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小説 ふじはらの物語り Ⅱ 《陸奥》 63 原本

権守一家がいつものように居間で団欒を楽しんでいる時、刀自の方から改めて一家の者達に対して、くれぐれも娘のことを宜しく頼む旨の言上があった。

この件については、刀自はすでに権守、そして、奥方に対して心に決めたことを明かしていた。

そして、奥方とはいつもその細々(こまごま)としたことを語り合って、今に至ったのであった。

その刀自の申しようを耳にした子供達の反応は三者三様であった。

姫はまず喜びの表情を顔に浮かべると同時に、額の辺りに憂いの趣きを見せたのであった。

嫡男は終始落ち着いていた。

末の男の子は結局何がそこで話されていたのか分からずじまいであったが、姉の喜ぶ表情を目にして、何だか分からないが自然に嬉しくなってしまい、皆の周囲をぐるぐると駆け出し始めた。



あるその頃の時節としては珍しく日の光が眩しく思われる陽気の日に、権守一家、刀自、その娘、そして、数名の家人達はかつてのあの時のように邸を出て、藤原広懐の墓へと歩みを進めるのであった。

どちらかと言えば、それはしんみりとした雰囲気であった。



広懐の墓は以前同様、竹林を背にして威厳を湛(たた)えているようであった。とは言え、それはどうっていうことはない土饅頭であり、威厳というよりも寧ろ枯淡の趣きを放っている、と表現した方が当を得ているとも言えた。

権守はこのように思った。

“この円丘少し大きくなったのか。”

そんなことはないとしても、

“すでに相当な時が経っているのに、原形を維持して止まないことこそ不可思議である”

と彼には思われた。

そして、その後後ろの竹林を見遣って気が付いた。

“ここは荒れてはいない。

きっと細工に用いるために人が入って竹を切り出して行くのであろう。”

また、かつて旬の筍が膳に上がっていたことも、彼は思い出した。



広懐の墓ではいつものごとく丁重な供養が捧げられた。

その様子を目にして、彼らの中にあることに気が付いた者がいた。

このような場合、いくら人数(にんずう)に恃んでも、心遣いにおいて女でなければなされ得ないことがあるのである。



墓の前で、それぞれが思いを新たにする意味合いも込めつつ、某(なにがし)かの平穏無事な前途を祈念する旨を地に眠る人に表明し、その加護も願うのであった。

皆、墓に対して深く心を込めて首(こうべ)を垂らしたのち、自然とあの草地の方へと足を向けた。



草地からは今日も東の彼方への見晴らしが良かった。

そして、山から吹き颪(おろ)す風はいたく冷たいものに皆には思われた。


Ⅲ 京(みやこ)に続く。また、いつかお逢いする日まで。

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一(はじめ)
経世済民。😑