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田中優子・松岡正剛『昭和問答』

☆mediopos3631(2024.10.28.)

『日本問答』『江戸問答』に続く
田中優子と松岡正剛による第三弾『昭和問答』

対話の冒頭で田中優子は
「なぜ競争から降りられないのか?」
「国にとっての独立・自立とは何か」
「人間にとっての自立とは何か」という問いを置き
その問いをめぐり対話が行われている

田中優子による「あとがき」では
そうした最初に置かれた問いに対し

明治維新から終戦までの七七年間に
日本人はおよそ一〇年ごとに戦争や事変を起こし
戦争放棄の明記された憲法施行から
二〇二四年まで同じく七七年経ち

「結果的に、本など読まず時間をかけず、
効率的に社会的な地位を得る競争に邁進する世の中」になり
「ますます競争から降りられず、ますます大樹に依存して、
自立からは程遠くなった」という日本の
「新しい戦前」としての現在地が半ば嘆きのように語られ

新たな扉を開くための対話を
さらに重ねていくことを示唆してもいるのだが

本書のあとがきを書いた直後
松岡正剛は急逝することになり
予定されていた対話はこれで最後となってしまう・・・・・・

多岐に渡る対話の内容を
概略として紹介するのは手に余ることもあり
松岡正剛が語った一部を
そのさわりとしてとりあげるにとどめたい

対話の最後で松岡正剛は
日本を語ったり昭和を語ったりするに際し
「最近ぼくは、「世界」と「世界たち」の両方を考えないと、
思想も表現も組み立てられないという考え方に達している」という

「世界」と「世界たち」

普遍主義的な「世界」に対し
「ほんの短い期間の光芒しか放たなかった
割れた「世界たち」の仮説性にも、
もっと目を向けるべきではないか」というのである

そうすることで「普遍主義とは違うもっと別の何か、
もっとおもしろいものにできるんじゃないか」

それは芭蕉の「虚に居て実をおこなふべし」や
「松のことは松にならえ」という言葉で表されているように

ベイトソンの「フィール」(feel)や
ユクスキュルの「環世界」(Umwelt)
といったあり方にも見られるような
「虚」と「実」をめぐる哲学であり科学でもある

それについて田中優子は
志村ふくみの「本当の赤はこの世にはない」
と言う言葉を引き敷衍している

「色の世界というのは虚」なのだが
「その一方で、志村さんは実として、赤いものを染めている」

芭蕉が「虚を押さえながら、実として言葉にしていく」ように
「虚のところを押さえておきながら、実として形にしている」
というのである

そのように「当初において「虚を抱えている」か、
あるいは「虚を抱えていないのか」、このあたりが
文化として何かを表現していくときの大きな違いになっていく」

そのようにいまの日本には
「経済効果では測れないもの、
つまり再現できないもののほうにもっと目を向ける」
必要があるのではないかと示唆されているのだが

松岡正剛はそのためには
「虚」と「実」の関係における
「「いないいない・ばあ」をもっとやるといい」という

松岡正剛が手がけてきた編集工学も
そのような「ずっと「伏せて、開ける」ということを
意識してやってきた」のだという

そうした「いないいない・ばあ」のような
「非線形的、非再現型のおもしろさは、
統計で数値化してしまう超合理主義には勝てっこない」
そう思われてきたが
「その勝てっこないものを
いかに日本が抱えられるかどうかが問われてい」る

お金という手段が目的化されるような
「経済的な発展からだけでは生まれない」ものを
どのように生みだしていけるか・・・
それは日本だけの問題ではないともいえる

松岡正剛が果敢に取り組んできた
編集という方法によって示唆されてきたことを
新たな扉を開けるためにどのように生かすことができるか
それが私たち一人ひとりの課題として残されている

松岡正剛はまさに最後に書かれたであろう「あとがき」に
「ここに持ち出されるべきは「ゴジラ」なのである」と
示唆しているが

松岡正剛の「編集」こそが
「シン・ゴジラ」として
新たな想像力を生みだすための
「いないいない・ばあ」となっていけますように

■田中優子・松岡正剛『昭和問答』 (岩波新書 2024/10)

**(「1 戦争が準備されていた」より)

・昭和を問答するための問題提起

*「田中/昭和は、今この瞬間の私たちの立っている時空にもつながるわよね。つまり『昭和問答』は日清戦争あたりから始まって、「今ここ」までをテーマにすることになります。ずうっと「戦前」だったかもしれない。
 『昭和問答』がそのように長い期間を扱うことには、もうひとつの理由があります。それは『日本問答』『江戸問答』で生まれた問いが、今日でもなお問いつづけるべき問題だからです。(・・・)
 つまり、「私たちはなぜ競争から降りられないのか?」という問題です。」

「田中/「競争」という言葉について、私は『日本問答』で、「そこから抜け出さないと、対等とは何なのか、わからない。本当は日本の成り立ちを振り返って、独自な政治思想を持つべきだ」と述べました。この「独自な政治思想」ということに対して、松岡さんは「外の言葉ではなく内の言葉で」という言い方をされた。ここで気になるのが「対等」「独自性」「内の言葉」です。私は別の箇所で「『おおもと』じは自立の表現としてつくられていたので、自立から追従に切り替わったときに忘れるしかなった」と語っているんですね。「自立」という言葉がここでは使われた。そこではたと気づいたんですが、ここにはいままで十分には交わし切れていない問いがある。それは「国にとっての独立・自立とは何か」ということです。」

「田中/もうひとつ私がたいへん気になる問題がある。それは「人間にとっての自立とは何か」ということです。(・・・)
 それは、国家であろうと人間であろうと、独立・自立をめざしたときに競争や戦いを回避できないのかという問題です。青鞜運動は、自立は競争や戦いとは無関係であることを示したわけです。そうであるなら、「国家にとって」と「人にとって」の両者は、つなげて考えることができるのではないか。」

「松岡/国家や個我の自立は近代化にとっての大問題ですからね。世界の近代国家の多くは、そのために独立戦争に向かっていった。ただ日本の場合は、立身・立国・立憲の終始しましたね。

 田中/たしかにそこが大問題。」

**(「6 昭和に欠かせない見解」より)

・関係性のなかでの「自立」

*「松岡/これはあくまで思考実験のような話になりますが、南北朝のように二つの天皇家が継続していた時期のほうが、日本ではユニークな政治や思想が生まれていたように思うんです。不確定で不確実なものを生かすということだけを言えば、北朝一辺倒にしないほうがよかったのではないかとさえ思う。実際にも、水戸学だってそこをずっと迷いつづけた。(・・・)
 ややこしい捻れた歴史のことはさておいて、北朝と南朝のような二つの系統が相互作用しながら切磋琢磨していくようなあり方も選択肢としてあったのではないか。たとえば仏教が大乗と上座部に分かれていきながら、それぞれ独自に発展して継承され、いまなお多様なアジア仏教の様相を見せているようにね。日本は本来、そういうアジア仏教のような同時並立的なあり方を好んでいたんじゃないかと思うんです。
 にもかかわらず近代になると唯一性とか統一感、ユニティ、アイデンティティというものを欲しがるようになった。もう少し日本の本来のあり方や歴史。日本の方法や思想に目を向けて、そこに拠点を置こうとするような発想はできなかったのだろうかと思いますね。

 田中/そういう日本の本来から、西洋でいう「自我」とか「自己」とか「私」というものを、日本的にとらえなおすという方向性もあったはずよね。それがあれば人間にとって自立とは何か、国が自立するというのはどういうことかということも、もっと深く考えることができたかもしれませんね。

 松岡/ぼくが「日本という方法」ということを勘案して、日本がアジアや中国から何を学んできたのかを学びなおすとともに、これが日本の独自の方法と呼べるのではないかというものを探索してきたのも、まさにいまの話に通じるところです。それはつまり、日本のアイデンティティそものを編集的自己としてとらえたい、乗り換えと着替えと持ち替えが可能な歴史観、あるいは自己観にしたいということです。

 田中/私も、自立とか独立というのは、確固たる単体として成り立つことを言うわけではないと思っているんです。それは関係のなかでしか成立してこないものです。国の独立というふうに言う場合にも、それは何からの独立かという関係のなかで成り立つものである。(・・・)

 松岡/いま自民党を中心とする保守政治がゆるみっぱなしになって、その維持さえ危うくなっていますが、これも「日本の自立」に関するシナリオやアジェンダが書けないか、書いたことを本気で説明できない程度の言葉でお茶を濁しているかということですよね。それは田中さんが言われる視点を借りて言えば、相対力を読めなくなっているということかもしれない。

 田中/人間の自立というのも、それと同じではないでしょうか。私は、女性の自立という問題について、政治的な意味での自立ではない「自立」を平塚らいてうが言葉にできたというのは、すごいことだと思っているんです。平塚らいてうが言った自立というのは政治とか社会の問題としてではなく、自分自身のなかにいくつもの自分がいるとして、そのなかでどの自分をどういうふうに生かすのかということを自分で決定する、そういうあり方にこそ自立があるのだということを言ったに等しいんです。それはもちろん、周りにいる人間との関係や対話のなかで、どういう言葉を選んで生きていくのかという問題にもつながっていきます。」

・「虚に居て実をおこなふべし」

*「芭蕉が「虚に居て実をおこなふべし」という言葉を残していますね。「実に居て虚にあそぶ事はかたし」とも言っている。リアルな世界にいながらヴァーチャルな幻想に遊ぶのではなくて、幻想の領域を最大限に大きくとらえておいて、そこからリアルに戻るべきである、ということを言っている。これは風雅の道を説く教えですが、いまの田中さんの話にも通じることだと思うし、ぼくはこれこそ日本の哲学であると考えてきましや。しかしながら、いまの日本人にはこういう考え方はほとんど理解されない。なんで最初に「虚」があるんだ、それはただの虚無ではないか、デカダンスではないかと思われちゃう。あるいは、もっと勘違いして、ヴァーチャルなネット世界が先行するんだと解釈してしまう。困ったもんです。

 田中/芭蕉が俳諧には三つの品があると言ったと、各務支考が書いています。『風俗文選』に載っていますね。三つの品とは、「寂寞」と「風流」と「風狂」です。寂寞は情の品、風流は姿の品、風狂は言語の品。その「言語の品」について芭蕉は、「虚に居て実をおこなふべし。実に居て虚にあそぶ事はかたし」と言った。芭蕉のいう「虚」も、まさに「関係のなかから」ということですよね。芭蕉には「松のことは松にならえ」という言葉もあって、それは自分という存在だけがそこにいるんじゃなくて、そこに松があるのなら瞬間的に松の側に立ってしまえというあり方を諭しているわけです。そうやって瞬間的に松になることによって松が見えると言っている。これもまさに関係の話です。つまり、すべてが相対的な関係のなかで成り立っている。「虚」というのも、そういうあり方のことです。

 松岡/そういう芭蕉の「虚に居て実をおこなふべし」「松のことは松にならえ」という考え方うぃ、もうちょっとわれわれは世界に対しても語っていくべきなんですよ。」

「田中/もっとも「虚に居て実をおこなふべし」に果敢に取り組んだのは江戸の人びとだったかもしれません。江戸時代はそれぞれの人が虚実の関係をよくわかっていたし、それをクリエイティブな活動にしていくこともできていた。たった一つの確固とした自己というものが存在するわけではなく、関係性のなかで「実」というものをつくり出していくような。そういう場所が成立していた。(・・・)
 ところが、それがどこかで失われていく。関係性感覚が失われていく。そうして、この対談でいろいろ交わしたような共同体的なもの、コミューンになっていってしまう。

 松岡/明治になってから出てきた仏教者の清沢満之が「二項同体」と言って善悪とか生死というものを分断させないという考え方を説いたり、内村鑑三が「二つのJ」、すなわちジャパンとジーザス(イエス・キリスト)の二つのJを、たとえ身が引き裂かれても抱えつづけると言ったりしたように、二つの相対するものを対立させずに抱えていくという方法は、じつは日本的仏教にも日本的キリスト教にも胚胎していたんだよね。ところが、日本の宗教界も思想界も、そういう考え方を異端扱いしたり少数派扱いしたりしてしまった。そういうこともあって、日本の思想も宗教も、近代以降はどんどん痩せてしまったんじゃないかと思いますね。」

・「関係のなかでしか生きられない」

*「田中/かつては男性と競争するとか、社会のなかで男性と互角になろうとか、そうやって社会の中で居場所をつくろうとする女性たちがいました。ちょうど男女雇用機会均等法が成立したころ(昭和六〇年)には、そういう風潮が女性たちのあいだにも確かにあったと思います。でもその後わりと早くに、女性たちがそこから離れてしまったと思うんです。ようするに、「もうやっていられない」と。

 松岡/そうだったろうね。

 田中/男たちと競争する必要もないし、男たちがつくってきた文学のあり方を乗り越えようyとかその上に行こうとか考える必要もない。そもそも上とか下とかいう発想がないから、考えもしない。単に生きていられればいい、そのためにはどうしたらいいかという、それだけなんですよ。
 でも、そもそも文学ってそういうものだったんじゃないかと思うんです。」

・名づけようのない色

*「松岡/アイデンティティなんて敗戦日本の知識人が武装のために導入しすぎたものですよ。

 田中/大事なことは何をどのように見ようとするのか、そのまなざしの置き方であって、それが価値観の問題にもつながっていく。だとすると、「日本の文化」というふうにひと括りで言ってしまうことにも問題があって、そういうものがあるんだと想定して文化を対象化してしまったり分析してしまったりしたら、見えなくなるものがあるはずなんです。そうならないためには、やっぱり「向こう側」に立つ必要があるんじゃないか。

 松岡/「向こう側」というのは、アイデンティティを超える、外すということ?

 田中/そうです。そういうふうに「向こう側に立つ」書き方をしているものは、そうやって見ていけば、けっこうあるんです。(・・・)

 松岡/いまの話は、ぼくが編集工学を組み立てるヒントにしてきたベイトソンやユクスキュルの考え方にも通じます。ベイトソンは「フィール」(feel)という言葉で、われわれが何かを判断するときには、たいてい「フィール」を使っているということ、いわば「そういう感じ」とか「ちょっとした」とか、あるいは「もともと」というニュアンスを使いながら判断していということを重視して、自己を固定しないんだとみなした。フィールに居つづけるということは存在の立脚点や物事の実体をとらえていないようでいて、そこに出入りしている情報の様子やふるまいをじつにちゃんと言い当てているとみなしたんです。ベイトソンはそのうえで、ある部族のフィールドワークを通して、むしろいくつもの自分を行き来する「分裂的生成」こそが人間のあり方だろうと推測した。関係のなかに居つづけて、ちょっと身を裂かれながら次に進んでいくわけです。
 ドイツの生物学者のユクスキュルは、そんなふうに関係のなかに居つづけるということはそもそも生物の生き方から始まっているもので、そこには生物的知覚がかたちづくる「環世界」(Umwelt)があると指摘した。客観的世界なんてないんだというのが環世界という見方です。環境=自分という未分化状態のものがあるだけなんですね。志村ふくみさんのように、自然から得たものを手仕事にしつづけている人たちには、こういうベイトソンの「生成」やユクスキュルの「環世界」との共存が、体験的に、かつ直観的にわかるんでしょうね。

 田中/まさに「虚」と「実」をめぐる哲学であり科学ですね。志村さんも「本当の赤はこの世にはない」と言うんですね。それはつまり、色の世界というのは虚なんだということです。でもその一方で、志村さんは実として、赤いものを染めているんですよ。つまり、虚のところを押さえておきながら、実として形にしている。ものづくりをする。芭蕉や山東京伝は、虚を押さえながら、実として言葉にしていく。この、当初において「虚を抱えている」か、あるいは「虚を抱えていないのか」、このあたりが文化として何かを表現していくときの大きな違いになっていくように思いますね。」

・「いないいない・ばあ」でいく

*「松岡/「虚」と「実」の関係をどう見るかというのは、とても大事な見方です。科学や数学では複雑さや非線形的なるものにどう向き合うかというテーマにもなっていきます。複雑さというのは科学の分野において二〇世紀半ばからたいへん重視されてきた見方で、われわれが属している世界は複雑系というものであって、その構成要素をいくら足し算していっても特色はあらわせないという見方です。そのため数学的にあらわそうとすると非線形になるんですね。それだけではなく、そこにはカオスも出入りする。非線形というのは線型的な足し算が成立しない系のことです。非線形的な系では、部分は全体に従属しているというのではなくて、客観的に予想していた全体を超えてしまうんです。となると、先ほどの志村さんの「本当の赤はこの世にはない」と同じで。全体のなかから都合よく部分を取り出して、それを「赤」と呼ぶこと自体が成立しないわけです。じつはわれわれが生きている自然や社会や世界を成り立たせているいろんなシステムも、ほとんどがそういう複雑な非線形で成り立っているのではないかと考えられます。」

*「松岡/経済効果として測れるものは、たいてい線形で解けるもので、再現性が高いもの、つまり大量生産ができるもの、というふうにも言えます。

  田中/いまの日本の必要なことは、経済効果では測れないもの、つまり再現できないもののほうにもっと目を向けるということです。

 松岡/ぼくはね。そのためには、「いないいない・ばあ」をもっとやるといいと思うんです。つまり、ぎりぎりまだ大事なものは伏せておく。ここだというときに「バーッ」と出す(笑)。幼児がなぜ「いないいない・ばあ」とやるとキャーッと喜ぶのか。それは隠れていたものへの気体がいっぱいいっぱいになった瞬間に、「バーッ」があるからでしょう。同じものを出す場合でも、最初から出しっぱなしだと、ぜんぜんうれしくない。

 田中/松岡さんが手がけてきた編集も、まさにそれですね。

 松岡/おっしゃるとおり、編集工学はずっと「伏せて、開ける」ということを意識してやってきた。「いないいない・ばあ」をやりつづけてきた。(・・・)そういう日本の「いないいない・ばあ」的、非線形的、非再現型のおもしろさは、統計で数値化してしまう超合理主義には勝てっこないと思われてきた。だって、生まれては消えていく、うたかたみたいだと軽視されるからね(笑)。

 田中/だからこそ、その勝てっこないものをいかに日本が抱えられるかどうかが問われていますね。となると、競争から降りてしまうというという方法しかないように思います。

 松岡/そうです。競争をしなくとも、「いないいない・ばあ」は強力にイメージの奥に残ります。そのことをしっかりとらえていくべきなんです。日本はかつてそういうものを、「はかなさ」とか「虚しさ」というふうに呼んで、あたかもとらえどころのないもののように扱ってしまったけれども、またそれを無常観などと結びつけすぎたけれども、じつは浮世絵が歌舞伎のように「いないいない・ばあ」が時代を席捲した例もある。

 田中/そういうものは、経済的な発展からだけでは生まれないんです。

 松岡/お金をかければ写楽や北斎が生まれるわけではない。

 田中/にもかかわらず、いまの時代はお金という手段が目的化していって、何をつくり出せばいいのかということが、ものづくりの現場でももうわからなくなっている。ものをつくる人たちの考え方そのものも、相当変わってしまった。本当に、抜き差しならない大変な状況になってきているなと思います。」

・「世界たち」のために対話をする

*「松岡/今回の対談を通して感じたことを三つほど話して締めくくりたいと思います。
 一つ目、これはぼく自身の反省になるんだけど、まだまだ自分のなかで昭和を語るというスタイルが出来上がっていないなということを実感しました。(・・・)
 二つ目ですが、最近ぼくは、「世界」と「世界たち」の両方を考えないと、思想も表現も組み立てられないという考え方に達しているんです。いままで普遍性というのは、「世界」のほうばっかりに行って、「世界たち」という細かく割れたほうには普遍性がないと思われていたんじゃないか。日本にしてもそうです。日本を語ったり昭和を語ったりしようとすればするほど、ほんの短い期間の光芒しか放たなかった割れた「世界たち」の仮説性にも、もっと目を向けるべきではないか。こういうものが普遍主義に対抗するわけではないけれども、普遍主義とは違うもっと別の何か、もっとおもしろいものにできるんじゃないかということを、田中さんとの対話を通して、ますます感じていました。
 三つ目は、やっぱり田中さんがおもしろいよね(笑)。『日本問答』『江戸問答』『昭和問答』のあいだ、七年にわたって法政大学総長としての責務をまっとうした。そのなかで、いまの日本の大学や教育の問題に日々向きあってこられた。その経験が、田中さんの日本を見る視点をさらにキリッとしたものにしていったということを、また大きな決断力になっていることを、すごく感じていました。『昭和問答』では、そういう田中さんが持っている社会観をいままで以上に出してくださったので、ぼくもものすごく共振することができた。座が定まっていて、かつどんな方向にも顔と姿勢が向いていました。ありがとうございました。」

**(田中優子「あとがき1 ともにとびらをあけてきた」より)

*「『昭和問答』では、互いにみずからの「老い」を受け止めつつ、近代から昭和を経て今に至る過程を考え、感じ取り、対話した。戦争の無い江戸時代が終わり、明治になると、日本人はおよそ一〇年ごとに戦争や事変を起こした。『昭和問答』は、終戦まで七七年間に及ぶその時代をたどった。そして戦後、国民は武力を放棄し、戦力を保持しないことを決め、それを憲法に明記した。その日本国憲法施行から今年、二〇二四年まで、やはり、七七年経った。

 その二〇二四年七月、じわじわと進んできた「新しい戦前」はその姿をはっきり見せるようになり。その過程を許してきた国民がどういう人たちなのか、その姿も見えてきた。それは、「本を読まない・読めない」膨大な数の人びとだった。東京都知事選では、政策をもらず、語らず、議論をしない候補者が多くの票を集めた。ほとんどの都民は政策を出しても理解できず、長い話を聞くことができないからだという。

 在日米軍は総合軍司令部をつくり、自衛隊は米軍との連携のための統合作戦司令部を設置することになった。いよいよ日本は、主権の一部を米国に渡すことになる。いま九州では日米の合同軍事訓練が行われており、沖縄では避難シミュレーションがつくられている。「新しい戦前」は米国と戦う戦前ではなく。米国支配下の戦前なのだ。

 二〇一五年の集団的自衛権行使容認。二〇二〇年の日本学術会議任命拒否。二〇二二年の「安保三文書」による、敵基地攻撃能力保有と軍事予算の倍増。学問の排除を含んだかつての戦前とそっくりの経緯が、展開している。

 この本の冒頭で私は、「なぜ競争から降りられないのか?」「国にとっての独立・自立とは何か」「人間にとっての自立とは何か」という問いを置いた。四〇年も教育にたずさわったが、一斉教育を全面的に切り替えることはできなかった。本を読み文章を書き、考え、自分の言葉を発見し、他者とともに語り合う。そういう機会は、自分の設定した少人数授業のなかでしか、実現できなかった。結果的に、本など読まず時間をかけず、効率的に社会的な地位を得る競争に邁進する世の中になった。ますます競争から降りられず、ますます大樹に依存して、自立からは程遠くなった。

 それでも私は、松岡正剛のつくってきた編集工学研究所の仕組みと、その私塾であるイシス編集学校に、望みを託している。なぜならそこでは、本を読むこととみずから書くことのなかに、絶対とも言える信頼を置いているからだ。「千夜千冊」は一八五〇冊を数えた。つまりは一八五〇の扉をもっている。その扉の前に立ちその扉を開けることで、古今東西の無数の本の世界に一歩を踏み出せる。

 本を読むとは、みずからの座標軸を得ること。それは世界という座標か、宇宙という座標か、無限につづく時間の座標か? 一八五〇の扉の向こうに、さらに扉がつづいていることを、私は知っている。

 何度も松岡さんといっしょにその扉を開けた。今回も。そしてこれからも。」

**(松岡正剛「あとがき2 ゴジラが上陸するまで」より)

*「ここに持ち出されるべきは「ゴジラ」なのである。おそらく「日の丸を背負ったゴジラ」だ。核兵器の根本矛盾が産出したゴジラは、昭和の前半の結末の総量を補填する想像力をかかえこんだとみなせよう。もう少し若い世代なら、「ゴジラ」ではなく「AKIRA」がディストピアを孕む視界体になりうるだろう。田中さんにとっては、それは石牟礼道子の『苦海浄土』だったのだろう。
 このような発想、やはり必要だったのではあるまいか。いやいや、「あとがき」で持ち出すことではなかったかもしれない。ぼくの「いないいない・ばあ」のクセだと思っていただきたい。」

□目 次

1 戦争が準備されていた

 昭和を問答するための問題提起
 戦争のための大義──一国の独立
 「日鮮同祖論」の問題
 近世日本人の地政学的センス
 国のかたちと、国家のあり方
 民権運動と国民が戦争を煽った
 満鉄経営と日韓併合
 第一次世界大戦で得たもの
 間接統治にこだわるわけ
 日本の権力システムの不思議

2 二つの戦争

 日中戦争への道程
 黄禍論が吹き荒れた
 戦争の動機をつくるための戦闘
 抬頭する共産主義
 迷走する日本と毛沢東の戦術
 日本軍に欠けていたもの
 フィードバックなき戦争

3 占領日本が失ったもの

 GHQ占領と一億総懺悔
 東京裁判をどうみるか
 原爆の資料館に足りないもの
 占領政策の転換と反共の砦
 憲法制定力と政治思想
 三島由紀夫が抱えそこねた昭和

4 生い立ちのなかの昭和

 敗戦後の東京・京都の風景
 日本の選択への違和感
 テレビも給食もアメリカさん
 戦争体験から受け取るもの
 安保闘争とのかかわり
 七〇年安保の行方と万博
 「あいだ」を編集するための「遊」
 不確定性の科学に学ぶ
 昭和が終わってしまう前に
 土俗日本とポップ日本
 フランス文学から江戸文学へ
 日本文化は閃光の

5 本を通して昭和を読む

 昭和を知るための本
 雑誌も本も読んでいた
 別世界としての小説
 同時代の体験を読む
 日本のナショナリティを読むための本
 日本の科学者たちの思索と情緒
 言葉の場所としての共同体
 石牟礼道子の言葉
 昭和は「祈り」と「憧れ」を失った
 梁石日が描いたもの

6 昭和に欠かせない見解

 昭和の闇を読み解く
 日本の古層を再生した折口
 コミューンをめざしたウーマンリブ
 ハードボイルドとニヒルの系譜
 日本のニヒルと時代小説
 石川淳と中村真一郎の読み方
 島田雅彦の自由について
 全知全能の神と天皇
 関係性のなかでの「自立」
 「虚に居て実をおこなふべし」
 関係のなかでしか生きられない
 名づけようのない色
 「いないいない・ばあ」でいく
 「世界たち」のために対話をする

 あとがき1 ともにとびらをあけてきた(田中優子)
 あとがき2 ゴジラが上陸するまで(松岡正剛)

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