Scénarios & Exposé du film annonce du film "S cénario" (ジャン゠リュック・ゴダール、2024)
ゴダールの意志を継いだ人々の手になる〈遺作〉と、生前ゴダールがその作品の構想を語る様を追った短い記録映像の二本立て。前者も後者も今書いた言葉以上の意味を持たない残滓のような作品だが、いくつかメモを記す。
畢竟負け戦の一言に尽きる。どう見てもExposéのなかに予告篇として登場する小冊子のほうが、映像化されていないにもかかわらず、Scénariosより遥かに魅力的に映るのである。
こうしたゴダールの〈物体〉をじかに目の当たりにしたことはまだないが、手書きの線や文字、絶妙にバランスよくコラージュされた写真や絵画の断片を見るに、もうすでに映画が完成しているじゃないかとさえ思える。実際この印象は、加藤泰が執筆した『好色五人男』のシナリオが、彼の死ゆえに映画化は叶わなかったというのに、すでにして優れた〈映画〉であるといった事態と大して隔たっているわけでもあるまい。
Scénariosは未完であるどころか既完なのだ。言い換えれば、Scénariosとは、すでに完成されたひとつの作品をもう一度つくりなおそうとする無謀な試みにほかならない。負け戦と書いたのはこうした理由からである。
再神話化を図るつもりなど毛頭ないと断ったうえで書くと、敗戦の最中にあってさらに明らかになるのは、ゴダールの生理的編集は誰にも真似できないという当たり前の事態である。今のショットをもう少し見たいーーScénariosに終始欠けていたのは、見る者の渇望を煽るような挑発的態度だった。