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斉藤 倫『ポエトリー・ドッグス』/斉藤 倫「近代詩100年の「わからなさ」/『ポエトリー・ドッグス』刊行記念エッセイ」

☆mediopos2918  2022.11.13

斉藤倫『ポエトリー・ドッグス』は
『群像』に二〇二一年二月号から
二〇二二年四月号まで連載されていたもの

いぬのバーテンダーがカクテルだけでなく
おまかせで詩を出す店があり
主人公がその詩を読むという設定

全十五夜
一夜ごとに出される詩は二つ
どの詩も心に沁みる

決して軽い「ポエム」ではない
「わからない」詩だ
けれどたしかに届いてくる

群像十二月号に掲載されているエッセイは
その『ポエトリー・ドッグス』の刊行を記念したもので
タイトルは「近代詩100年の「わからなさ」」

「100年」というのは
斉藤倫が「文学上の特異点」と思っている
一九二二年からの100年である

一九二二年には
T・S・エリオットの「荒地」が発表され
ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』が出版され
マルセル・プルーストが没している

また同時代には曲者のエズラ・パウンドという詩人がいて
(「荒地」を発表まえに添削したという)
エリオットとパウンドはイエイツとつながっている

また同時代にはヴァージニア・ウルフ
そしてガートルード・スタインがいる

彼らはいわゆるモダニズムと関連した存在だが
その源にはE・A・ポーの翻訳を行ったボードレールがいて
マラルメ・ランボー・ヴァレリーへと
つらなっていく象徴主義がある

「近代詩100年の「わからなさ」」は
そうした「イズム」にある

その「わからなさ」なりに
斉藤倫は「象徴主義」を
「外界でも、内面でもあり、そのどちらでもないような
「象徴」を再発見することによって、
外界でも、内面でもない、
もうひとつの「世界」を構築できるという思考のかたちで、
ロマン主義と、自然主義を、ちょうどどっちにもつかず、
止揚する」ものとしてとらえ

さらに「モダニズム」を
「象徴主義がイズムの堰き止めとねじりあげだとしたら、
矯め、つきつめた流れを」「拡散させたもの」だととらえている

そのような一九二二年からの100年の詩の「わからなさ」が
『ポエトリー・ドッグス』では
いぬのバーテンダーの出す詩のかたちで
「わからない」ままに「わかった気」になるとでもいえるだろうか

第一夜の最初にいぬのバーテンダーの出した詩は
エリオットの「アルフレッド・ブルーフロックの恋歌」で
その最初の
「さあ、いっしょに出かけよう、君と僕と」の
「〈君〉が、だれなのか」が
最後の第十五夜の最後で
「わかった気」になるというエンディングがある

そんな『ポエトリー・ドッグス』は
軽い感じの読み物ではあるけれど
紹介されている詩はずいぶんと沁みてきたりもする

■斉藤 倫「近代詩100年の「わからなさ」/
     『ポエトリー・ドッグス』刊行記念エッセイ」
 (『群像 2022年 12 月号』 講談社 2022/11 所収)
■斉藤 倫『ポエトリー・ドッグス』
 (講談社 2022/10)

(斉藤 倫「近代詩100年の「わからなさ」」より)

「「ポエトリー・ドッグス」という連載をして、ことし本にしていただいた。
 (・・・)
 ことし二〇二二年というのが、どんな年かというと、一九二二年から百年だ。当たり前だけれど、それはぼくにとってただの年ではなかった。
「一九二二年というのは、文学上の特異点じゃないか」
 そうおもった日を、いまもはっきりおぼえている。
 (・・・)
 一九二二年、T・S・エリオットの「荒地」が発表された年。そして、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』が出版された年。じぶんの偏愛していた、文学史に燦然とかがやく二つの作品が、同い年生まれなのだ・さらには。これも大好きなマルセル・プルーストの没した年でもあったのである。ここにはなにかある! というぼんやりした予感が、それから三十年、刺草のようにちりちりと、ひっかかりつづけることになった・
 わからない、というのは、もはや詩の枕詞だけど、その詩のわからなさとはなんなのか。そして、どこからくるのか。詩の読者としても、詩人としても、抱きつづけた疑問なのだが。ふしぎとそれも、勝手につくった〈一九二二年問題〉を追いかけるうち、解けていくことになった。
 ジョイスは、「モダニズム」の作家といわれる。おなじくエリオットも、初期の「荒地」までは、という注釈がつくこともあるが、モダニストの詩人だとされる。このモダニズムというのが、どうやら鍵なんじゃないかと、まず、ふつうに気になってくる。
 調べると、同時代に、エズラ・パウンドという詩人がいる。かなりの曲者らしく。いろんなところに貌を出すのだけど、なんとあの「荒地」を発表まえに添削して、いまのかたちにした、いわば陰の立役者なのだという。」

「エリオットとパウンドのつながりは。ウィリアム・バトラー・イエイツだった。ふたりともが、ノーベル賞もとった(ちなみに二三年である)このアイルランドの詩人と交流し、つよく意識していや。エリオットは、はじめ反目してあいながら、おもむろに近づいたけれど、パウンドは、イエイツの秘書までやっている。それでは、ジョイスはどうだろうとおもうと、そもそもが同郷だった。若いころに、しっかりイエイツに憧れ、長じては、その反動のようにライバルになった。イエイツは、いわば、ひと世代まえの先輩で、エリオット、パウンド、ジョイスを、ふくざつ、かつ、直接につないでいる。
 もうすこし、モダニズムといわれる作家を見ていく。有名なのは。ヴァージニア・ウルフで、二二年には『ジェイコブの部屋』が出ている。五年あとの『灯台へ』は、モダニズムの代名詞的な手法、「意識の流れ」の到達点だけれど、そこにたどり着く途上で、ウルフは、『ユリシーズ』を読んだわけで、じぶんのやろうとしていたことと同じだと衝撃を受けた。モダニズムにおける、ふたつめの、まるかぶり案件だ。
 そして、ガートルード・スタインがいる。ジャンルをまたぐ、モダニズムの扇の要のような詩人であり、散文詩といっていいような小説も書いた。」

「イエイツ自身は、モダニズムに分類されず、象徴主義との架け橋になった、と評されることが多い。

(・・・)

 「そもそもイズムがわからない」

 このなんとか主義が、びっくりするくらいややこしい。とにかくやっかいで、いちど調べはじめたが最後、どんどんわからなくなる。こんなものはなんの意味もないというひともいて、すこしほっとしたりするけど、ほんとうは、意味がないのかどうかも判断できないくらいわかってない。
 わからないなりに、年表をにらみ、おもなイズムをひろってみると、ルネサンス以降の、新古典主義ともいわれる、合理的で、機械論的な世界観のなかで、ロマン主義、自然主義、象徴主義が、あらわれる。
 このイズムたちをいちどでも掘り下げようとしたひとはわかるとおもうけど、さまざまな面々がさまざまな立場で定義し、それがことごとく一致しない。この底なし沼というか、紙魚のすみつくダンジョンには、きっと理由があって、ひとつは、イズムが文学だけでなく、美術、音楽などの他のジャンルに派生して、だれもじぶんのポジションの文脈で前置きなく用いるからだ。
 さらに、国によって受容のされかたがちがう。作家が越境し、作品は翻訳されて、伝播していくのだけれど、その引越し先の社会環境によって根づきかたが変わるし、同じイズムなのに時代がびみょうにずれていく。
 そもそもおおきいのは、作品がつねに属人的だということで、どんなに影響力があるイズムでも、その地に、それを引き受ける作家が生まれないこともあるし、芸術は長く人生は短いとはいいつつ、ひともおもったより長く生きて、前半の作品はなんとか主義で、後半はちがう主義というややこしいことも起こる。

(・・・)

「こういうものは、意識的に、おおづかみにするのがいい」
 という境地にけっきょくぼくは至ったのだけれど、おおづかみが雑で、こづかみが正確ということでもなくて、木を見て森を見ずというが、ほんとうは森を見ずに木を把握することはできないし、木を見ないで森を理解することもできない。
(・・・)
「ポエトリー・ドッグス」では、できるだけ、おおづかみに語った。
(・・・)
 イズムとは、社会をともなってうごく思考の動き(・・・)といえばいいだろう。時代が、ルネサンスをへて、合理的で、機械論的な世界観の浸透を、けっして押し戻せないように進むなかで、それを超えた理念や、ひとの内面の領域に立とうとする「ロマン主義」が生じ、その内面させ、科学的にとらえられるのだとする「自然主義」があらわれる。
 そしてそれは、物自体(外界、と、くだいてもいいけれど)をどう把握するか、そもそも可能なのかという、哲学につきまとう問題と、きれいな対比をなしていることに気づく。
 そうしたイズムは、さまざまな分野を横断しながら、まえのイズムへのカウンターや、揺り戻しのようにして。波打っていくのだけれど、十九世紀、ついにそれを堰き止めるようにあらわれたのが、「象徴主義」だと思う。
 いうなれば、外界でも、内面でもあり、そのどちらでもないような「象徴」を再発見することによって、外界でも、内面でもない、もうひとつの「世界」を構築できるという思考のかたちで、ロマン主義と、自然主義を、ちょうどどっちにもつかず、止揚するような具合になっている。(・・・)
 ボードレールを嚆矢とし、マラルメ、ひいては、ランボー、ヴァレリーへつらなる象徴主義、おもにフランスで展開された時の流れが、実は、ボードレールによる、E・A・ポーの翻訳に端をなすことも、ぼくには、肝のように思える。アメリカ人のエリオットが、イギリスに帰化して、モダニズムの基礎にかかわったことや、パウンドが、ロンドン、パリ、イタリアと移り住み、アメリカで、反逆罪の告白をされたことも、もちろんスタインによる国やジャンルの越境だってそうだ。
(・・・)
 象徴主義がイズムの堰き止めとねじりあげだとしたら、矯め、つきつめた流れを、(おそらくは急速な社会の変化を背景に)拡散させたものが、「モダニズム」といえるのではないか。
 科学的精神や、理性は矯むことがないわけで、「象徴」の苗床である「われ」じたいに照準をうつし、じぶんを食らうウロボロスのように、注視していったのだろう。この時代、最新の「われ」は、おもに「意識」と「言語」を指していて、そのことがモダニズムのカラーをきめたと思う。
 同時代の「モダニズム模様」と呼ばれるものが、さらに、理解のほ補助線になるだろう。おもなものに、「ドイツ表現主義」、「ロシア構成主義」、「新即物主義」など、挙げていくだけで、からだのあちこちがなんだかイズムイズムしてくるのだが。」

(斉藤 倫『ポエトリー・ドッグス』〜「第十三夜」より)

「本当は、うしなうことではなく、うしなうまいとすることが、苦しいんだとしたら、
 じぶんをぶちまけた先は、恐ろしい無ではないのかもしれない。その〈バッドランズ〉では、うしなうことと、うまれることに、もう差がないような、見しらぬ愛が、発酵していて————。
「かがえすぎないことですよ」
 マスターの声だろうか。それとも、夢だろうか。
「医者も、そういってた」
 ぼくは、いった。それも、夢かもしれない。「草だって」
じぶんを、風に吹かれている草だと思え、と。東から吹いたら西になびいて、北から吹いたら南になびく、それだけをおもってください。あとはなにもかんあげないように。けっしてなにも。
 うしなって、じぶんが、できる。そのじぶんまでも、うしなってしまわないように。ぼくらは、守る。たくさんのことばで、鎧って、覆って。でも、それでは、うしなったものは、うしなわれたままだ。
 たくさんのことばで、できた、じぶんを、ぶちまけてみる。そのとき、野の花は、ぼくらを、見ていてくれるだろうか。」

(斉藤 倫『ポエトリー・ドッグス』〜「第十五夜」より)

「最後なのに、なんだけど」
 ぼくは、にがわらいした。「やっぱり、詩は、わからない」
 だけど、胸は、なみうち、高鳴る。ある、と、ない、とが、けっしてべつのことではなく、こんなに、そばによりそっている。
————なんてすてき
 これからは、ただひとりで、歩いていくとおもっていたのの。
「ひとりではないのです」
 マスターは、うなずくように、かすかに口吻をさげた。
 エリオットの詩が、よみがえる。
————さあ、いっしょに出かけよう、君と僕と。
 にんげんは、にんげんのそとに出るのはむずかしい。わたし、のそとに出るのは、もっと。にんげんだけど、歩いてきたんだ、この道を、ずっと。
〈君〉が、だれなのか。
 そのとき、ぼくには、わかった気がした。」

[斉藤 倫(さいとう・りん)]
1969年生まれ。詩人。2004年、『手をふる 手をふる』(あざみ書房)でデビュー。14年、はじめての長篇物語『どろぼうのどろぼん』を発表。同作で第48回日本児童文学者協会新人賞、第64回小学館児童出版文化賞を受賞。おもな作品として『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』、『さいごのゆうれい』(以上、福音館書店)、『新月の子どもたち』(ブロンズ新社)。絵本に『えのないえほん』(絵 植田真/講談社)、うきまるとの共作で『はるとあき』(絵 吉田尚令/小学館)、『のせのせ せーの!』(絵 くのまり/ブロンズ新社)。詩集に『さよなら、柩』(思潮社)など。また『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』(PARCO出版)に編集委員として関わる。

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