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322.お金持ちになっても、思ったほど幸せになれないのはなんで?

1. 金持ちになっても思ったほど幸せになれないのはなぜか?


「ダニエル・カーネマン」プリンストン大学ウッドロウ・ウィルソン・スクール、心理学、パブリック・アフェアーズ名誉教授、2002年ノーベル経済学賞受賞者「ダニエル・カーネマン心理と経済を語る」楽工社2011年3月発行。

「ダニエル・カーネマン心理と経済を語る」楽工社2011年3月発行。


今から11年前に発行された本だけど、ダニエル・カーネマンは「金持ちになっても思ったほど幸せになれないのはなぜか?」という問いに対して次のような回答をした。

「すべての人の収入が同じだとしても
人生の満足度の格差は5%も縮まらない」と。

私たちには収入の落差というものがある。
もちろん仕事内容や労力や能力の差が出て当たり前だけれど、だからといってすべての人の収入が同じであっても、その差は5%の差である、と回答した。

その一つとして、収入の多い人は教育に要因がある、と思う人が大半だけど教育は要因の一つであって、それは直接は関係ないらしい。
その理由は誰もが同じ教育、同じ知識を得たとしてもその差はわずか10パーセントも縮まらない。
それは同じ教育を得たとしても収入の格差はある、という。

そして、「収入は、自分の人生を満足させるか、させないかを決める要素のひとつだけど、以外にもその重要度は低いものなんだという。

仮にすべての人の収入がまったく同じでも、「人生に対する満足度の格差は5%も縮まらないだろう」、収入は、人が幸福を感じる大きな要因ではあるが、その重要度は普通に思われているほど高くない」という統計的な答えが存在しているからだという。
 
つまり、人間の幸福度は常に一定ではなく、
いつまでも続くものではなく、
そのことが当たり前になると、
幸せではなくなり、
当たり前となると、不幸となる恐れもあるからだ、という。

私たちはどうしても「収入=幸せ」とどうしても捉えがちだけど、幸せの本当の実体をよく観察すればまったく違うということがわかるように思える。
 
例えば、生活保護を受けている人は不幸なの?
障がいを持つ人は不幸なの?
目が見えず、耳が聞こえなければそのことでその人の人生は不幸だというの?
病気を持っている人は不幸なの?
そして、お金がなければ不幸なの?
 
これってね、
「幸せの定義」を理解していないだけだ、ということがわかるはずだよね。

©NPО japan copyright association Hiroaki

2. 不幸なお金持ちたち


では、障がいや病がなく、収入が多くお金をたくさん持っている人は本当に幸せなのかな?(もちろん、幸せな人もたくさんいますが)
 
ほとんどの人々は、幸せになるためにお金を増やそうとしているよね。
誰でもお金持ちになりたいと願う。
歳を取れば老後の生活も心配になるものね。

夫や妻がこの世を去れば一人で生きて行かねばならないし、そのためだけに結婚する人と、心から愛し合って結婚する人、結婚はしていないが、信頼できるパートナーがいる人がいる人もいる。

このように自分の生活が心配だから結婚する人と、心から愛し合える、信頼しあえる人がいるのとでは、圧倒的に幸せ感が違うことがわかると思う。

その理由はお金が重要なのか、
相手が重要なのかの大きな違いがあるからね。

よく、夫が先にこの世から去ると寂しい、妻に先ただれると辛い、という人がいるけれど、そんなことはただの我儘に過ぎないよね。だって、人は必ずこの世を去るわけなのだから。

むしろ、どちらが先に去ろうが、それも与えられた運命なのだし、寂しい、辛いというよりも、感謝しかないように思える、
その感謝は幸せの結果だからさ。

問題はそのような言い訳でなく、
お金があれば幸せで、なければ不幸だという思考に問題があるんだよ。
お金は確かに必要条件だけど、それは幸せを満たす条件ではないよね。
 
でも、お金持ちって、本当に幸せなの?
 
世の中はお金があれば何でも買える。家を購入したり、リフォームしたり、車を買い替えたり、同時にインテリア、好きな洋服、持ち物などを手に入れる事ができるよね。
また、何かの問題もお金で解決することもできる。
人は、それが「安心感」「幸福感」だと錯覚を起こすようになる。

ただ、失うものがあるよね。

それはお金で手に入るものだと信じると、努力や辛抱、我慢、抑制を失う恐れがある。同時に、手に入れる事での幸せ感や喜びは半減してしまう。

つまり、幸せが当たり前となるからね。

幸せが当たり前になったら、幸せは消え去ってしまうものなんだ。

お金があれば他人の好意は必要なくなり、相手を思いやる心を失う恐れもある。人の支えなども必要なくなるかもしれない、だって、お金が神さまで、お金が支えてくれるものだと信じているのだもの。

すると、人は相手の心や痛みがわからなってしまう怖れがある。
さらに熱意や情熱なども失う。
やる気なども奪い去ってしまう。
 
そう、お金があれば楽な生活が送れるわけなのだから、
何も心配することもなく、
不安も消えたような錯覚を起こし、
大切なものが見えなくなるのさ。
 
でも、お金がなければ汗水を流し、辛く苦しい思いの反面、喜びが、幸せ感が違うということがわかりやすくなる。
そのような感情は必要ない、という人もいるけれど、それは自由だけどね。
 
coucouさんの身の周りには随分とお金持ちがいる。
ビンボー人はcoucouさんだけのように思えるくらい。

同世代なのに数十億円の資産を持つ友人、預金が3億円近くある者、夫が亡くなり生命保険が6300万円入った人。相続で数億円、退職金3500万円、土地の売却によって8000万円儲けた者もいる。

初めはその話や姿を目の当たりにしていると、一瞬羨ましくも感じたものだけれど、ビンボーなcoucouさんの世界とはまったく違う人種の人たちばかり。(前は同じ仲間でしたが)

でも、現在のoucouさんが働いて稼いだ1万円と、働かなくとも自動的に手に入った数千万円は、数億円の価値はまるで違うけれどが、ふと、そのお金を持つ人たちを静観して見ていると、幸せなはずが、不安定な人格に変化を遂げていくのがわかる。
 
おそらく自分の力で数千万円、数億円を稼いだもの、との違いなのかもしれないが、みな一応に不安定な人格に変わってしいくのが、不思議とよくわかるようになった。
 
さらに、お金が入ったため現在の仕事をやめ、車を購入したり、旅行やレジャー、ゴルフなどこ567中でまるでバブル時代のように人生を謳歌している。567のせいで働く場を失ったり、会社が潰れたり、みんなは苦労しているのだけどね。(それも本人の自由で悪い事ではないよ!)
 
でもね、獲物を狩りに行かなくなった者は堕落や退化のはじまりかもね。
coucouuさんと同世代に拘わらず、coucouさんの歳よりも、数倍年上に見える事と、信じられないけれど、情熱や自信までも失つてしまっている。

特に大きな変化は「孤独感」だ。
 
coucouさんは冗談で「そんなにお金があるのなら、coucouさんに回せば!」といったら、剥きになって、その人は拒否した。
さらに違う友人から、お金の使い道の件で相談を受けたので「困っている人たちは沢山いるのだから、そのような人たちに何かをしたらどう?」と答えたら、真剣に拒否された。

でもね、coucouさんにお金の相談をしているならば、簡単にその場で、すぐさま否定などせず、ただ頷いて、後は自分が決めれば良いわけだよね、ただ相談に来たのに一方的に拒否するなどとは、随分失礼なことだと思う。(なら、相談に来なければいいのに…。あれ~自慢したかったのかな?)

だって、お金があって使い道に困っているのなら、簡単なことだもの。
ちなみに、親の相続で膨大な資金が手に入った友人たちからの相談だった。(でもね、数億円で慌てるなよ、自分で稼いだお金じゃあないのだからね)

その友人とは仲が良い方だったけれど、お金で人格が変わってしまった。
(つき合いも終わりましたが)

人は、お金を得ようとすることで知り、学び、経験して人は成長する場合もあるけれど、結果としてお金を獲得してしまうと、そこから退化や堕落が始まるというのも人生なのかもしれませんね。

ふ~ん。お金があり過ぎて不幸になる人もいるのですね。

もったいないなあ~と思う、coucouさん。

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3.  お金=恐怖心


ビンボー人はお金が貯まらない。
お金持ちはさらにお金が増えていく。

ビンボー人はケチではなく、
金持ちもケチが多いといわれているようだ。

このいい方は誤りで、ビンボー人は浪費し、
金持ちは倹約家が多いという方が正しいかもしれませんね。

でも、倹約家=ケチというのは当てはまる。

ビンボー人はお金がないのだから、ある意味鈍感で(敏感な人もたくさんいます)、お金持ちは、お金に対して敏感だといわれている。

でもだよ、倹約家だからケチだからお金持ちになったの?
ビンボー人は鈍感な為、倹約することができないためビンボーだというの?

残念ながら、どちらもあてはまるものではないよね。

でも、お金をたくさん持つと、一見、心に余裕ができるように感じるけれど、徹底として無駄を抑えたり、さらに貯蓄を増やそうと努力をするようになってしまう。(だから、お金持ちになれる?)

例えば、1000万円の預金があればそれを減らしたくない、減ると損した感じになる。1000万円を1100万円、1500万円、2000万に増やしたくなる。
そのようにお金は増えていけば安心なのだけど、減ることは「不幸(損)」と感じてしまうようになる。

先日、coucouさんの知人の母親がなくなり、持っていた預金と生命保険で5000万円近く入った。納骨も終わり、土地建物を預金等の相続をして名義変更をした。
息子夫婦はその日から仕事をやめてしまった。
やめたというより仕事をする必要がなくなったようだ。

そして1か月後、自宅をリフォームして外車を購入。
とても幸せなことなのでだろうね。

coucouさんは、久しぶりに、ご挨拶に出向いたら、
最初の一声が「お金ないよ!」だった。

coucouさんは驚いた。

coucouさんがそんなにお金が欲しそうに見えたのかしら?
一瞬ショック状態に陥りましたが、お線香をあげてすぐさま帰った。

帰りがけ、coucouさんは何ぜか、笑いが止まらなくなった…。
 
これって、何かの反射なのかな。
coucouさんには、とてもいい迷惑けどね。

どうやら、人はお金を持つと敏感となり、
人が敵に見えたり、金目当てにみえてしまう怖さがありますね。(こんなことはcoucouさんだけにして、他の人にはしてもらいたくないな!)

coucouさんは100万円持っている人は10000円落としても99万円も残るのだから気にしないのではないかと思っていたのだけど、その10000円ですら気にしてしまうんだね。

ビンボーなcoucouさんが10000円落として落ち込んだとしても、どうしても見つからなければ簡単に諦めてしまうけれど、お金持ちはそのことさえ許せないのだね。
 
これでは精神的なストレスが溜まり続けてしまうよね。

いつも不安を抱え、心配し、何よりも「人を信用」することができなくなるわけだから、こんなに辛い人生はないかもしれない。
(辛くない人もいっぱいいると思うけど)
 
問題は、自分が汗水たらして働いたお金なのか、自動的に舞い込んできたお金かの違いなんだけど、あまりにも落差の大きい事がわかりますね。
 
人はお金をたくさん持つと、それが減ることに敏感となる。
減れば減るほど強い恐怖を感じ始め、
バランスを失い不安定になる恐れを持つ。

また、こんなケースもある。
その大きなお金が、なにかのきっかけで自動的に自分のものになったとしても、多額の借金をしたとしても、一瞬自分が稼いだお金だと勘違いする恐れがある。(結局、人のものじゃあないか…)
お金には名前(働いたお金、借金したお金)はないけれど、預金通帳にあるだけで勘違いしてしまう。

お金が減るという恐怖心は「お金=幸せ」「お金=不幸」という定義を自らが勝手に脳内に刷り込み、最終的に自分の首をしめていくような働きがあるようだね。

もしかすると、ビンボーの苦しみよりも、お金持ちの失う、減るという恐怖心の方が大きいかもしれませんね。

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4.  お金の価値の違い


世の中は自分が頑張って働いたお金の価値と、何かしらで自動的に手に入るお金はまるで違うことがわかる。
だって、一生懸命に働いて得た10,000円ともらった10,000円とはまるで違うんだもの。
 
6300万円という夫の死亡保険金を手にして「これしか残してくれなかったのよ!」とcoucouさんに話した奥さんの顔は不幸感が漂ってた。
ビンボーなcoucouさんからすれば羨ましい限り、
ご主人に感謝してあげなければ、と思うのだけれど、それもその人の価値観だからcoucouさんは何も言うつもりはない…。
 
誰から見ても恵まれた生活を送っているのに不幸な人。
恵まれない家庭であっても幸せな家族。

一体どこが違うの?
 
逆に恵まれすぎて自立心を失い、恵まれなかったために自立心や向上心が芽生え強い大人になる人もいる。
自分で財を成し、稼いできた人と、他から自動的に手に入ったお金の価値がまるで違うことがわかるよね。

問題は、自制心が起り、自分を制御できる、物質に振り回されない生き方が本当の幸せだといえるのさ。

何よりも不安定ではないのだから。
 
子どもや孫が生まれるとどんな親でも愛情を注ぐ。
ましてや、生まれつきの病を持ったりすればなおさら愛情が強くなる。
不憫だと思えば思うほど愛情は強くなる。
その愛情が知らぬ間に過剰となると、
その子の自立心を失い、精神的なダメージを与えてしまう恐れがある。

このようにお金と我が子や我が孫、または兄弟、友人、恋人や妻なども含み、愛情が強すぎると相手を駄目にする恐れがある。
すると、互いに厳しい人生を子どもたちに強いる事となる恐も出てくる。

このように、事業などにおいても二代目、三代目は、初代の開拓者精神などは引き継ぐことができず、何かの問題やトラブルが起きた場合、そのまま苦しみながら潰れて逝ってしまう恐れも残る。


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ここで、もう一度、再確認します。

お金持ちが悪く、
ビンボーが正しいとか、
お金持ちが正しく、
ビンボーが正しい、
ということではないことを。


そしてお金はとても大切なもので、お金は幸せの一部。
でも、お金は幸せや不幸のすべてではない、ということさ。

決して金持思想、貧困思想は正しい事ではなく、
お金や物質に、目に見える事だけに振り回されない生き方が本当の幸せだと思う、coucouさんがどちらも味わった経験と体験。

現実はなかなか難しい事だけど、だからといって、そう難しく考える必要もないよ。
 
本当の幸せはすべて「人間関係」の中だけにあり、
「金銭(物質)関係」にはないということが理解できれば何もない。

好きな人と話す、
信頼できる人と出会う。

恋をする、
人を愛する、
人間を愛する。

本当のかけがえのない、
大切な人と人生を過ごす、
互いが支え合う関係、
涙が出るような喜び合う関係、
心から信じる事のできる仲間たち、
そこにしか幸せがないように思える、coucouさんの今日この頃です。

coucouさんでした。みなさん、ごきげんよう!
いつも、いつも、読んでくれてありがとう!

coucouさんのnote記事を第1回目から321回近く、毎日読み続けている人がいる。「iitomo」さん、あなたは凄すぎる、心から感謝と敬意と敬服を申し上げます。同じ人たちの代表として、あなたの名前を勝手に出しました。

ありがとう、いつも。


みんなも、ありがとう~
ありがたき~しあわせ~





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