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エマニュエル・トッド『西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか』/ハナムラチカヒロ『まなざしの革命 世界の見方は変えられる』

☆mediopos36456(2024.11.22.)

「オールド・メディア」という言葉が
公然としかも説得力をもって使われるようになったのが
先日の兵庫県知事選挙である

「おまえはもう死んでいる!」といった言葉が添えられながら
「流行語大賞」にさえ選ばれるかもしれない
(「オールド・メディア」は
 みずからをそう呼びたくはないだろうが)

「オールド・メディア」とは
新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどといった
旧来から存在する報道媒体ないし報道機関のことを指す

東京都知事選挙でも衆議院議員選挙でも同様な傾向は見られたが
兵庫県知事選挙がエポックとなり
「オールド・メディア」という見方は分水量を超え
今後ますます凋落へと向かっていくことはたしかだろう

「オールド・メディア」での報道は従来
情報を得るソースとして信頼されてきたのだが
コロナワクチンにおける報道/広報や
マイナカード/マイナ保険証における報道/広報などへの
「まなざし」は大きく変わってきている

アメリカ大統領選を皮切りに
今度は兵庫県知事選挙においても同様に
「オールド・メディア」における報道が
きわめて偏向したものであることが
白日の下に晒されはじめているのである

「オールド・メディア」において
「世論」を誘導しようとしてきた人たちは
今回その予想が大きく外れたことに対し
「大衆」の「無知」ということを挙げていることも多かったが

「オールド・メディア」の主要な視点を形成しているのは
識者・有名人及び高学歴層を中心に
「無知な大衆」を導こうとした人たちである

彼らはじぶんたちの「知性」を疑うことがないために
それが偏向し錯誤しているかもしれないとは考えない
「無知の知」とは無縁だからである
しかもそこには多くさまざまな利権や権力が結びつき
そうしたものへの欲望や呪縛のなかに閉じ込められている

「パンデミック」とされる社会現象が起こって以来
現在までの数年間そして今後の数年間は
世界全体で演じられている象徴的な「劇」のようだ

そしてその「劇」に参加しながら
同時に観劇している私たちは
そこでトリックスターの演技に目を向ける
シリアスなまでの楽しみを得ているともいえる

兵庫県知事選挙において
トリックスターは立花孝志であり
アメリカ大統領選挙においては
ドナルド・トランプそのものも含め
ロバート・ケネディJr.やイーロン・マスクだろう

彼らは「変化」に分水量を超えさせるための
重要な役割を演じているともいえそうだ

いままさに私たちが生きている時代に
現在進行形で起こっている「劇」に対して
どのような視線を向けるかによって
私たちはある意味で二極化されていくことになるだろう

こうした「まなざし」の変化については
ハナムラチカヒロ『まなざしの革命』が
その基本的な視点を与えてくれている

また先日日本語版が刊行されたばかりの
エマニュエル・トッド
『西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか』においても
まさに自滅しようとしているアメリカと欧州の現状や
それに対する日本の選択の可能性についての「見方」が
説得力をもって示唆されている

こうした示唆に対し私たちができるのは
『まなざしの革命』において語られているように
「世界を変革させる代わりに、
私たちがまず自分を変革すること」
つまり「自分のまなざしに革命を起こすこと」だろう

そうすることで世界は異なった相貌を帯びてくるだろうし
今演じられている「劇」をどのように観劇し
ときにどのようなかたちでそこに参加するかを
考えていくこともできる

■エマニュエル・トッド(大野舞訳)
 『西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか』(文藝春秋 2024/11)
■ハナムラチカヒロ『まなざしの革命 世界の見方は変えられる』
 (河出書房新社 2022/1)

**(エマニュエル・トッド『西洋の敗北』
   〜「日本の読者へ————日本と「西洋」」より)

*「本書は、日本の保護がなければ掛けなかっただろう。二〇二二年二月のロシアによるウクライナ侵攻後、西ヨーロッパが受けた精神的ショックはあまりにも大きく、そこでは長い間、独立した思考は不可能になってしまった。ロシアとアメリカの間で始まったこの紛争について、たとえばフランスのような国にいながら歴史学者、そして人類学者として客観的に考えることは知的な意味で危険なこととなった。こうして私は、自国でおよろ八ヶ月間、沈黙を保たねばならなかった。

 しかし私は日本において、まずは雑誌『文藝春秋』〔二〇二二年五月号〕のインタビューで、そして、大きな成功を収めた〔発行部数約一〇万部〕書籍『第三次世界大戦はもう始まっている』〔文春新書、二〇二二年六月刊〕を通して発言することができた。こうした成功があったからこそ、日本という偉大な国(西洋陣営の民主主義国の一つ)の威信に守られながら、私はその後、フランスでもメディアの記事やインタビューを通して議論の場に戻ることができた。そこからこの戦争に関する私の考えはさらに進展し、洗練され、二〇二三年夏には本書『西洋の敗北』を執筆することができたというわけである。」

*「西洋の危機の核心は、アメリカ、イギリス、フランスにある。そもそもこれらの国においては、政治的危機がすでに如実に現れている。ウクライナ戦争の当事国としてはあまり重要ではなかったフランスだったが(兵器の生産がすくなすぎる)、この最終段階に来て重要な当時国になってきた。というのも、フランスは西洋同盟諸国の中でも、対ロシア制裁の影響で、経済と政治体制が最初に崩壊しそうになっている国だからだ。対ロシア制裁は、ヨーロッパ経済をストレス状態に陥れた。マクロン大統領の非合理的な行動、国民議会(下院)の解散、そして解散に伴って生じるカオス状態の原因の一部は、この戦争が引きおこした大衆層の生活水準の低下に見出すことができる。

 イギリスの保守党の転落や、アメリカのトランプと老いぼれたバイデンの常軌を逸した対立もまた、自由民主主義国家の解体によって引き起こされた内部の負のダイナミズムから生じたものである。フランスのメディアの取材では何度も述べてきたが、西洋の敗北は、ロシアの勝利を意味するわけではない。それは、宗教面、教育面、産業面、道徳面における西洋自身の崩壊プロセスの帰結なのだ。

 日本は、ドイツ以上に二つ目の「西洋」、つまり「自由主義の伝統は持たないが近代的な西洋」に属している。しかし日本のまた危機に直面している。この点に関しては同様のことがロシアにも中国にも言えるが、非常に低い修正率がそれを示している。日本はドイツと同じく、NATOが崩壊することでアメリカの支配下から解放されるだろう。しかし日本はそれによって、韓国とともに、中国と独力で向きあわなければならなくなる。」

*「これから脱西洋化が進むと思われる世界の中での日本の立ち位置について、短い見解を述べておこう。

 西洋は、ロシアに制裁を科すことで、世界の大半から拒絶されていること、非効率的で残忍な「新自由主義的(ネオリベラリズム)資本主義」や、進歩的というよりも非現実的な「社会的価値観」によって、自らがもはや「その他の世界」を夢見させる存在ではなくなったことに気がついた。中国だけではなく、インド、イラン、サウジアラビア、アフリカも、結局はロシアの「保守主義」、そして「国民国家の主権」というロシアの考え方(もちろんそれは、ロシアの歴史の一部と考えられているウクライナに適用去れるわけではナイ)をより好むようになったのだ。

 この戦争において、「多極的な世界」というロシアのビジョンは、西洋が中心となる「均一な世界」というビジョンと対立している。西洋モデルの政治的観点からすると、均質的であるべき世界————リベラル、資本主義、LGBTなど————の覇権的中心地はアメリカだ。

 私は、日本の地政学的文化の深い部分では「諸国家はみな同じ」というビジョンは受け入れられないのではないかと考えている。「均一な世界」というアメリカのビジョンは、日本的観点からすると、敢えて言えば「馬鹿げたもの」だからだ。日本には、「それぞれの民族は特殊だ」という考え方があり、むしろ「それぞれの国家の主権」というロシアの考え方の方が日本の気質にも適合している。

 実際はドイツでも、「すべての民族は同じ」という考え方は馬鹿げたものと見られるだろう。ドイツでは「すべての民族は同じ」という考え方は表面的に受け入れられているだけなのだ。受け入れることで、第二次大戦における自らの人種差別的な残虐行為を忘れることができるからである。日本では私が考えるに、「独自の歴史」という感覚は「本能的」なもので、しかも「リアル」なものだ。

 西洋の敗北は、日本が「独自の存在」としての自らについて再び考え始める機会になるはずである。さらに、日本が西洋の一部としてではなく、ねおりべラレルの極西洋(アメリカ、イギリス、フランス)と「その他の世界」の仲介役として自らを捉える機会にもなるはずだ。」(二〇二四年七月七日)

**(ハナムラチカヒロ『まなざしの革命』〜「はじめに」より)

*「多くの市民は善良であり、心根が悪いわけではない。そして多くの有識者や企業の経営者は聡明であり、決して頭が悪いわけではない。誰もが日々、どうすればこの社会を良くできるだろうかと考え、努力を重ねている。それなのに、なぜ世界は一向に良くならず、ますますおかしな方向に進むように見えるのだろうか。特に2020年のパンデミック以降、先行きが見えない社会状況に誰もが不安に思い、うまくいかない現状に誰もが憤っている。あちこちで聞こえるのはこの社会が間違っており、政治が間違っており、人々が間違っているからだと主張する声だ。間違えている社会に対して、間違えていない自分がいる。そして間違えている相手を正さねばならない。誰もがそう思いたい気持ちはわかるが、それは本当にそうなのだろうかと立ち止まってみたくなる。」

*「私たちは何かの物事を見る際に、単に事実だけを見ているわけではない。私たちにはすでに見解や立場があって、その色眼鏡を通して見ていることが多い。そして、多くの人は自分が色眼鏡をかけていることには気づかず、その色眼鏡の存在が無意識になったまま、眺めている出来事を「現実」だと思い込んでいるのだ。
 だが、その色眼鏡を外したり、取り替えると、同じ物事に対して違う現実が現れてくることがある。」

*「情報化社会が進むほど、私たちは自由になるどころか、私たちは自分の見たいものだけを見ていて、これまで以上に盲点が増えている。自分の先入観や色眼鏡を強めていき、それ以外の視点や価値観があることを認められなくなっている。誰もが不寛容になると社会には大きな分断が生まれる。パンデミックを機に社会が大きく変わっているにもかかわらず、これまで正しいとされてきたこと、今正しいとされていることを見つめていると大きな間違いを犯すのではないか。

 私たちが最も見えていないのは自分の見方である。私たちは自分が当たり前だと思うものは問題にしない。それどころかその存在にすら気づかないことがある。そしてその盲点を生み出すのは、自分が間違っていないという思い込みである。だがその盲点の存在に一度気づいてしまった瞬間、まなざしに革命が起こる。今まで見えてなかったことが急に違って見え、物事の見方が反転するのである。自分のこれまでの見方を知ったときの衝撃は大きい。急に状況が見え始め、文字通り世界の見方が変わってしまう。そのまなざしの革命は社会を変えるよりも大きな力を持っているのだ。いや、実際に社会すら変えてしまい、本当の革命すら起こる。だから今こそ変えねばならないのは、社会ではなく私たちのまなざしなのではないか。私たちは世界を変えることはできないが、世界の見方は変えられる

 だが一方で、私たちのこれまでの見方が変わってほしくない人々もこの世界にはいる。そんな人々は私たちのまなざしに革命など起こってほしくないのだ。だから私たちがある方向を向くように、あえて極端な見解を助長し、不安や恐怖を煽り、欲望を焚きつけて、誘惑する。そうやって私たちの目にわざと色眼鏡をかけようとする意図がこの世界にはある。それは決して悪意という形では近づいてこない。とても善良なフリをして近づいてくる上、私たちは間違っていないと甘い声で囁くのである。(・・・)私たちが善意で行うことが、望んでいたことと正反対の結果を生むのは、そんな悪意と無関係ではない。だからこそ、私たちの世界の見方が外から変えられるプロセスを私たち自身が知っておく必要がある。」

**(ハナムラチカヒロ『まなざしの革命』〜第一章「常識」より)

*「いつの時代であっても、変わることなく正しい常識など存在しない。何が当たり前であり、何が正解なのかは状況や見方によって変化するからだ。何が起こるかわからないこの世界では絶対的なものはなく、常に変化して「無常」に移ろうことだけが普遍的に正しいと言える。だから私たちは常識ではなく常に正しい認識はないという「無常識」こそ本来が拠り所にすべきだ。

 そのために私たちはこれまで自分の常識を培ってきたプロセスへもう一度立ち戻る必要がある。(・・・)そうやって、時代の流れの中でそのときに正しいことと間違っていることを見極める努力が必要になる。「多くの人の当たり前が正しい」ではなく、「正しいことが多くの人の当たり前」であるべきだ。」

**(ハナムラチカヒロ『まなざしの革命』〜第三章「平和」より)

*「戦争は、私たちの内側からやってくる。だから私たちに必要なのは、外に囲いを築くことではない。心の内側からやってくる脅威に対して囲いを築くことである。気を抜けばすぐに戦争状態になる私たちの心に、常にまなざしを向けて、見張っておかねばならない。外部の条件によって得られる平和ではなく、自分自身で内側に平和を生み出せるようになること。どんな状況であっても、その時、その場で安全委穏やかでいられること。それはとても難しいが、私たちの心の中が平和であるときに、本当の意味で私たちは戦争を放棄することができるのである。」

**(ハナムラチカヒロ『まなざしの革命』〜第四章「情報」より)

*「私たちに最も必要なのは「情報は単なる情報でしかない」と正しく見る見方である。現代はあらゆる情報が、新聞やテレビ、ウェブサイトやSNSなどのメディアを通じて複合的にやってくる時代である。また誰もがある特定の見方で情報を切り取り、発信できる時代なのだ。そんな世界では、これまで以上に絶対的な真実などありえない。情報に固執することも、情報を遮断することも、情報に過剰な価値判断をすることも見方を曇らせてしまう。情報は情報に過ぎない。そうやって離れて眺めることが正しい理解であり、情報に溢れる社会の中で生きる最も賢い態度だろう。情報とは私たちがその場で必要な行動を判断する上での単なる材料であり、情報だけが私たちが何かを判断する唯一の拠り所ではないのだから。」

**(ハナムラチカヒロ『まなざしの革命』〜第七章「管理」より)

*「いつの時代も社会の中心にあるのは、人々をどのように管理するのかという問題である。二十世紀の世界では、人々を管理する政治経済のシステムは、「ファシズム」「共産主義」「資本主義」の三つの選択肢のどれが最良なのかを巡り争っていた。」

「世界平和や人類の友愛は素晴らしい理念だが、もっともらしいフレーズで規模を拡大させる誘惑に注意せねばならない。小さな範囲の平和を維持できず、隣人を慈しむことができないのに、大きな範囲でそれを達成できるはずはないからだ。結果として協力する範囲が大きくなったとしても、自らを管理するのは自らであるべきだ。そのためには、自分の管理の範囲を超えた大きなシステムを構築したり、それらに過度に依存するべきではないだろう。
 それよりも私たちが世界規模で共有するのは管理やシステムではなく、智恵やアイデアではないか。それは共有しても贈与しても減ることはない。本当に誰もに必要なことは独占して取引するのではなく、無償で共有すべきであろう。それが本当の意味でのCooperation(協力)になるかもしれない。」

「社会がどうなろうと、自らの態度を管理できれていれば、私たちはこの先、不安から解放されって生を全うすることができるだろう。大切なのは世直しではなく、自分のまなざしの方向をしっかりと管理することなのである。」

**(ハナムラチカヒロ『まなざしの革命』〜第九章「解放」より)

*「私たち一人一人の誰もが今の社会の理不尽さに加担することや、過度に何かを恐れることから離れること。離れた場所から冷静に物事を見つめて、そのときに正しいことをすること。そして自分だけではなく周りの生命の利益と幸せを考えること。日常の生活の中で淡々rと自分のすべきことを行うこと。どんな問題が起きても恐れずに協力し合い、そのときその場を明るく乗り切って生きていくこと。そうした当たり前のことをする方が、拳を振り上げて起こす革命よりも、大きな力を持つのではないか。」

「世界を変革させる代わりに、私たちがまず自分を変革すること。自分のまなざしに革命を起こすこと。私たち自らがそれぞれ自分のまなざしの革命家になること。それこそが真の解放の第一歩である。それを受け入れたときにはじめて私たちは、自分がそれほど弱い存在でも無力な存在でもないことが見えてくるはずだ。」

□エマニュエル・トッド『西洋の敗北』【目次】目次

日本の読者へ————日本と「西洋」

序章 戦争に関する10の驚き
第1章 ロシアの安定
第2章 ウクライナの謎
第3章 東欧におけるポストモダンのロシア嫌い
第4章 「西洋」とは何か?
第5章 自殺幇助による欧州の死
第6章 「国家ゼロ」に突き進む英国―亡びよ、ブリタニア!
第7章 北欧―フェミニズムから好戦主義へ
第8章 米国の本質―寡頭制とニヒリズム
第9章 ガス抜きをして米国経済の虚飾を正す
第10章 ワシントンのギャングたち
第11章 「その他の世界」がロシアを選んだ理由
終章 米国は「ウクライナの罠」にいかに嵌ったか―一九九〇年‐二〇二二年
追記 米国のニヒリズム―ガザという証拠

日本語版へのあとがき————和平は可能でも戦争がすぐには終わらない理由

□ハナムラチカヒロ『まなざしの革命』【目次】

◉はじめに

◉第一章 常識――正体不明の必需品
誰もが同じ方向を向いたとき/風景異化論から捉えたパンデミック/固定化するまなざし/常識の正体/常識のつくられ方/多数決の罠/非常識と罪/民主主義の非常事態

◉第二章 感染――誰がパンデミックをつくったのか
パンデミック宣言を巡る疑問/新型コロナウイルスの特殊性/COVID-19は危険なのか/数字の信頼性/誰が得するのか/もしパンデミックを計画するなら/混乱から分断へ/そして焦点はワクチンへ/接種を巡る4つのスタンス/本当の感染とは

◉第三章 平和――壮大な騙し合いの時期
ハイブリッド戦争の時代/平時の騙し合い/誰もが平和を望むのに/敵と味方という図式/戦争は巨大なビジネス/陰謀論は受け入れられない/真実を反転させる呪文/国家と国家の争い/兵器は皮膚の下へ/平和の順番

◉第四章 情報――ファクトかフェイクか
二人のドナルド・トランプ/フェイクニュースはどちらか/メディアの見取図/SNSは自由に発信できる場か/あらゆる情報はすでに演出されている/ディープフェイクを見破れるのか/情報は情報である

◉第五章 広告――偶然は計画される
選択の落とし穴/偶然の仕掛け/見たいものだけが見える窓/本当にそれが欲しかったのか/欲望を創造する技術/進化するマーケティング/広告・広報・宣伝/マーケティングと戦争

◉第六章 貨幣――すべてを数字に変える魔法
人生の価格/そしてお金が中心になった/通貨は誰が発行するのか/数字しか持っていない/お金が増える魔法の仕組み/借金するほど増えるお金/利子という悪魔/貨幣の拡大と想像力の消費/問題は数字ではない

◉第七章 管理――次の社会に向けた選択
「怒り」と「欲」による管理/再び、パンデミックを計画するなら/「無知」のデジタル社会主義 対抗するまなざし/寄り添うことを見つめると/「より良く」か「バランス」か/「コントロール」か「協力」か

◉第八章 交流――インターローカリズムの時代へ
流れる方向が変わる/外への拡がりが止まる/内に引き込まれる世界/足元に戻ってくる/国家主義の高まり/大都市集中から地域分散へ/「ない」ことが強みになる/インターローカリズムへ

◉第九章 解放――「利」と「理」と「離」
選ぶことに疲れ果てた私たち/リセットされる国民国家/何から解放されるのか/私たちの見方に原因がある/三つの「り」のまなざし/誰もがこの社会から離れるとき

◉おわりに
◉参考文献
◉注釈/エピグラフ注釈

○エマニュエル・トッド(Emmanuel Todd)
1951年生まれ。フランスの歴史人口学者・家族人類学者。国・地域ごとの家族システムの違いや人口動態に着目する方法論により、『最後の転落』(76年)で「ソ連崩壊」を、『帝国以後』(2002年)で「米国発の金融危機」を、『文明の接近』(07年)で「アラブの春」を、さらにはトランプ勝利、英国EU離脱なども次々に予言。著書に『エマニュエル・トッドの思考地図』(筑摩書房)、『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』『シャルリとは誰か?』『問題は英国ではない、EUなのだ』『老人支配国家 日本の危機』『第三次世界大戦はもう始まっている』『トッド人類史入門』(いずれも文春新書)『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』(文藝春秋)など。

○ハナムラ チカヒロ
ランドスケープアーティスト、研究者。
1976年生まれ。大阪府立大学大学院生命環境科学研究科博士後期課程を修了。大阪府立大学准教授。2012年、一般社団法人ブリコラージュファウンデーションを設立。専門であるランドスケープデザインとコミュニケーションデザインをベースにした風景異化論をもとに、空間デザインやインスタレーションアートの制作、映像制作やワークショップ、その他の企画プロデュースなども行う。大規模病院の入院患者に向けた霧とシャボン玉のインスタレーション「霧はれて光きたる春」で第一回日本空間デザイン大賞・日本経済新聞社賞受賞。バングラデシュの貧困コミュニティのための彫刻堤防などの制作、世界各地の聖地のランドスケープのフィールドワーク、街中での状況パフォーマンス、映画や舞台に俳優としても立つ。著書に、『まなざしのデザイン〈世界の見方〉を変える方法』(2017年、NTT出版、平成30年度日本造園学会賞受賞)、宗教学者鎌田東二氏との共著 『ヒューマンスケールを超えて――わたし・聖地・地球(ガイア)』 (2020年、ぷねうま舎)がある。

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