リアルタイムの感情、ありのままの感覚を書きたいのに
noteに投稿する文は、短くても三・四日、長ければ二週間ほど寝かせて推敲するようにしている。とりあえず箇条書き→繋いで文章に纏める→余計な文を削る→誤字脱字の訂正、といった具合だ。
できることなら、リアルタイムで味わった“ありのままの感覚”を言語化したい。しかしタイムラグの影響によって、言語化する際に当時の感情が増幅されてしまう気がする。これが俗に言う“思い出補正”の原因なのだろうか。
映画は鑑賞した時よりも。
本は読んでいる時よりも。
ゲームは遊んだ時よりも。
痛みは味わった時よりも。
時間が経つごとに、それらの感情はより具体化され、強靱になっていく。
気軽に短文を投稿してしまえば、新鮮さを保ったままの感覚を述べられるかもしれない。しかしある程度思考を重ね、まとまった文章を書くほうが俺の性に合っているようだ。
現在、とりとめもない内容の下書き文が沢山溜まっている。
まずは昨日クリアした「聖剣伝説 レジェンドオブマナ 」の感想を完成させるかな。いや、映画「ザ・ウォーカー」のレビュー記事も書きかけたままだ。十年越しの悪夢にうなされた話も仕上がっていない。
こうしている間にも、ますます“思い出補正”が強くなっていく。新鮮さと文章の完成度、一体どちらを優先させたらいいのだろう?