高橋睦郎『深きより/二十七の聲』
☆mediopos-2302 2021.3.6
詩人の高橋睦郎はまだ若い頃から
もたらされたポエジーを孕み
これを肉化し詩として生み出す
その過程が詩人の仕事だと言っていた
そして詩作するためには
伝統へと冥界下りをしなければならない
高橋睦郎に
『語らざるものをして語らしめよ』
という詩集があるように
ポエジーの言葉は
ほんらい霊界にあって
「語らざるもの」の言葉を
詩人の肉を通じて
「語らしめ」るものでなくてはならない
能楽師になるためには
みずからの「肉」をして「型」となし
その「型」によってこそ演じ
さらに「型」を超えてゆかねばならないように
詩人は伝統へと冥界下りをしながら
「肉化(インカーネーション)による引き寄せ」を
事としつつそれを超えてゆかねばならない
本書では稗田阿礼から河竹黙阿弥まで
「二十七の聲」に語らせる試みを行い
さらにその晩年に交流の深かった三島由紀夫
そしてその決起の際ともに割腹自殺をした
楯の会の森田必勝と対話を試みている
「語らざるものをして語らしめ」ること
そのために森田必勝との対話も必要だったのだろう
高橋睦郎は彼らにも深く関係していたがゆえに
その詩作の試みは
霊の言葉の解放にもつながるものでもあったはずだ
現代詩人のなかで
伝統という冥界に下れる詩人である
高橋睦郎は稀有の存在だ
その営為にならって
わたしたちはダンテのごとく
地獄へ煉獄へと冥界下りをしながら
さまざまな「語らざるもの」の聲を肉化することで
詩として語らしめた霊を解放してゆかねばらない
ポエジー/ポイエーシスとは
そうした秘儀の行為にほかならないのだから
■高橋睦郎『深きより/二十七の聲』(思潮社 2020.10)
■高橋睦郎『語らざるものをして語らしめよ』(思潮社 2005.7)
「現代の詩人にとって冥界とはひたすら伝統のことではないか。」
「稗田阿礼、額田王から、蕪村、河竹黙阿弥まで、古代から近世にいたる先人の霊をして、その詩心を語らしめる。日本語詩歌との長い歳月を結実させた、空前絶後の試み。<三島由紀夫>との交信・対話を付す。」
(「伝統という冥界下り/重ねての代跋」より)
「詩歌の先人たちの霊を呼び出して彼等それぞれの詩歌との関わりを語ってもらうという永年の懸案を何とか果たしたのち、なお私には落ち着かないものがあった。古代から近世までの詩霊たちに対する巫祝の真似ごとの後ろめたさから解放されるには、もっと近い時代の誰かと親しく語ることができればすこしは気持が楽になるかもしれない。とすれば、その誰かとは誰か。旧詩歌と深く親しみこれを刷新すべく海波詩移植の試みに当たった鴎外漁史森林太郎か、旧詩歌世界の各時代に易易と出入りが可能だった釈迢空折口信夫か。
そのどちらでもなく詩人になることを熱望してそれに挫折した三島由紀夫平岡公威だとの結論に達したのは、二年余にわたる連載終了から半年以上を経過した二〇一九年初秋のことだった。私は三島とはその死までほぼ六年間比較的近い関係にあり、ことに最晩年の一年間はかなり頻繁に会っていた記憶がある。彼となら単なる架空を超えた対話が可能かもしれないと思ったのだ。」
「同じく言語を媒介にしていても、詩人は霊能者ではない。ことに現代、二十一世紀を生きる詩人たちは霊の存在にも他界の実在にもいよいよ確信が持てなくなってきている。そんな現代の詩人にとって冥界といえるのは、過去の先人たちの場合にもましてひたすら詩歌伝統のことではないか。冥界の旅は大主題のダンテ・アリギエリ『神曲』の地獄は煉獄を経て天国へとつづく。私をして言わしめればダンテの天国は究極の冥界。詩人を含む人類がげんざい余儀なくさせられているこの未曾有の閉塞状態は、窮極の冥界に到達するのに通過が必須の煉獄に喩えるのに、まことにふさわしい。
詩歌伝統に繋がるのは名を持つ人びとだけではない。その末端には詠人不知(よみびとしらず)の世界があり、さらにその知られざる詠人たちに霊感を与えた貌のない無数の人びとがある。彼らのひとりひとりが森田の霊のいう固有の人生を持っていたはずだ。私が三島の霊につづいて森田の霊との交流を試みた意味も、思えばその辺にもあったのだろう。」
「詩歌の伝統を振り返って、明治以降の近・現代詩が欧米のpoem/poèmeの影響を受けただけでなく、わが国の旧体詩歌も欧米の詩歌に刺激を与えたということに安堵したいわけではない。現代の私たち、日本語の詩に関わる者がそういう伝統の奥深い力に無自覚でありすぎたことに驚き、そこに降りていって母国語の詩心の「寒泉(しみづ)」を汲むのでなければ、伝統の意味も振り返る意義もないだろう、と言いたいのみだ。そして、それを試みるのに世界同時鎖国閉市・蟄居禁足状態の現在ほどふさわしい時はないのではないか。」
「思いついたのは最近知った霊能者のK子さんだ。霊能者といってもK子さんにはおどろおどろしいところは微塵もない。(・・・)依頼者と自分との降霊の場もセッションと呼んでいる。私自身は死者の霊の存在に対しては在るとも無いともいえないニュートラルな立場だが、すくなくともK子さんが真に感じたことしか言わない正直な人だということだけは信じている。そこでK子さんに森田の降霊を頼んだ。」
「森田は、世間では死後の自分は死んだ三島の付録としか思われていないが、自分には自分の人生があった、そのことを誰かに伝えたいが、伝えたい人はどんどん減っていく。残っている人とも交流の手段がない。今日はこうして高橋さんとお話ができてすごくうれしい、と話しはじめた。自分は幼い頃からずっと他人の愛情に飢えていて、三島先生に遇ってこの人なら自分をわかってくれ受け止めてくれると思った。しかし、あの人は結局自分自身しか愛してなかった。死んだ後でそのことがわかった。」
「K子さんのいうセッションが終わった後で考えるのに、私はほんとうに森田と対話できたのだろうか。私に言えるのはK子さんの態度にもじんも演技や虚偽の要素がなかったことだけで、私と森田のあいだに霊の通信ができたかどうかは確信をもってどちらと言うこともできない。それは霊能者であるK子さんの問題ではなく、依頼者である私の問題だからだ。K子さんと私との共通点は言葉を媒介にして仕事をしていることだ。K子さんは言葉を媒介に霊たちと交信している。だが、私は同じく言葉を媒介にしているにしても霊たちと交信しているといえるのだろうか。かつて、私は何人か霊能力を持つといわれる人びとに霊能者の資質を指摘され、自ら積極的に開発することを進言されたことがある。しかし自らは言葉を媒介に詩を求める者にすぎないと思ってきたし、その思いは現在も変わらない。三島の霊と何とか対話ができたのも、生前の彼自身が広い意味での詩を求める者だったからだろう。古代からの自国語の詩歌の先人たちの降霊の真似事を試みたのも同じ理由からだ。
それは私の発明というわけではない。先人たち自身がそれを実行している。たとえば芭蕉だが、彼の最期の句「旅に病で夢は枯野を駈け回る」は彼の敬慕する先人宗祇の死の床での譫言めいた短句「ながむる月に立ちぞ浮かるる」への付合の長句とはいえないだろうか。芭蕉の大坂御堂筋旅宿花屋での客死が宗祇の『筑紫道記』をなぞりその先を目指す旅の途次だったことを思えば、じゅうぶんに考えられることではないか。また、それに先立つ「おくのほそ道」の旅が宗祇に加えて同じく敬慕の対象である西行のまねびであること、つとに指摘されるとおりだ。
それは芭蕉にとって先人たちの生きざまの追体験、言い換えれば彼らの霊との交流、冥界下りだった、といえよう。事情は先人たちにとっても同じで、それは歌枕の旅と呼ばれ本歌取りと呼ばれた。逆にいえば歌枕といい本歌取りといわれるもので降りていく伝統の深淵は、この国の詩歌の徒にとっての冥界だった。その冥界を単なる抽象的な過去にしないためには。それなりの心構えというか手つづきが必要だった。それを私の言葉でいえば肉化(インカーネーション)による引き寄せである。」
(『語らざるものをして語らしめよ』より)
「私たちの隠れたる者たちは 語らない/たとえば 見上げる樹のそよぐ葉ごもり/除き込む井戸の底の揺れる水面/いたと思うと たちまち向こうむき/次の瞬間にはゆっくり 消えている/そのくせ突然 暴風雨となって空を奔り/稲妻とともに落下して 窓硝子を灼く/かと思うと朝 両掌に受ける水しぶき/光に泳ぐ埃の粒子に入って つぶつぶ/路上で君と話しているつもりが 彼ら/放している私自身 彼らだったりする/逃げても 逃げても 行く手に先まわり/忘れようとしても 夢の中に待ち伏せ/この いたるところにひそんで 私たちを/いつか支配している顔のない者らは 誰?/彼らがどうしても語らないなら/変わりに 私たちが語ること/彼らに語るための口がないなら/代わりの歯と舌になること/語らざる者をして語らしめよ/闇をして闇のまま立たしめよ」
(『語らざるものをして語らしめよ』〜「神話の構造のためのエセー」より「神神」)
「原則として無数にある。たとえば、すべての自然現象がすなわち別の神の顕現である。そればかりか、ひとつの自然現象の各段階でさえ、それぞれにひとりの神格の誕生なのである。このようなたえず顕現する神は、同時にたえず身を隠す神であって、そのような神神のありようは現在の神概念かた最も遠く、人間よりはるかにはかない生命しか持たない。」
(『語らざるものをして語らしめよ』〜「神話の構造のためのエセー」より「詩の誕生」)
「人間が神神から決定的に分離されたとき、神謡から詩がちぎり捨てられた。この誕生のいきさつを否んだところに、詩の認識はありえまい。もし神の栄光を言うなら、詩の栄光は神性からの追放のコムプレクスに発しているはずである。」