小説 ふじはらの物語り Ⅱ 《陸奥》 56 原本
文室将軍は、国府において正式に陸奥介以下の官人どもと別れの辞を言い交わした後、直ちに鎮守府に引き返して行った。
そして、一旦建物の中に入って行った。
暫くすると、彼は外に出て来た。
その後方には、新将軍源(みなもと)氏、及び、副官が見えた。
それから、門口(かどぐち)において彼は振り返り、新任者に向かって一礼をした。
源氏は、これに鷹揚に応えた。
そして、文室将軍、いや、前将軍文室氏は馬上の人となり、庭前において、最後の閲兵を兼ねつつ鎮守府の正門へと馬の鼻先を向けながら進んだ。
それとともに、兵達は一連の儀礼を終えると、それこそ一糸乱れず無表情のまま、前将軍文室氏の進行方向とは正反対に向かって行進し、直角に曲がると、建物の陰に隠れて、全員見えなくなってしまったのである。
これを垣間見た民達は大いに驚き、その『非礼』に大変慷慨(こうがい)したものである。
彼らの中には、これが鎮守府将軍文室氏の役務上、有終の美であったと、絶えて気の付く者は居らなかったようである。
鎮守府の正門を出で来た文室氏は、その見送りに参じた数多(あまた)の群衆から大変な歓声を受けつつ、南に向かって行った。
その供廻りは非常に少人数であって、最前まで五百名から成る軍団を統率していた武将であるなどとは、遠目には分からなかった。
少しばかりのちのこと、文室氏と同じくお役御免になった彼の副官が、十数名の元兵士とともに京(みやこ)に向かったのであった。
文室将軍が離任して陸奥を起(た)ってから何ヵ月であろうか時が過ぎた辺り、京にいる従兄弟の例の中納言から便りが来た。
このようなことは、年に数度あった。
それは、季節毎のこともあれば、そうでないものもあった。
今回は後者であった。
そこには、こうあった。
「京にて多少異動あり。」
つまり、“変事”があった、ということである。
「源関白太政大臣職を解かれ、城外に出さる。」
また、源(げん)関白の外孫に当たる皇子や皇女のことについても簡単に述べられてあった。
そして、肝要なのは以下であった。
「その方、改名すべし。」
と言うのも、陸奥介の明国(あけくに)という名は、書きにおいて、また、読みにおいて、源関白のものに極めて近似していたため、“今後あらゆる折にあらぬ悪印象を方々に与えかねないのは、とんだ損ではないか”との、長上としての中納言の老婆心故のことであったのである。
結局、陸奥介は、“読み”だけを変えて明国(はるくに)とした。
とは言うものの、常々彼は仲間内で「明国(めいこく)殿」などと呼ばわり、自分でもかなりそちらの方に愛着を持ったりしてもいたわけである。