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藤田正勝「柳宗悦がたどり着いた「民芸」という答え」(『日本哲学入門』)/赤木明登・堀畑裕之『工藝とは何か』
☆mediopos3655(2024.11.21.)
藤田正勝『日本哲学入門』から
藝術と工藝に関するテーマが
講談社ホームページ(現代新書)において
「「芸術は高尚であるべき」という「常識」に
ノーと突きつけた日本人がいた…
柳宗悦がたどり着いた「民芸」という答え」
としてとりあげられている
岡倉天心は「美術家」と「職人」(「工人」)とを区別し
工人が作り出す「工藝」は低い価値しか持たないとしたが
「民藝運動」を進めた柳宗悦は
そんな「美術を上に置き、工芸を下に置くような見方に、
明確な反対の声を挙げている」
「もともとはすべての絵画や彫刻が工芸性を有していた」が
近世における個人の自覚(我の自覚)を経て「美術」が生まれ
美術と工藝とが分離することになり
「美のためにという「純粋性」の故に、美術が上位におかれ、
生活のためにという「不純性」の故に、
工芸の方は下位に置かれ」ることになったが
柳宗悦は「生活と結びついた美は、ほんとうに
おとしめられるべきものであろうかという問い直しを行」い
「本当の意味で人間を幸福にするものは、
そのような偉大な美ではなく、
生活のなかに現れる「尋常の美」ではないのか、
ということを主張した」
民藝運動が提唱された一九二六(大正)年から
百年近く経った今年二〇一四年三月
奇しくも能登半島地震が起こった年に
赤木明登・堀畑裕之『工藝とは何か』が刊行されている
そのなかに収められている
荒谷啓一×赤木明登「民藝の核心」において
最後に赤木氏はこう語っている
「民藝も百年経ったんだから、そろそろ更新しないとね。」
柳宗悦は民藝を宗教的真理と繋げてとらえ
手仕事と宗教性を結びつけて考え
「手の動きが頭の支配を離れて、心の深いところで
素材と向きあうことができるようになったときに、
その人のより深い部分だったり、
その人を超えたりしたものが手をとおして形になる。
そこが宗教性に結びつく」とした(荒谷)
つまり柳宗悦は他力即自力という視点から
自分を超えたものが出会う
「「一」の美醜がない世界」を目指していたといえる
しかし柳宗悦が「素材」でも「森」でもない
「即如」という意識それ自体を
「言葉でとらえられない」宗教性としてとらえたのに対し
赤木氏にとってその「語りえないもの」は
「対象として自分の外にある」
「現象としての自然の背後にあって、
人間の理性ではとらえることのできない自然」を感じる
ということに「宗教性」を見出しているように
「二十一世紀における「信」をいかに見つけるか」が
民藝運動から百年後の課題となっている
赤木氏は語る
「ぼくと自然は、合わせ鏡のようなもの」で
「漆という対象に接することによって、
そこが鏡のようになっていて自分の姿が鏡に映る」
「自己が、そこに映し出される」
そのことでそこに「その人の個性的なものが出てくる」
道元が「萬古碧譚(ばんこへきたん)」と呼んだ
「人間の心のいちばん底にあるありよう」に
「ぼくの外にある自然が映り込んでいる」と同時に
それが「漆の膜の表面そのもの」となっている」・・・
このことはいうまでもなく
工藝だけにいえることではないだろう
私たちと私たちが対象化しているものとは
「合わせ鏡のようなもの」で
対象と接しそれに働きかけるとき
「自己が、そこに映し出され」
そこに「その人の個性的なものが出てくる」
それはものを「作る」ことだけではなく
あらゆる表現行為としてのポイエーシスについて
いえることだろう
その意味において
「藝術家」と「職人」は別の存在ではありえない
ときにかつての岡倉天心のように
「職人」や「工藝」を低い価値としてみなす
芸術家の発言を目にすることがあるが
そうした自称芸術家とその作品は
芸術の名に値するとはいえないのではないか
■藤田正勝「「芸術は高尚であるべき」という「常識」に
ノーと突きつけた日本人がいた…
柳宗悦がたどり着いた「民芸」という答え」
(現代新書(講談社ホームページ)2024.10.23)
■藤田正勝『日本哲学入門』(講談社現代新書 2024/1)
■赤木明登・堀畑裕之『工藝とは何か』(泰文館 2024/3)
**(「「芸術は高尚であるべき」という「常識」にノーと突きつけた日本人がいた…
柳宗悦がたどり着いた「民芸」という答え」より)
・「美術家」と「職人」
「明治期の思想家、岡倉天心は「美術家の覚悟」という講演のなかで「凡庸の職工人たるに至りては、何等の点にか特殊の尊敬を払うべき」と主張していた。天心は「美術家」と「職人」、あるいは「工人」とをはっきりと区別し、「工人」を「米櫃のために制作をする人」として、はっきりとおとしめる言い方をしている。
しかし「工人」、あるいは工人が作り出す「工芸」は低い価値しか持たないのかというのは、深く考える必要のある問いであろう。たしかに「芸術のための芸術」、つまり他の目的のために作りだされる芸術ではなく、純粋に芸術的・創造的意欲から生みだされる芸術にこそ価値があるという考え方もある。そこには一理あるが、しかし生活のなかにある工芸のなかにもまた美が存在するのではないだろうか。
そのことをとくに主張した人に柳宗悦がいる。柳は名もなき職人が作り、民衆がその日々の暮らしのなかで用いている器や家具、織物の美に注目し、「民衆的工芸」、つまり「民芸」の価値を再認識し、手仕事の文化を守り育てる運動、いわゆる「民芸運動」をリードした人として知られる。その代表的な著作の一つである『工藝文化』(一九四二年)のなかで柳は、美術を上に置き、工芸を下に置くような見方に、明確な反対の声を挙げている。
『工藝文化』のなかでも言われているが、絵画や彫刻はもともと生活と密接に結びついたものであった──「生活」のなかには衣食住だけでなく、宗教に裏打ちされた生活をも含めて考えてよいであろう──。そこでは作り手の創意ということよりも、生活上の必要性の方が、より大きな意味をもっていた。そういう意味で、もともとはすべての絵画や彫刻が工芸性を有していたと言ってもよい。つまり「美術」というもの、言いかえれば、見るためだけに描かれた絵や、見るためだけに刻まれた仏像というものはなかったのである。
近世における個人の自覚──柳は「我の自覚」という言い方をしている──を経て、はじめて「美術」が生まれたと言うことができる。個人の創意(creativity)に基づいて、あるいは画家自身の個性を表現するために絵を描くということがなされたのである。」
・「美の大道」とは
「そのように見るために描かれ、刻まれるということ、言いかえれば創作が自律的(autonomous)なものになるとともに、美術と工芸とが分離したのである。そして美のためにという「純粋性」の故に、美術が上位におかれ、生活のためにという「不純性」の故に、工芸の方は下位に置かれた。
それに対して柳は、生活と結びついた美は、ほんとうにおとしめられるべきものであろうかという問い直しを行ったのである。
そういう問い直しの根底にあったのは、柳の独自の美の理解であった。それを柳はこの著作において「無事の美」と表現している。この表現は禅からとられたものである。たとえば『臨済録』において「無事はこれ貴人、ただし造作することなかれ」という表現がある。無事の境地にすむ人こそ貴いのであり、強いて事を作為するようなことをしてはならない、という意味であるが、このようなことばを踏まえて「無事の美」ということが言われている。
近世、あるいは近代における個人の自覚に基づいた天才の芸術においては、個性的なもの、卓越したもの、非凡なもの、日常性を超えたものが価値のあるものとされた。言いかえれば、強烈なもの、刺激の強いものが美とされた。そういったものをあえて作りだすところに芸術の意義が見いだされたと言うことができる。
それに対して柳は、本当の意味で人間を幸福にするものは、そのような偉大な美ではなく、生活のなかに現れる「尋常の美」ではないのか、ということを主張したのである。もちろん柳も天才の偉大な美を否定しようとしたわけではない。そうではなく、それとともに、「個人の泉からは発しない美」というものがあるのではないか、ということを言おうとしたと考えられる。
偉大な天才的芸術家が生みだす美は、道にたとえれば、凡人が決して歩むことのできない険阻な道である。それに対して、工芸品がもつ美は、誰でも行くことのできる平坦な道である。もちろんそれなりのものを作り出すためには修業が求められるが、しかし、修業さえ積めば、天才でなくてもその美を生みだすことができる。そういう観点から言うと、天才が歩む険阻な道は、むしろ「傍系の道」であって、工芸品の美の方が、「美の大道」なのではないか、ということを柳は主張しようとしたのである。」
**(赤木明登 ・堀畑裕之『工藝とは何か』〜
荒谷啓一×赤木明登「四章/民藝の核心」〜「[二]暮らしに奉仕するもの」より)
*「赤木/民藝と宗教的真理の繋がりが見逃されて、美的な「もの」だけが展開してしまっている傾向はありますね、そこに精神性を回復させるには?
荒谷/柳は民藝品の特性として、実用性、無銘性、複数性といった九つの性質を挙げていますよね。いま目にするもののなかには、そういった条件を表面的に満たしていても、柳が考えていた民藝とは言えないものも多いと思うんです。だからそれらの特性を柳が挙げた理由を内側から理解する必要がある。そういった特性は、柳の思想とどのように繋がっているのかということです。柳が説く他力にしても、仏教的だからといって、時代遅れとは言えないと思います。なぜなら人間の心の構造というものは、そう簡単に変わるものではないからです。ただ他力は、自我意識が消滅したときに、存在の原理によっておのずから救われるということなので、自我意識が強い現代においては簡単ではないのかもしれないなとは思います。
僕はぶっきゅおにおいて、悟りに至るための道がいろいろあるように、工藝の道にもいろいろあっていいと思っていて、自己と向きあうことで、身体性をとおしてその人の深い部分が出るというような自力の道を行くのもいいと思うんです。それも厳しい道ではありますが。
赤木/身体から滲み出る個性があるとしても、そこが目的ではないですよね。心の深いところにおりて行くと、そういう個別性も、やがて消えて、聖性があらわれます。黒田泰蔵さんは、同じことを「人の個性なんてたいしたことはない。行きつくところにあるのは宇宙の個性だ」と仰有っていました。
荒谷/赤木さんが弟子入りしたとき、最初に自分が使う刃物をつくらされたという話があったじゃないですか。使っていくうちに刃物が自分の身体の一部になっていったという。同じ動きを繰り返すうちに、頭が手を動かす状態から、手の動きが身体知というか、心の深い部分と結びついていく。
柳が手仕事と宗教性を結びつけて考えた理由のひとつはそこにあると思うんです。仏教の修行でも同じことを繰り返すことによって、分別心を鎮静化させ、心の深い領域に入っていくということをしますが、それと同じように、手仕事においても同じことを繰り返すうちに、手の動きが頭の支配を離れて、心の深いところで素材と向きあうことができるようになったときに、その人のより深い部分だったり、その人を超えたりしたものが手をとおして形になる。そこが宗教性に結びつく。だからこそ手仕事なんだと。
赤木/そこを使う側も求めているわけですね。
荒谷/自己のはからいをなくす他力道も、自己をギリギリまで追い求める自力道も、どちらの道も同じく自分を超えたものに出会うところまでつづいています。そこに至ったとき、深い美しさを持ったものが生まれると思うのです。
工藝に共通しているのは。身体を使ってものをつくるということで、民藝の考え方を信奉していようが、別の考え方だろうが、その人が心の表層的なところでつくっていれば、つまらないものになってしまうだろうし、自分と向きあって、深いところから生まれたものには、その人がどの道を歩んでいようと人の心を動かすものができるんじゃないか。
大切なのは、頭だけでつくらないこと。人間の心は多層的にできていて、優れた藝術が生まれる領域というのは、無意識の深いところにあります。その無意識の領域をさらに深いところに進んで行きついた果てが、柳の目指していた「一」の美醜がない世界。進む方向さえ間違っていなければ、辿りつくところは同じなので、道はどの道でもいいんじゃないか。いまはそういうふうに考えています。
赤木/そのためには、二十一世紀における「信」をいかに見つけるかですね。」
**(赤木明登 ・堀畑裕之『工藝とは何か』〜
荒谷啓一×赤木明登「四章/民藝の核心」〜「[四]真理と美の結縁」より)
*「荒谷/柳も赤木さんも、言葉でとらえられないものを宗教性と繋げて考えている点は同じなんです。でも柳の場合、その言葉でとらえられないものというのは「即如」という意識それ自体で、素材でも、森でもありません。
赤木/ぼくの場合「語りえないもの」というのは、カントの「物自体」のことで、対象として自分の外にあるんですね。
荒谷/(・・・)赤木さんの言われる神秘は、柳の宗教性とは違ったものだと思うんですけど、どちらも重要な考え方だと思っているんです。僕は、赤木さんには、近代人の知性と、古代的なアニミズム的な感性が混じった印象を受けるんですよ。
赤木さんが言われる宗教性とか神秘とかいうのは、柳のような仏教的な宗教性というよりは、縄文時代の人たちや、ラスコーやアルタミラの洞窟の壁画を描いた人たちのように、自然とか動物の背後にあって、その生命を生みだしている何者かに対して思考したり、信仰したりしていた人たちが持っていた宗教性のほうにより近いんじゃないかなという気がするんです。
(・・・)赤木さんは、現象としての自然の背後にあって、人間の理性ではとらえることのできない自然を感じることを「宗教性」と呼ばれていると思うんです。
器も、動物や植物の生命をいただくための道具で、漆のお椀の形も色も、そういう自然観や生命観に関係しているという考え方も、柳のような仏教をベースにしたものとは違うように感じられるんです。
赤木/合わせ鏡というか『二十一世紀民藝』にも書いたけど、人が自然の素材を対象化することによって心が生まれてきたと、ぼくは考えています。漆という対象に接することによって、そこが鏡のようになっていて自分の姿が鏡に映るというふうに感じるんですよ。自己が、そこに映し出される。だからつくるものには、おそらくある意味その人の個性的なものが出てくるんでしょうね。ぼくと自然は、合わせ鏡のようなもの。
人間の心のいちばん底にあるありようを、道元は「萬古碧譚(ばんこへきたん)」と呼びました。そこにぼくの外にある自然が映り込んでいる。同時に、それはぼくにとって、漆の膜の表面そのものなんです。そこに心というか、ぼく自身も映り込む。そうやって工藝が成り立っている。ちょっとイメージ的な世界ですけどね。」
*「赤木/(縄文土器を見ながら)ぼくはこの波を、まあ草木というより森の全体性ですけど、ここには「在って無きが如きもの」という感覚そのものは具現化しているんではないかと思うんです、
荒谷/柳がもっと早い時期に縄文に出会って古い時代について研究する時間が残されてたとしたら、柳の民藝理論というか、民藝についての考え方がどうなっていたか、変わったか、変わらなかったか興味ありますね。
赤木/それは我々がやりましょう。民藝も百年経ったんだから、そろそろ更新しないとね。」