他人や会社からの評価に一喜一憂してしまうなら
仕事をしていると、会社の評価=自分の人間としての評価のように感じることがある。
出来ないことを指摘されると、それが出来ない自分が不良品かのように感じる。
そして自分以外の人間は皆、それが出来ているように感じる。
でも、そんなはずはない。
それが出来なかったところで、あなたの価値は0.01ミリも変わらない。
他人からの評価の扱い方
仕事をしていると、生活の大半の時間を使うので、その世界が全てのように感じてしまう。
でも、一つの会社で良しとされる価値観は、その会社を出れば異質だったりする。
上司の価値観も、その人の価値観に過ぎない。
自分の評価=会社の評価、と思って心が病む人は、おそらく自分に対する全ての評価を鵜呑みにしてしまっている。
私は会社に限らず、他人からの評価を、何でもかんでも自分の中に取り入れない。
自分の周りにバリアがあって、跳ね返してる感覚。
他人からの評価を見聞きしたときに、それをしっかり食べて自分の体の一部するか、体に入る前に本当に入れて良いか選択している。
大事な人からの助言や、これは自分にとって大切だなと思う声は、ありがたく自分の糧にする。
何でもかんでも跳ね返せ!という話ではなく、自分にインストールする評価は、自分で選別することが大切だという話。
じゃあ、実際に他人からの評価をどう処理しているか。
ざっくり、こんな手順で処理している。
相手の言葉を一旦バリアで保留
その言葉を噛み砕いて事実かを判断
事実なら、自分のためになる部分は改善の際に参考にして、それ以外は捨てる
事実でないなら、相手にすらしない
具体例を2つ紹介する。
例 痩せた方が良いと言われた
例えば誰かに「太ったよね?痩せた方がいいよ」と言われたとする。
それに対して、
「やっぱり、私デブなんだ。だから彼氏もできないし、もう誰にも愛されないかも…」
なんて、飛躍して考えない。
脳に入れる前に、一旦自分の周りのバリアで保留する。
“この人は、私が痩せた方がいいと思っているんだな”
事実だけ一旦把握し、こう考える。
こう思えば、その言葉は自分の中には入れない。
相手にはこんな感じで適当に返事をしておけば良い。
例 上司からの指摘
会社だと、適当に返事が出来ないこともある。
例えば上司にこう言われたとする。
「私の質問に対して、質問で返さないで。不安になるから。わからない部分があるなら、何がわからないかその部分を聞くとか、ちゃんとコミュニケーションして」
ここで間違っても、「私、コミュニケーションできてないんだ」と、鵜呑みにしてはいけない。
一旦この言葉は自分のバリアに保留しつつ、私はこう考える。
上司の指摘も、完璧ではない。
その人の価値観や感情が大きく反映されていることがある。
それをしっかり見分ける。
全ての言葉を鵜呑みにして落ち込む必要はない。
それはあなたの感想ですよね^^と、心にひろゆきを召喚すれば良い。
感情をかざしてくる上司に対して、私は謝る必要はないと思っているので、この一言だけ返す。
言い返したり、言い訳する必要もない。
もちろん正しい指摘をされることもある。その時は、素直に謝って、次からしなければいい。
でも、相手が正しいことを言っているからと言って、その言葉=自分の人間としての評価ではないことを忘れてはいけない。
他人があなたに評価をつけることは出来ない。
「頑張る」方向を間違えない
「あなたはありのままで素晴らしい」
「努力しなくても、生きてるだけ満点」
このような話をしたいわけではない。
もちろん人生は努力も必要だし、足りない部分は補ってく必要もある。
でも、努力すべき部分や、自分に足りない部分を、間違った所から見つけてきて、心を病んでしまう人を見ると、胸が痛い。
例えば、誹謗中傷で自殺する芸能人もそう。
誹謗中傷をいっぱい食べて、噛み砕いて体に蓄積するのは、毎日ジャンクフードだけを食べて生活するのと同じ。
体はボロボロなのに、ボロボロにしてくる張本人に愛されようと、評価されようと頑張る。
他人や一般大衆に好かれるためになんて、頑張る必要はない。
自分の中に入れる言葉や人は、自らしっかり選ばないといけない。
自分の感じることに自信を持って
過去に私自身も、他人の評価に振り回されていた。
最近やっと自分の中に入ってくる評価の言葉を選択できるようになった。
こんな風に、人の目を気にして考えていた。
自分の感じることを疑いながら生きるのは、かなりしんどかった。
今は、自分が感じることが、自分にとっての正解だと確信がある。
振り返ってみると、「あの時感じてたことは、間違ってたな」と思うこともある。
それも、自分が評価することであって、他人が評価することではない。
これからも、会社・友人・社会…いろんな人がいろんな評価を投げてくると思う。
それをイチイチ鵜呑みにしていては、仕事も人間関係も、自分の心身も長持ちしない。
そこに私の評価はない。
自分の評価や感じることを、他人に任せきりにせず、自分で判断し、選択すること。(自分への戒めでもある)
他人があなたに評価をつけることは出来ないし、私も誰かを評価するなんて大それたことはできない。