マガジンのカバー画像

#音楽 記事まとめ

3,574
楽曲のレビューやおすすめのミュージシャン、音楽業界の考察など、音楽にまつわる記事をまとめていきます。
運営しているクリエイター

#エッセイ

『ぼっち・ざ・ろっく Re:Re:』に寄せて

 総集編の映画の公開に合わせて、というか、アニメが放送/配信されてからずっと、25年以上続いているアジカンの古い楽曲や歴史を追ってもらえて率直に嬉しい。結成から一度も止まらずにバンドは転がり続けているけれど、ポップミュージックはユースカルチャーとしての側面もあるから、当時の中高生や同世代と共に俺たちも年を重ねて、アジの缶詰なのか密教の瞑想法なのか、誤解や興味の端っこはおろか若い世代に発見されなくなっていくのも仕方がないことだと思う。  しかしながら、前述したように、バンドも

レゲエを通して見える、人々の生活、感情

「夏だレゲエだ」という世間一般が抱く概念はどこから来ているのか。きっとジャマイカが美しいカリブ海に浮かぶ常夏の島国だからなのでしょうが、あの世界的スーパーレジェンド、ボブ・マーリーですら、〜海辺でゆったりのんびり〜といった類の楽曲はほとんど歌っていません。 レゲエの真髄は、心の叫びを表したメッセージ性であると思っています。それはメントからスカが生まれ、ロックステディを経てレゲエとなり、ダブやダンスホールへと発展していった過程で常に重要視されてきた部分であり、社会体制への批評

バンドたちはなぜメシを食うアーティスト写真やMVを撮るのか

MONO NO AWAREの新曲「同釜」、そのミュージックビデオは“メシを食うこと”を中心に据えた作品だった。和中洋と次元を移ろいながらメシを食う。最後に演奏シーンがあり、そして高笑いする玉置周啓(Vo/Gt)もいる。異様なビデオだ。 このようにメシを食うミュージックビデオや、もしくはメシを食うジャケットのアートワーク、そしてメシを食うアーティスト写真などはバンドにおいては思いつく限りでもかなりある。これはどんな意味があるのだろう、と考えたくなった。 そこで上のツイートを

チバユウスケ著:『EVE OF DESTRUCTION』<ROOTS編>を特別公開

 ソウ・スウィート・パブリッシングは、2022年9月にチバユウスケ(The Birthday)の著書である『EVE OF DESTRUCTION』(イヴ・オブ・デストラクション)を刊行しました。  この本は、日本屈指のロック・ボーカリストであるチバユウスケさんが自身の音楽人生において欠かすことのできない重要なレコードの数々をさまざまなエピソードとともに紹介した書籍です。所有する貴重なアナログ・レコード・コレクションの写真と共に、チバさんが自身の言葉で“音楽愛”を掘り下げており

【ライブ感想文】 スガシカオ「INNOCENT」TOUR @LINE CUBE SHIBUYA

今年も行ってきました、スガシカオのライブ!! 「INNOCENT」TOUR 去年の、スガシカオ25周年ツアー「大感謝祭2022」で、発売が発表された新譜「INNOCENT」 このCD自体は2023年のはじめにリリースされていたのだけれど、このアルバムタイトルを冠したツアーが始まる! 去年のライブはすごく感動して、友達に「最高だった」と話しまくったことで、今年は友達含め4人で参加。 うちひとりは、去年のライブも付き合ってくれていたのでスガシカオ沼に着実と浸からせつつあるんだ

The Beatles 全曲解説 Vol. 214 ~Now And Then

シングル『Now And Then / Love Me Do』A面。 4人全員の共作で、リードボーカルはジョンが務めます。 21世紀初にして最後の新曲!激動の60年を生き抜いた、すべての愛と魂へ贈るレクイエム "Now And Then"最初の発表から約5ヶ月、多くのファンが首を長くして待ち焦がれていたことでしょう。 日本時間11月2日午後11時、ビートルズの21世紀最初にして最後の新曲 "Now And Then" が発表となりました。 初めて聴いた直後、私は個人のイン

For Tracy Hydeの解散を考える/セカイから世界へ

トレイシー・ハイドという子役が出演した1971年のイギリス映画『小さな恋のメロディ』を初めて観たのはFor Tracy Hydeの大傑作アルバム『New Young City』(2019)を聴いてしばらく経った後だった。当時の年間ベストアルバムにも選んだバンド名に関連してる人物の映画なのだから、さぞこのバンドの根源に繋がる作品だろうと思っていたが、観終わった後にバンド名の由来はWondermintsの楽曲「Tracy Hide」から取られていたと知って少々脱力してしまった。映

答えは、出すもの。

延べ1年半に及ぶ、 誰から求められたわけでもない、自分の進化への死闘が終わった。 シンガーleift(レフト)としての 初めてのアルバム『Beige』が完成した。 気持ちが冷め止まぬうちに、今の気持ちを書いておこうと思う。 少し前の気持ちを前回のnoteに書いたので、より深く意味を理解してくれようとするならまず、『佳境の味わい』を読んでほしい。 『佳境の味わい』から完成に向かい感じたこと最後の方は、もはや自己否定とネガティブチェックの毎日だった。 何せ、歌が気になっ

嵐の曲が「聴」けるようになった

ご存知かどうか分からないが、ジャニーズの5人組アイドルグループの「嵐」は現在活動休止中である。そして、これもご存知かどうか分からないが僕は10年以上嵐ファンでいる。 嵐が休止してから今年で3年目に突入した。メディアで個々のメンバーを見ることはあっても、5人揃った姿は見ることがない。ただ、嵐としての5人は見れなくても、5人の声はきくことができる。回りくどい言い方をしたがつまり、嵐の曲をきくことはできる。 僕はいまだに嵐の曲をきいている。熱狂的にきいていた昔と比べれば、当然頻

2022年/音盤一期一会・年間ベストにかえて

〈満たされてしまうことは、失ってしまうことと同じなのかもしれない〉、とふと感じる瞬間があります。それは、憧れの中に生きることのひとつの性なのかもしれないですし、辿り着くまでのプロセスの中にこそ快楽のエッセンスが含まれている、ということかもしれません。自分にとっての音楽への尽きない好奇心は、〈今の自分〉を満たしてくれる〈音楽の形〉が心象の変化と共に〈遷移〉し続けているからこそ、尽きないものだったのだと感じた瞬間が今年は何度もありました。どこか落ち着きを得てしまった、ひと段落して

ベータ版の自分、はじまり。

一言で今の気持ちを書くとすれば、僕は つい先日まで、歌い手として「弱さ」にフォーカスして曲を書くと言い続けてきた。確かに、そういう一面はとても僕を豊かにしてくれたし、何より「歌う」という行為そのものが、自分に無駄にこびりついた垢のような自尊心を、脱ぎ去る大きなキッカケになった。 でも、この1ヶ月、毎日のようにバタバタと動きながら思った。 って。自分を認めることの方が大事な過程であって、「弱いこと」自体は一時的で、僕自身を支配するものではない。そう思えたから、最近は多少気

岡田拓郎のこと。そのルーツと人

はじめに 岡田拓郎。この生粋の音楽家/ギタリスト(…時に文筆家でもある)は、デビューしてから10年ほどのコンパクトなキャリアの中で、綺羅星のような珠玉の作品たちを世に送り出し、また、今を映した時代の音楽の探求者として、誠実な葛藤を続けてきた稀有な存在だ。エリック・クラプトンやデュアン・オールマンといった、在りし日のギター・ヒーローたちをルーツに持ちながら、はっぴいえんどを端に発する日本語でのメロディーと作詞の融和性/調和性へこだわり、ジム・オルークを通して出会った数々の実験

星野源の音楽と共約不可能性

 科学哲学の分野には、「共約不可能性」という概念がある。もともとは、“いかなる整数比によっても表現することのできない量的関係”を表すための数学用語であったが、人文科学ではしばしば、この「共約不可能性(通約不可能性とも)」という用語が、別のパラダイムを背景に持つ他者との分かりあえなさや、他者理解、共感の限界を示す言葉として使われる。  そして私は、“共約不可能”という事態について考えるとき、ふと、星野源(敬称略)のソロデビューアルバムの一曲目、「ばらばら」(2010)のことを

フェミニズムと音楽 #3│創作者としての苦悩と喜び │Florence+The Machine「King」&「Free」

 今回はフェミニズムと音楽第三回目として、Florence +The Machineのアルバム『Dance Fever』から 、女性として生きることの葛藤と創作者の苦悩を歌った「King」、自己表現を通じて不安を乗り越えることを歌った「Free」を紹介していきたい。 Florence + The Machine「King」 Florence +The Machine は、女性ボーカリストのFlorence Welchを中心としたイギリス出身のバンドとして知られる。ソウルフル