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俵万智×辻仁成の短歌教室で学び、亡き佐々部清監督を思った日。

 昨夜、歌人の俵万智さんと、作家の辻仁成さんによるオンライン講座「日々を丁寧に生きるための短歌教室」に参加した。3歳児の長引く風邪がどうやら私にもうつってしまい、アラフォーの身体は前日からフラフラ。なので、今回の参加は諦めかけていたのだけれど、昨年12月に開催された1回目がすごくおもしろかったのと、看病疲れの心に何か潤いが欲しく、開催当日の朝になって申し込んだのだった。

 前回はこまめにメモを取りながら聞いていた。だけど、今回は風邪でぼんやりとしていたので、お二人の話に集中しようと思い、ほとんどメモをとらずに耳を傾けた。不思議なもので、そうやって話を聞いた時の方が、大事なメッセージを聞き逃さないというか、印象に残る言葉に出会えるという実感がある。

 今日は俵さんが最後におっしゃっていた言葉にハッとした。(部分的にしかメモをとっていないので、お話の内容を要約して掲載)

短歌が生まれるのは、何かに心がときめいた時。この気持ちを何とか言葉にしてとっておきたい、言葉にしたいと思い書き始める。でも短歌は副産物なんだと思う。自分で自分の気持ちを見つめて短歌を作る、その時間がとても尊いんですよ。

 このお話を聞き、私はふと、昨年亡くなられた佐々部清監督のことを思い出した。

 監督の映画の中に『八重子のハミング』という作品がある。4度ガンの手術を受けた夫と、若年性アルツハイマーを発症した妻の絆を実話をもとに描いた物語だ。原作は、山口県萩市在住の陽信孝さんが書いた同名著書で、本の中には、約12年にわたる妻・八重子さんの介護の様子と、陽さんが詠んだ約80首の短歌が綴られていた。

 20代の頃、とある地方の映画祭で佐々部監督と知り合った私は、ひょんなことから監督に『八重子のハミング』の初稿を見せていただくことになり、感想を伝えるという機会を得た。実際に映画が公開される8年も前の話だ。

 初稿には、各シーンの最初に、主人公の陽さんが書いた短歌が文字とナレーションで登場するだけで(…と記憶している)、彼がどんな瞬間に短歌を作っていたのか?それがわかる場面が描かれていなかった。だから私は、「原作には“短歌づくりが心の支えであった”と書かれていたので、八重子さんとの暮らしの中で、陽さんはどんな瞬間に短歌を書き留めていたのか?その場面を見てみたいと思いました」と感想を伝えた。

 監督は「こんなありがたい感想はないよ!ありがとう。次の改定作業ではその点も考えながら進めようと思います」とすぐに返信をくださった。

 映画製作に至るまでは困難の連続だったようだが、監督は諦めず、2017年5月、ついに映画が公開された。私はその頃、韓国で農業体験取材中だったため、帰国してまもなく、神戸の映画館「パルシネマしんこうえん」で上映中だった『八重子のハミング』を観に行った。映画の中では、介護の手が休まる瞬間に、短歌を作る陽さんの姿が描かれていて、とても胸が熱くなった。

 実は、脚本を見せていただいた数年後、離れて暮らしていた父方の祖父母が相次いで倒れ、両親と私は80代の祖父母と突然同居することになった。介護の負担は母に最も重くのしかかり、家庭の中から笑い声が消えた時期もあった。

 約7年にわたる介護生活の中で、母はいつしか短歌ではなく、毎日「ひとこと日記」をつけるようになっていた。今思えば母はあの時、自分の気持ちを見つめて言葉に残す、尊い時間を過ごしていたのかもしれない。『八重子のハミング』の陽さんのように。

 短歌ではないけれど、私も今こうして自分の気持ちと向き合い、言葉にして残そうとしている。風邪なら早く寝たらいいものを「今あふれる思い」をつかまえたくて、寝ずに書いている。

 例え、そうやって書いたものが誰かから見てお粗末なものであったとしても、不出来なものであっても。自分で自分の心のときめきやざわめきを受け止め、言葉にしてとっておこうとするこの瞬間が、尊いものであり、人生の喜びなんだということ。

 それが、今回の短歌教室で教わった、一番心に残るメッセージだった。

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