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映画という芸術について。

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そんな堅くならなくても……と思いつつ、noteをはじめるにあたって、一応方針を示します。 書くレッスンここでは、基本的に長文を載せようと考えています。 在学中はレポートなどでまとまった分量のレポートを書く機会はあったのですが、卒業すると難しい……。 壁に向かってひとりで懇々と書きつらねることへのロマンを感じる一方で、何より人に読んでもらうことが大切だとも思うので、公開を決めました。 映画は芸術である書くことの矢印が自分の外側へ向かっている理由はほかにもあります。 率直にい

    • 予感

      曲の力が大きいとはいえ予告篇だけで涙を絞られた『名もなき者』はマンゴールド会心の一作であってほしい。ていうかそろそろ本気出してくれなきゃ困る。インディの新しいのだって最初のビートルズしか覚えてない。

      • Scénarios & Exposé du film annonce du film "S cénario" (ジャン゠リュック・ゴダール、2024)

        ゴダールの意志を継いだ人々の手になる〈遺作〉と、生前ゴダールがその作品の構想を語る様を追った短い記録映像の二本立て。前者も後者も今書いた言葉以上の意味を持たない残滓のような作品だが、いくつかメモを記す。 畢竟負け戦の一言に尽きる。どう見てもExposéのなかに予告篇として登場する小冊子のほうが、映像化されていないにもかかわらず、Scénariosより遥かに魅力的に映るのである。 こうしたゴダールの〈物体〉をじかに目の当たりにしたことはまだないが、手書きの線や文字、絶妙にバ

        • 『営倉』(ジョナス・メカス、アドルファス・メカス、1964)

          1970年のアンソロジー・フィルム・アーカイブス設立に至る決定的な契機として、ふたつの出来事がしばしば指摘される。ひとつは『燃え上がる生物』(ジャック・スミス、1963)が過激な性描写の廉で上映禁止の憂き目に遭ったこと。そしてもうひとつがこの『営倉』の製作経緯である。アルトーの演劇理論に突き動かされ、シャーリー・クラーク『ザ・コネクション』(1961)の原作演劇も上演したリビング・シアターにおいて、『燃え上がる生物』同様、人目に触れることを禁じられたその芝居をメカスが1本の映

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        • Scénarios & Exposé du film annonce du film "S cénario" (ジャン゠リュック・ゴダール、2024)

        • 『営倉』(ジョナス・メカス、アドルファス・メカス、1964)

          引用

          「げんに多くの敵の視線にさらされていることを知らない駅馬車が、切通しをまさに抜けきろうとする瞬間、行商人ドナルド・ミークの胸に突きささる1本の弓矢は、それまで無言の視線に込められていた敵意という敵意を一身になった一撃なのであり、この瞬間をきっかけに駅馬車は乗客を遠隔地へと運ぶ19世紀の乗りものであることをやめ、頑丈な材木の構造も重量も乗せている人間をも一挙に包みこんで、ただ開かれた空間を全速力で走りぬける無償の運動へと変貌するのだ。このとき背景としての岩山はすっかり姿を消し、

          『パンと植木鉢』(モフセン・マフマルバフ、1996)

          これまで見ていなかったせいでキアロスタミの『クローズアップ』を何度見ても「マフマルバフさん!」と崇められる理由がいまいち分からなかったのだが遂に心の底から肯ける日が来た。これは名前を騙りたくもなる気がせんでもない。 噂に違わぬ傑作でラスト・ショットのフリーズフレームの切れ味がちょっと凄まじい。特に差し出される手の速度と止まるタイミング。クレジットでも静止画面は続くのでよく確認できるが、パンがブレてるのが本当に良い。心理的動機を追い越すアクション。私のなかでは『イタリア旅行』に

          『パンと植木鉢』(モフセン・マフマルバフ、1996)

          引用

          「『父さんが苦しんでいるのはそれが原因なの?』あなたは苦笑いしました。そしてこう言ったのです。『いいかい。一番性質(たち)が悪い苦しみというのは、これといった理由がないやつなんだ。あらゆることが原因になっていて、とくに何かがあるわけじゃない。まるで顔がないみたいなのさ』。『どうして?物事には必ず理由があって、それについて話せるはずよ』、私は質問をはぐらかされたのにがっかりして、なんの確信もなしにそう言いました。そしてもう一度あなたの沈黙を受け入れ、おそらくどんな場所でも、人は

          『他と信頼と』(オーストラ・マコンドー、2024)

          『辰巳』(小路絋史、2024)に深く胸を打たれた者として見に行ったのですが、少なからぬ動揺を覚えました。まず、物語の甘さ。季節をーー日本的な〈季節〉の表象をなぞり返すようにーー取り込んでしまう甘さに加えて、単純にメロなのです。相手を真に尊重しているという事態から導かれる最も適切な身振りとは何か。同棲中かつ撮影中の恋人から彼女とその新マネージャーの仲に至るまで全篇を貫くこの問題系は、地方に住む半グレたちの抗争を描いたハードノワール映画『辰巳』でも思い直して最終決戦に臨む遠藤雄弥

          『他と信頼と』(オーストラ・マコンドー、2024)

          『レクイエム』(ジョナス・メカス、2019)

          ポンピドゥーがポエトリー・デイを日本でも開催してくれたので見られた。Merci. ヴェルディの同題曲へ捧げられた掌編であり、広義の雇われ仕事といえる本作。大枠はやはりエッセイ映画といえそうだが、①断片的に切り取られた草木や小動物に空模様などの自然②中間字幕的に挿入される「レクイエム」英語詞のテキスト③飢餓・貧困・死をモティーフとする写真群(「ハゲワシと少女」)やTVのニュース映像(火事や津波)、の水準に腑分けできる。 ほとんど〈退屈〉といってもいいほど牧歌的な①が、ホン・サ

          『レクイエム』(ジョナス・メカス、2019)

          『石がある』(太田達成、2023)

          復刊されたバラージュ『視覚的人間』にパサージュにかんする節があり、派手な場面より道端を歩く何気ないシーンのほうがよっぽど人間を描けるしそれだけ重要なのだと書かれている。要するにニーチェ的な(?)凡庸と非凡の顛倒である。達見だろう。だが彼がそのように批判的視点から筆を走らせたのは、おそらく全篇を通じて力が入っているシーンとそうでないシーンの差が激しい映画を見たからだとも思われ、ならばバラージュが本作を見たらどう書くだろうと夢想してみたくなる。褒めるんだろうか、貶すんだろうかーー

          『石がある』(太田達成、2023)

          悪の行方は知れず、正義は存在しない

          時代がそう要請するからというありきたりの回答しか用意できそうにないのだが、どういうわけか、この春この国では、単純な二項対立ではとらえきれぬ曖昧な色合いを帯びた、しかしはっきりおもしろいといってしまいたくなる2本の映画が公開されている。『正義の行方』(木寺一孝、2024)と『悪は存在しない』(濱口竜介、2024)がそれらにほかならない。 『正義の行方』は、1992年に福岡県飯塚市で起きた女児二名殺害事件を三者の視点から辿ったドキュメンタリー映画である(元はNHKスペシャルだっ

          悪の行方は知れず、正義は存在しない

          『ケンとカズ』(小路紘史、2015)

          まず、テンポがいい。小競り合いからエンジンギアを入れて襲撃に至る開巻から明らかなように、登場人物をただでは済ませておかぬ騒ぎは常にすでに起きてしまい、事態を必死に掴まえようと編集が重ねられてゆく。同時に、キャメラは構図よりエモーションを優先し(カサヴェテス)、俳優の表情が無二の輝きを放つさまを掬いとる。つまり、まさに今そこで立ち上がる感情がここには存在するのである。だが真に驚くべきは、駄目だと分かっていてもアリジゴクのように闇の奥へ引き摺られるケンが早紀からの留守電を聞くシー

          『ケンとカズ』(小路紘史、2015)

          中平卓馬 火―氾濫(東京国立近代美術館、2024年)

          その名を聞いて真っ先に思い出すのは『カメラになった男ー写真家 中平卓馬』(小原真史、2003)で猫のように鷹揚かつ俊敏に動きまわる姿とショートホープの空き箱に神経症的なほど細密に刻まれた朱字が織りなす対照である。にもかかわらず対象から瞬間を切り取る写真家が記憶障害ゆえに事物を持続ではなく断片のうちに捉えるという今どき青年漫画でも実践せぬほど象徴的なエピソードも抱えているというのだから、この人を矛盾の人といわずしてなんといえるだろうか。 キャプションでも触れられていたが、病とこ

          中平卓馬 火―氾濫(東京国立近代美術館、2024年)

          『すべての夜を思いだす』(清原惟、2024)

          同軸の引きが多分10回程度あったと思うが、最も新鮮に映ったのは1回目のハローワークで、女性どうしが見る見られるの関係にあると示すものは並、そのほかはカットの動機が不明瞭だったように思われる(特に土鈴前での微妙な引き。さらに見上が玄関前でダイの母を待つ同軸は私にはダブりすぎに見えた)。同軸の良いところはポンとキャメラ位置が変わることで編集にリズムが生まれる点だが、こうも多いと持て余している感さえある。 ヒップホップにせよダンスにせよ、要所要所で「本当にそれに興味ありますか?」と

          『すべての夜を思いだす』(清原惟、2024)

          思い出すこと

          高校時代に所属していた演劇部の男性顧問は、50代半ばの世界史教員だった。大柄、テノールボイス、ほとんど白髪、そしてなにより生真面目。彼の授業を受けたことはなかったが、よく「私が○○だとしますね。すると**は……」と喩えたという。友人から「今日は遂に『私が天使だとしますね』って言いだしたぞ」と聞いたときはひっくり返るほど笑った。三位一体説についてだったらしい。 なぜかよく覚えているのだが、1年の秋、男子更衣室でみんなして着替えていたとき、横におられた先生が黒澤明の撮影でエキス

          思い出すこと

          2023映画ベストテン

          邦画 ①王国(あるいはその家について) ②愛にイナズマ ③せかいのおきく ④月 ⑤バカ塗りの娘 ⑥春画先生 ⑦花腐し ⑧ほかげ ⑨君は放課後インソムニア ⑩首 順位は志の高さに因る。演技を通じて映画の原理=キャメラと被写体の関係性そのものを問い直す①、絶対的悪の存在なき現代において森﨑東的な喜活劇の再生に挑む②、「せかい」と嘯いてしまう時代劇批判としての時代劇である③、おのれの尊厳を懸けてアポリアに臨む④、単純であることの幸福を思い出させる⑤。以下は焼き直し、作家的退行が

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