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幸せも不幸も自分で作るもの


「どうして自分はこんなにも不幸なのか」と人は言う。

「どうすれば幸せになれるのか」と人は問う。

結論から言えば、不幸も幸せも自分で作るものだ。

なぜなら、不幸や幸せとはまわりの状況がもたらすものではなく、「自分自身の選択」でしかないからだ。まわりの状況がどうであれ、私たちは今日からでも幸せを選択することができる。

そのために、自分が普段、無意識に行っている選択が不幸な方向性なのではないかということに気付き、幸せな方向性を選び始める必要がある。

今回は、不幸な人が選んでいる道と幸せな人が選んでいる道を知ることで、幸せを自分で作っていく方法を話してみようと思う。


(1)幸せは状況に左右されない


「不幸な状況も、幸せな状況も、存在しない」

自分が不幸だと嘆く人は、まわりの状況のせいにする。そして、幸せになるためには今の状況が変わらなければいけないと言うし、状況を変えるのは難しいから幸せになれないのだと言う。これでは無限ループだ。

最初に言っておきたいが、幸せになるか不幸になるかは置かれている状況に左右されるものではない。

「状況」と「幸せ」はイコールではない。幸せとは「感覚」や「感情」であり、状況とは単なる「事実」である。事実には元々、良い悪いの意味合いはなく、事実に対して良し悪しを張り付けているのは私たち人間の感情だ。

つまり、雨が降っているという状況があったとして、それに対して「最悪だ」とか「洗濯物が濡れていたらどうしよう」とネガティブな意味づけをするのは私たちの感情である。事実は単に「水滴が空から降ってきている」だけで、良いも悪いもない。

なので、決定的に不幸な状況も、絶対的に幸せな状況も存在しないのである。

私たち人間はあらゆる状況から幸せを見つけ出し、あらゆる状況から不幸を見つけ出せる。要は、幸せとは「受け取り手」の感覚次第なのである。


(2)幸せと不幸を見つける感度の違い


「不幸な人は不幸を見つける感度が高く、
 幸せな人は幸せを見つける感度が高い」

状況によって幸せかどうかは左右されない。たとえば、同じ状況であっても不幸な人もいれば、幸せな人もいる。

この違いは、不幸と幸せを見つける感度の違いにある。

人は同じ状況を体験していたとしても、焦点を当てているところ(見ているところ)が人それぞれに違う。

ネガティブなものに焦点が当たりやすい人は、その物事をネガティブな方面からとらえる。ポジティブなものに焦点が当たりやすい人は、その物事をポジティブな方面からとらえる。

たとえば、いつもと同じ日常生活を送っていたとしても、不幸を見つける感度が高い人は日常の小さなことにケチをつけるし、幸せを感じられそうなチャンスもスルーする。

朝ごはんにいつもと同じ具材の少ないみそ汁を飲んだとして、不幸の感度が高い人は「なんでまずい味噌汁なんだ」「もっとマシなものが食べたい」と嘆くか、あるいは何も感じないまま無反応で飲み干す。

一方で、幸せを見つける感度が高い人は、いつもと同じ味噌汁でも毎日、新鮮な気持ちで味わうことができる。舌に乗る感覚、味噌や塩の味わい・風味、暖かいみそ汁が体を満たす感覚。

そうしたなんてことのないところに「心地よさ」や「暖かさ」を感じることができる。

しかも、これらは無理に「良いところを見つけなければ」「感謝しなければ」という気持ちで見つけるものではない。

幸せを見つける感度が高い人は、ほとんどの場合、「今この瞬間」をしっかり味わう余裕がある。落ち着いた状態で「今ここ」にいられるのは、未来への不安が少なく、安心して今を生きていられるからだ。

不安や焦りのない状態で「今ここ」に集中すると、見えづらくなっていた小さな幸せの感覚を発見できる。

その幸せは、今この瞬間にしか味わえないものなのだ。


(3)幸せをいつ受け取るのか


「不幸な人は未来の幸せのために生き、
 幸せな人は今日の幸せのために生きる」

不幸な人が追いかけているのは、たいていの場合、未来の幸せである。

なぜなら、現状を幸せと感じるにはあまりにも「欠けている」「足りていない」と感じるからだ。そのため、未来では幸せをつかんでやろうと、「いつかは」と夢見て努力する。

そして、それが永遠と続く。どの瞬間も彼らは「いつか」来るはずの未来の幸せのために汗水たらし、「もっともっと」という不安と焦りに駆られている。

先にも言ったように、私たちはどんな状況からでも幸せを見いだすことができる。

そのためには、この瞬間に自分の手元に「ある」ものに気付く必要がある。

いつどんなときでも「今日の幸せ」は過不足なく、完璧な状況で今ここに用意されている。どの瞬間にも、だ。

あとは、いつ何時でも「今日必要な幸せはここにある」と信じ、見つけられるかどうかという話になってくる。

これはより根本的な話になり、「幸せはどうやったらやってくるのか」「幸せになるにはどうすればいいのか」という問題につながっていく。


(4)幸せを信じられるか


「不幸な人はどんな時も自分の幸せを信じていないし、
 幸せな人はどんな時も自分の幸せを信じている」

不幸な人が未来の幸せのために汗水たらして努力したり、なにか行動を起こさなければいけないのではないかと焦るのは、幸せはそのような代償を払わなければ手に入らないと思っているからだ。

もっと言えば、「今のままの自分では幸せを受け取る価値がない」と思っている可能性すらある。

「今、自分が幸せでないのは、なにかが足りていないからだ。その足りないものを補うために、自分はもっと幸せに近づく努力をしなければいけない。そうすれば、必ず幸せはつかめる。まだもう少し、あと少し…」

だが、たとえ目標としていた地点にたどりつき、ある程度の豊かさを手に入れたとしても、今度はその手に入れた豊かさを手放しまいと努力する。さらにいえば、なにかあったときの保険としてさらなる幸せの代償を賭ける。

といったことが無限ループで起こる。

なぜなら、どんな状況になろうとも、無条件で自分が幸せでいられるなんてことは信じられないからだ。幸せには必ず努力が求められる、と思っている。


一方、幸せな人はどの瞬間も自分の幸せを信じている。

自分がこの瞬間に「生かされている」という感覚を持っている。今回の人生でまだやることがある以上は、今日も生かされるだろうという確信だ。

そのため、生きるために必要なものは用意されると信じている。必死になってお金を稼いで明日の命をつなぎとめなくても、生かされるときは生かされるし、死ぬときは死ぬのである。

同時に、今日の自分に必要な幸せは必ず用意されているという感覚もある。

「幸せを感じる」とは私たちが地球に生まれてきた目的のひとつでもある。言い方を変えれば、「いろんな幸せを体験するために」私たちは生きていると言ってもいいだろう。

幸せのカタチは人それぞれに違う。だが、どんなときでも、その人にはぴったりフィットしたものが与えられる。

受け取りすぎることもなく、少なすぎることもない。完璧な状態・割合の幸せがいつも私たちには与えられている。それが宇宙の法則だ。

なぜ、それを信じられるかと言うと、宇宙の法則を信じているという以外には、「これまでもそうだったからだ」としか言いようがない。

たとえば、過去に人生のどん底を味わうような経験をしたとき、とてもではないが当時は「自分は幸せ者だ」なんて思えなかった。だが、時が過ぎると、結果的に「あのときの経験があったから」と思うことも少なくない。

どんなに悲惨な体験であっても、結局は生まれる前に自分で決めてきたメニューである以上、何かしらの学びやその後の人生をより良くしていくためのきっかけになるように仕組まれている。

私たちは幸せに限らず、どの瞬間もそのときの自分に必要な体験をしている。どんな時も、だ。


そして、これは未来についても同じことが言える。どの瞬間もそのときの自分にとって必要な幸せが用意されているということは、まだ見えない未来についてもその時々の幸せが用意されているということになる。

今、どういう努力をしようとしなかろうと、その時々の自分が受け取るべき幸せは受け取れるようになっている。

だから未来の幸せのために今を犠牲にするよりも、今この瞬間に与えられている幸せを感じ切ることの方がよほど重要なのである。

それでも未来の幸せを信じられないという人は、自己価値があまりにも低い可能性がある。意識的であれ無意識下であれ、「今のままの自分ではダメだ」「幸せを受け取る価値がない」という想いが強すぎるのだ。


(5)今の幸せが未来の幸せを決める


「今を不幸だと感じるなら未来も不幸を体験し、
 今を幸せだと感じるなら未来も幸せを体験する」

そうは言っても、未来の幸せのために今から何かしなければ、未来は良くならないのではないか、という想いがある人は「未来の幸せがどのように作られるのか」という法則を知っておいた方がいいだろう。

未来の状況は、今どのような波動でいるかによって変わる。

つまり、現状を不幸だというネガティブな波動に包まれている人は、このネガティブな波動の延長線上に未来を体験する。逆に、今を幸せだと感じてるならそのポジティブな波動の延長線上に未来を体験する。

「今の自分ではダメだ」「こんな状況では幸せになれない」と思っているなら、その波動域の延長線上にあなたの未来がある。

そのため、たとえどんなに努力してある一定の状況を手に入れたとしても、「まだまだ足りない」「こんな状況ではダメ」という意識が永遠に続くことになる。

最初にも言ったように、幸せは状況が作るのではない。幸せと不幸はあなたの意識が作るのだ。

だが逆に言えば、今この瞬間の自分を「ありのままでいい」と受け入れ、欠点や弱点を許し、自分という存在を愛し始めれば、未来もそうした道をたどることになる。

未来の幸せを作るのは、今の自分を否定し鞭を打って努力することではない。未来の幸せは今の自分を愛し、「ここ」にある幸せを受け取り始めることでしか生まれないのだ。

もっと落ち着いて目の前に「ある」ことに向き合おう。あなたが「今ここ」を大切に体験し続けることで、日々のなかに小さな幸せのかけらを見つける頻度が高くなる。

例え、人生のどん底にいるようなときでも、太陽は昇り、酸素はそこにあり、「私」という存在が生きている。これすらも本当は当たり前のことではないのだ。

こうして気付いていった小さな幸せのかけらは、いつのまにか、大きな幸せを形作っていくだろう。

だが、そのころにはあなたにとって幸せの大きさは問題ではなくなっているはずだ。いつもの幸せの延長線上にあるその大きな幸せは、あなたにとってとても自然な流れで受け取ることになる当然の結果となっている。

だからこそ、未来の心配はいらない。

今日を体験しつくすことが、明日の幸せを作っていく。それさえ覚えていれば、明日のために今日を犠牲にすることはなくなっていくだろう。

今日を生きよう。今ここにいる自分を愛そう。

目の前の出来事はすべて、あなたのために起こっている。


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