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東アジアが最先端かもしれない

第9章 ぼくはこうして本屋になった(12)

 二〇一七年九月、中国の四川省・成都市で行われた「成都国際書店論壇」にパネリストの一人として招聘された。世界中から書店経営者を招き、未来を話し合うというもので、中国の先進的な大型書店「方所」が主催している。そこで感じたのは、世界中どこでも近いことが起こっていて、程度の差こそあれ、語られる前提とそれに対する手段は、かなりの部分が共通しているということだ。

 インターネット以降のリアル書店は、リアルの場があるからこそできること、ネット書店にはできないことをやらなければ生き残れない。検索ではたどり着けない、本との偶然の出会いを生み出したい。本と関連するさまざまなものを併売し、カフェやギャラリーやその他さまざまな業態を併設し、作家と直に出会えるイベントや、地域にコミュニティを生み出す読書会や読み聞かせ、ワークショップや音楽ライブ、その他あらゆる催しを行う。文化的な空間として、書店ならではの価値を生み出して生き延びていく。おおよそ、そういう日本にいても語られる話に溢れていた。がっかりしたともいえるし、安心したともいえて、当たり前であるような気もしつつ、やはり不思議だと感じた。その事実を確認できたことと、世界中に訪ねていける書店主とのつながりができたことが、大きな収穫だった。

 二〇一六年六月、前著『本の逆襲』の韓国語版が出版されたことがきっかけで、トークイベントに呼んでいただき、同書の編集者である綾女欣伸氏とソウルに行った。日本の本屋に詳しく、旧知の友人であったジョン・ジヘ氏と、韓国語版の編集者であるムン・ヒウォン氏に案内してもらい、ソウルの本屋を巡った。そこでぼくと綾女氏は、そのあまりのスピード感と実験精神、溢れるアイデアに驚くことになる。帰りの空港で、この驚きを本にしようと決め、一年後の二〇一七年六月に共著として『本の未来を探す旅 ソウル』(朝日出版社)を上梓した。

 成都に招かれたのはちょうどその直後で、綾女氏も同行した。そこでぼくたちは、東アジアの小国にこそ、未来へのヒントが潜んでいるかもしれないという仮説を抱くに至った。世界中から成都に集まった本屋のプレゼンテーションよりも、そこに招かれていないソウルの本屋に聞いて本にしたばかりの話のほうが、自分たちには新鮮で、最先端であるかのように感じられたからだ。

 韓国の出版業界は、日本と同じかそれ以上に厳しい状況にある。彼らの言葉を借りれば、それは既に一度「崩壊」しているという。韓国は人口が五〇〇〇万人程度で日本の半分以下、一方でソウルの人口は約一〇〇〇万人で東京とほぼ同等だ。高度な情報や知識を求める層は、どちらも都市部に集中している。そして使用されている言語の壁が大きく、ほぼ自国内でしか出版活動が成立しない。そう考えると、英語圏や中国語圏、スペイン語圏などと比べて印刷できる部数が少ないぶん、相対的にみて出版業界の危機はより深刻だといえるのではないか。そして、深刻度が高いからこそ、それでも「本屋」をやろうという人のアイデアは、独自のものになりやすいのではないかと考えた。

 もちろん短いプレゼンテーションと、じっくりと聞くインタビューでは違うだろう。あくまで思いつきの仮説にすぎず、実際には世界中を取材してみないとわからない。けれど、もしその仮説がある程度正しければ、いま東アジアの出版事情を紹介することは、まだ見ぬ世界の「本屋」仲間たちに、いつか役立つ知恵となるのではないか。そのような前提で、ぼくと綾女氏は続編の刊行に向けて、二〇一八年三月から四月にかけて台湾・台北の本屋を取材して回った。その間に『本の未来を探す旅 ソウル』の韓国語版も出版された。自国向けには語られないことまで取材できるのが逆輸入の強みで、日本から見たソウルの本屋像は、韓国の人々にも好意的に受け入れられているようだ。台北は台北でソウルとは違った発見があった。今後はこの仮説を軸に、世界の「本屋」と交流を深めながら、次なる活動に進んでいきたいと考えている。

※『これからの本屋読本』P312-314より転載


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