不機嫌って撒き散らしちゃいけなかったんだ
2024年、フキハラという言葉が流行した。齢30にして、不機嫌を撒き散らすということが「当たり前ではない」と知った。
常識だろうと思われた方は素晴らしいと思う。ただ、パートナーに対してはなぜか不機嫌を出したりわがままを言ってしまう人、実は多いと思う。私もその一人だった。
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私の幼少期から実家を出るまでの暮らしに立ち返ろう。
夜、力任せに鍵穴に鍵を通す音が戦いの合図だった。不機嫌な父親が帰ってきたのだ。仕事でストレスがかかったのだろう。何を話しかけても、大声で怒鳴るよう返事をし、不機嫌に命令をする。
私は手がつけられなくなった父が怖く、逃げるように自室に閉じこもった。しかし母は、耐えるように話を聞くに徹し、「それが妻としての役割なのよ」「喧嘩するほど仲がいいっていうし」と私に言った。
そんな環境だったので、不機嫌を全力でぶつけてくる相手に対して、「嫌だな、やめてほしい」と思うべきところを、「嫌だな、でも嫌なことがあって不機嫌を撒き散らすことは仕方がないんだな」という認識になっていった。お腹が空いたらご飯を食べ、眠くなったら寝るように、機嫌が悪かったら当たり散らすものだと思った。
それから、不機嫌で当たってくる上司を見ても、「そういうもんだよね」と思っていたし、雑なやり取りができる友人を重宝した。
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そしていまの私の話に移ろう。
アラサーで将来を考えられるパートナーができた。
この年齢での「付き合う」は単に楽しい思い出を作るだけではなく、長く良い関係を築いていける相手かどうかを互いに見定める期間でもある。
そう意識していた私は、次第に不機嫌を表に出すようになっていった。「不機嫌を撒き散らしても大丈夫な相手か?」を見定めるようになっていたのだ。ちょっと機嫌が悪い時に話しかけられると、「なんで?」「違うってば」と強い口調で言い放つ。
当時の私の理論でいうと、この行為は何ら間違っていなかった。「相手の不機嫌を受け止めることができる」ことが、家族関係を築く上で必須要件だと思っていたから。
自分が臍を曲げたらパートナーが機嫌をとってくれるという友人カップルの話も聞いたりするし、「わがままを言える相手がベスト!」という記事もよくみる。だから、そういうことができる相手がベストな相性なのだと思っていた。
とある休日の昼下がり、パートナーと理想の関係について話す機会があった。「気を遣わないような間柄でいたいよね!」と言ったところ、「いや、気は遣おう」と諭すように返された。話を聞いていくと、理不尽に不機嫌をぶつけられてしんどいと思っていたらしい。
え、まじで?青天の霹靂。気を遣い合う関係なんて、1番良くない状態だと思っていたから。私がそんな衝撃を受けていた2024年、「フキハラ」という言葉が流行った。なんと、不機嫌がハラスメントになるという。不機嫌を平気で家族にぶつけていたうちの家庭が良くない状態だったということに、やっと気づいた。
「不機嫌で人に当たってはいけない」というのは、モラルの問題。人を殴っちゃいけないとか、物を盗んじゃいけないとか、そういう類にならぶ問題なのだ。
私も不機嫌をぶつけられて嫌だったことを思い出した。嫌だったけど、そういうものだと仕方なく我慢していた。でも、嫌なものは嫌だ。現に、パートナーを探す時も、無意識に当たってくる相手を避けて相手を選んでいた。そのくせ、自分は相手に不機嫌をぶつけてしまうのは虫が良すぎる。
友人が語っていた「私の彼氏は臍を曲げても機嫌を取ってくれる」というような話も、よくよく話を聞いてみるともっと可愛らしい言い合いレベルの話で、「不機嫌な気持ちをぶつける」話とは別ものであった。
「2人で過ごしていて機嫌が悪くなった時どうしてるの?」と聞いたら、「自分で気持ちを整理する」「気持ちが落ち着くまで1人で過ごす」と返された。ああ、自分でどうにかコントロールしてるのね。
相手を感情的に振り回してしまい破局した、という案件はこの世に山ほどある。ただ、この考え方がスタンダードになれば多分半分くらいのカップルの破局がこの世から消えるんじゃないか。
流行語についていけなくなってきたが、久々に共感した言葉だった。