか。これを決めるのは、本屋においてもまた「内部に張り巡らされたかたちの相補性」であるといえる。その場所にどんな本があり、前後左右にどんな本を置くことで、売り場が成立していたか。それらはどのように互いに補い合っていたか。どんな文脈をつくっていたか。どんな分類を、どんな問題意識を、どんな季節感をつくっていたか。端的にいえば、それまでに店が積み重ねてきた選書の蓄積であり、品揃えだ。
日々この決断をしているのは、本屋で働く人間だ。その役割は、店の「内部に張り巡らされたかたちの相補性」を見ながら、「動的平衡にある流れ」の舵を取ることだ。その舵取りによって「毎日が暫定一位」の、その本屋らしさというものがつくられていく。
※『これからの本屋読本』(NHK出版)P43-47より転載
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