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映画について書いたもの

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映画評や映画文化にまつわる文章。
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#映画

鈍行旅日記(監督:福原悠介/2023年)

10代後半から20代前半まで、わりと好んで一人旅をしていたように思う。とは言え、おおよそまめに旅の計画を立てることもなく、道中に見知らぬ人と交流するほどの社交性もなかったので、最低限の目的地とそこへ到る安価な方法を考えたら出発し、結果、移動時間は飽きるほど長く、目的地に着いたところで時間を持てあまし、喫茶店でコーヒーを飲みながら持参した本を読んでいるといった体たらくが多かった。今にすればそれが最も贅沢な旅の一種だと思えるけれども、当時なぜそんな旅に出るのか自分でもよくわからず

無法の愛(監督:鈴木竜也/2022年)

鈴木竜也監督は、昨年(2022年)のPFFぴあフィルムフェスティバルで『MAHOROBA』を見たときに短評を書いた。同じく2016年のPFFで見た『バット、フロム、トゥモロー』の監督であること、また同郷であることを知り、急に親しみがわいていたのだが、それは必ずしもそうした理由からだけではない。 コロナ禍で時間ができたのでアニメづくりを独学でやってみた、というだけあって「一人でつくったがすごいCGである」などということは一切感じない、むしろこれなら真似できるのではないか?と思

ケイコ 目を澄ませて (監督:三宅唱/2022年)

『コーダ あいのうた』(シアン・ヘダー監督/2021年)や『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督/2021年)がアカデミー賞を取ったこともあり、ろう者を描いた映画、そして、ろう者を演じること、ろう者が演じることについて、多くの人が関心を寄せられるようになった昨今。撮影や編集など映画的な技術だけでなく、福祉、マイノリティーや労働問題などさまざまな視点から批評されるであろう題材をどう撮るのだろうという興味と心配は正直あった。ただ、監督がインタビューで「ボクシング映画は既に数多く撮

アフター・ヤン(監督:コゴナダ/2021年)

AIロボット、アンドロイド、サイボーグ……どのような表現でも良いけれども、画面に立つ、あるいは、横たわる俳優をそう名指してしまえば、もう体から光を発したり、怪力を示す必要はない。「未来」という言葉が必ずしも喜ばしくも輝かしくも感じられなくなった今日、SF映画がSFたる意味は「現在とは別の世界線を示す」ことであると言える。 ほんの少し違和感を与えるような素振りを加えれば、私たちはすんなりとSF的設定を受け入れる。ロボットのヤンは、ほんの少しだけ肌や表情が滑らかすぎる演出がほど

まなざしの解像度

河北新報夕刊「まちかどエッセー」に2021年7月から隔週で8回にわたり書いたもの。「河北新報オンライン」が会員制になったというのでここに再録する。 この連載で自らに課したルールに逆らって書いた一篇。まったくの言葉足らずだが、それでもこういうことが書かれているのが新聞というものだろうと思って担当者にお願いしたら快く載せてくれた。 (初出:河北新報夕刊「まちかどエッセー」2021年10月11日) 前々回とりあげた映画『ドライブ・マイ・カー』(監督:濱口竜介)について、手話ので

私たちには暗闇が足りない

河北新報夕刊「まちかどエッセー」に2021年7月から隔週で8回にわたり書いたもの。「河北新報オンライン」が会員制になったというのでここに再録する。 このときの山形国際ドキュメンタリー映画祭で、私が観た作品は結局2本だけだった。古くさい人間なのかもしれない。 (初出:河北新報夕刊「まちかどエッセー」2021年9月15日) 2年に一度、例年ならば世界中からの作家や観客でにぎわう山形国際ドキュメンタリー映画祭が今年はオンライン開催となった(10月7日〜14日)。オンラインの映画

ファストから少し離れて

河北新報夕刊「まちかどエッセー」に2021年7月から隔週で8回にわたり書いたもの。「河北新報オンライン」が会員制になったというのでここに再録する。 この後、偶然にも「ファスト映画」によって有罪判決が出るのは仙台地方裁判所である。 (初出:河北新報夕刊「まちかどエッセー」2021年8月23日) 「読書百遍、意自ずから通ず」。難しい文章も繰り返し読めば自然と理解できるという意味だが、近頃はそんなことを諭す人は少ないどころか、名著も100分くらいで解説するほうが重宝される時代で

オリンピックと記録映画

河北新報夕刊「まちかどエッセー」に2021年7月から隔週で8回にわたり書いたもの。「河北新報オンライン」が会員制になったというのでここに再録する。 もちろん執筆時には『東京2020オリンピック』は観ていない。 (初出:河北新報夕刊「まちかどエッセー」2021年8月2日) すぐれたSFは未来の現実を先取りする。宮城出身の漫画家・映画監督の大友克洋が30年以上前に映画『AKIRA』(1998年)でそれを活写した、いわば想像力に先取りされていた東京オリンピック2020。スポーツ

『言語の向こうにあるもの』(監督:ニシノマドカ/2019年)

1990年代半ばに地方の国立大学に入学し、そこで語学の授業をとった身としては、正直なところ実際に見る前までさほど期待していなかった。フランスはパリの大学とはいえ「外国語としてのフランス語講座」なるものがそれほど魅力的なドキュメンタリー映画になるとは思えなかったからだ。 しかし、その予想は大きく外れる。まず、この授業がおそらく多くの日本人が想像する「語学の授業」からかけ離れたものであったから。それがこの映画の魅力の何割かであることは間違いないだろう。二人の教師(ニコールとフェ

PFFアワード2022 短評

ひさしぶりに「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」の会場におもむき、PFFアワード2022の受賞作を一部見ることができたので(グランプリ、準グランプリ、審査員特別賞を受賞した5作)、備忘録もかねて短評を書く(鑑賞順)。 *入選16作品は、10月31日までオンラインで配信されている。 DOKUSO映画館 U-NEXT 『幽霊のいる家』(監督:南香好/12分) 12分の短篇ながらとても長い映画だった。しかし、それはまったく悪い意味でなく、むしろ深い感心からである。一つひと

「ヤマガタ」の名とともに映画は世界をめぐる

2006年に山形国際ドキュメンタリー映画祭がNPO法人化するにあたり、山形新聞が組んだ特集に寄稿したものである。この映画祭は、学校を卒業してすぐにせんだいメディアテークの仕事に就き、専門でもないのに上映会を企画しなくてはならなくなった私にとって、映画の先生の一人であったので、山形市が映画祭をNPO法人化すると決めたことへの批判を込めたつもりだった。 初出:山形新聞(2006年4月) 山形市の隣、仙台市にあるせんだいメディアテークでは、開館以来、山形国際ドキュメンタリー映画祭

キャメラのむこうにある<リアル>

せんだいメディアテークで2002年に企画した上映会「キャメラのむこうにある<リアル>」の企画を考えているときに構想メモとして書き、上映会当日の配付資料に掲載したものである。当日は故・佐藤真監督も来館されお話しいただいた。その記録映像は現在メディアテークのライブラリーで見ることができる。それを見直しながらこのテキストのことを思い出したのだが、若さと無知はおそろしいもので、佐藤監督を前によくもこんなことを書いたものだと20年経って震え上がっている。 初出:『キャメラのむこうにある

イレネオのために映画を

『ショートピース!仙台短篇映画祭2003』(2003年10月11-13日/せんだいメディアテーク)のために書いた文章である。初出:『ショートピース!仙台短篇映画祭2003 パンフレット』(2003年) 映画のはじまりは短篇であった。 それを単なる発明というより発見されるべきものとしてこの世に送り出したリュミエール兄弟が作った映画のなかでも、最も古いもののひとつに『工場の出口』という作品がある。文字通り工場の出口から次々と人が出てくる様子を撮影したもので、いくつかのヴァリエ

プチブルのひそかなたのしみ-凝視できない隣人を凝視するためのワイズマン-

この短い文章は、2002年5月30日付けのテキストファイルというだけで、何のために書いたのか思い出せない(思い出したら追記する)。しかし、当時せんだいメディアテークで企画した『映画への不実なる誘い』の打ち合わせか何かでお茶をご一緒しているとき、その講師である蓮實重彦氏からふと「あれ面白かったですよ」と言われたことだけは憶えているので、どこかに載ったものであることは間違いない。そして、たとえそれが社会人3年目になったばかり、映画をろくに知りもしないままの若造へのリップサービスだ