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《適当雑記79》2022年1月18日(火)【皆自分の正義の為に戦っている】

〚1060文字〛
と、思うことがあります。こんばんわ。入谷です。
誰しも自分が正しいと信じて生きている。
勿論僕にもそういった節は当然あります。

しかし、己が正義を信じるあまり、価値観を他人に押し付けたり、自分と違う他人を批判したり、あるいは自分と同じことがしない(できない)他人を見下げるような態度を取るような人もいます。
そんな熱量の激しい人は、ちょっとご勘弁願いたいものですが、そこら辺は程度問題なんですね。

中でも、一見厄介に思われる『自分と同じことをしない(できない)他人を見下す人』ですが、僕は、その人には何か物語を感じて興味を持つことがあります。
大抵場合、頑張りで人生を切り拓いた努力家が多いと思います。
が、故に頑張らない(れない)人は無意識にとして位置付け、努力の足らない人をどこか蔑んでいる部分があります。人は自分と違うと分かっていても、そうしてしまう。そこに人間らしさを感じて気になるのです。

どちらかという対である怠けがちな僕ですが、そういった人をあまり嫌だと思ったことはありません。
よくよく話を聞くと実に味わい深い性格で、戦ってきた者、戦士としての魅力的な顔を持っているからです。

その人が人生の中で培った経験と智慧、養った感情総決算がその人の今を形作っています。
きっと辛酸を舐め、泥水を啜った苦しい過去の経験があるが故、そうなってしまったのだと思います。
そこから這い上がるため、目標を設定し、あらゆる挑戦をしながら試行錯誤を繰り返し、血の滲むような努力研鑽を積み重ねて、苦い経験と頑張りに裏打ちされた《答え》をようやく導き出したのですから、それが彼彼女にとっての正義であり正しい価値観なのです。勝ち取った宝者なのです。
なので、僕にそれを否定する権利はないのです。

ただ、どこか客観性を失い、しない人、できない人が何故そうなのかという事情まで巡らず、過剰に一方的であるのは、その人にとって損だと思うことはあります。そこに自ら差別の種を撒き、マイナスの印象を周囲に与えてしまうことに得はないでしょう。
もし話を聞いて歩み寄ることが出来たら、その人の魅力はもっともっと増すのだろうと思うのです。まぁ余計なお世話だって話ですよね。(;^ω^)

正義と正義が衝突する人間同士の争いですが、話の通じない人は別として、「君は何故そう思うの?」と互いに質問し意見を聞くことで、無意識に凝り固まった戦士の張り詰めたものが解けていくのではないかと感じた今日この頃です。

ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そして今日と明日が皆様に素晴らしい1日になりますように。。


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