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キャリアとSDGsと小学生

今、ある小学校6年生対象に、キャリア教育の中でSDGsと結びつけた探究学習をできないか、担任の先生と打ち合わせている。

自分用メモ
・2学期に10時間計画
・7/19までに学校訪問・まち探検&計画策定
・夏休みに計画確定

・子どもたちに話してミッションを出す
・地域の持続可能性を評価する
・エシカル教育

・ポートフォリオ?
・PBL
6月での打ち合わせメモ

こんなメモが残っていたが、夏休み前の訪問が叶わず、計画を立て直すことに。

前に考えたことにはとらわれずに、今から新しくつくるつもりで、現状のやりたいことを伺う。

キャリア教育の位置づけもあるので、2時間ずつ、地域で活躍する方にゲストで来ていただき、お話してもらうことが加わったそうだ。

単純に残された時間数は、5,6時間というところか。

場づくりだけはものすごい数をこなしてきているから、目的と対象者のゴールと時間数が決まればデザインはいくらでもできる。

ちなみにパタゴニア日本支社での戦略策定オフサイトミーティングでは3日間の全体デザインをしてファシリテーションもしていたのだが、セッションセッションの時間の流れを見ながら(必要なことをしっかりと進めていく必要性とバランスしながら)、残りの時間の中でセッションの組み方をリデザインしていく、を繰り返していた。

さすがに10年やるうちに磨かれるものがあった。

対話の場やワークショップも、1時間とか2時間とかから8時間とか2日間とか、9ヶ月のオリジナルプログラムまで、いろいろやった。

またこのデザイン能力は、教員時代の授業づくりからも引き継がれている。

今は、目的と対象者のゴールと時間数が決まれば、どうやればいいかは考えられる。

話は例によって脱線してるが、小学校6年生の授業に戻る。

小学校、中学校、高校と私立公立あわせて13校(ん?14?)経験しているから、子どもたちのイメージもそれなりにある。

今、かすみがうら市でさせていただいているSDGs研修で重視していることは、主体性だ。

そして今、企画を考えているプログラムのテーマも、主体性である。

なぜ主体性が大切か。

それは、主体的に行動して、目標を達成したり、認められたりしたときに、自己効力感が高まるからだ。

効力感とは、無力感の反対で、自分の力が効く感覚のことだ。

つまり、なんかすればどうにかなるって感覚。

今の社会では、例えばYouTubeでも本でもマンガでもいいのだけど、メニューがある中から自分にとって最良のものを探す形が多くなった。

学びですら、○○学習法やら、オランダではどうとか、日本古来はこうとか、さまざまな学び方のメニューから探していないだろうか。

メニューから探していくことに知らず知らずのうちに慣れているのが、今の私たちではないか。

メニューから探していくだけなら、クリエイティビティは必要ない。検索能力があればいいのだ。

それは悪くない。必要な情報を効率よく探せた方が自分が探究するより遥かに楽だから。

だが、それだけではクリエイティビティは高まらない。

クリエイティビティとは、ないものを生み出すことだ。

クリエイティビティは、人を活気づける。

クリエイティビティがない世界は、新しいものが見えない、活気のない世界だと僕は思う。

外にあるメニューから自分に合うものを探すだけでは、自分の中に芽生えてくるものを見つけにくくもなるだろう。

なぜなら、外にあるものにただ反応しているだけで、内的なシステムが構築されにくいからだ。

内的なシステムが構築されてくれば、いろんなことが可能になる。

その土台に来ることが、主体性だと思っている。

自分はどうしたいのか。

自分は何が好きなのか。

自分は何に喜ぶのか。

それはモノとか環境とかなのか。

もっと動物的に自分が欲するものをつかまえることが大切だと思っている。

それには、社会化して見失われた自分の本来ある本質的な何かから始める必要がある。

そういうのを『オーセンティック』とか言うらしい。

『オーセンティック』という言葉は語れても、『オーセンティック』に生きられているのか、と訊いてみたい。

オレはできてない!(笑)

オレはまだまだありのまま生きられてないと思う。

だから、こんなにしょーもないんだと思う。

オレは自分がありのまま生きる、ありのまま表現する、ありのまま創り出すことを心から欲している。

その機会を自分に与えたい。そして、できたらその機会を他の人とも分かち合いたい。

だから、プログラムもつくるし、将来世代のためにも社会変容に取り組む。

この小学校6年生のためのキャリア教育の授業も同じだ。

僕の中ではSDGsは地域実装の話でまちづくりとも言える。

持続可能な地域づくりに貢献する事業こそが、最も持続可能性の高い事業であると考えてる。

主体性から始めるとしたら、子どもたちが街や学校をどうとらえ、どうなったらいいと思ってるか、ここを訊いてみたい。

しかし、そんなこと投げかけたところで子どもたちすべてが素直に乗ってくるわけでもないのは見える。

そこで担任の先生に尋ねた。

「こんな街に住みたい、こんな学校がいい、ってのを子どもたちから出してもらう、ってのをぶつけたら、40人の子どもたちにはどのような反応があるかしら?」

「3分の1は、ちゃんとしたものを出して、3分の1は、よくわからないって反応。そして最後の3分の1はふざけたことを言いそう。」

「へぇ!ふざけたことってどんなことを言いそうなの?」

「『学校は行かなくていい』とか『何でもタダで手に入る』とか」

「へぇーー!!!おもしろいね!」

そこで、ひとつ話した。

あるクラスで小学5年生が「勉強なんてやらなくていいじゃん」と言ったときの話。

僕はそのクラスの担任じゃなくて一時的に教室に行ったときのことだ。

『勉強なんてやらなくていい』

これを黒板に書いて、子どもたちに尋ねた。

「勉強ってやらなくていいと思う人、手を挙げて」

その反対も手を挙げてもらった上で、話し始めた。

「先生は勉強だけでなく、何でもやらなくていいと思ってる」

子どもたちが驚きの顔でこちらを見てる。やらなくていいじゃんと言った子は斜めに座っていたのにこちらに姿勢をまっすぐにして向いた。

「たださ、勉強ってやらなくていいけど、やった方がいいか、やらない方がいいか、だったらどっちかな?やった方がいいと思う人、手を挙げて」

バラバラと結局、全員手を挙げる。

「君たちが自分の人生をよりよくするとしたら、一番大切なことはやった方がいいってことをやれることだと思うんだ。

誰でもなく、君たちの人生は自分の力でよりよくできる。そのためには、できるだけやった方がいいことをやることだと思う。

勉強しなくてもいいけど、勉強した方がいいと思うなら、今やってごらん。

それは自分の人生をよりよくするはずだから。」

そこからその時間において子どもたちに勉強しろなどと言うことはなかった。

僕はニコニコやってる子たちに「すごいねえ」「すぐやれるなんて」「オレは怠け者だから、そんな風にすぐはやれなかったよ」なんて話しかけて、一緒に笑っていた。

ま、こんな話を担任の先生にしてみて、

ふざけた反応をする子たちは、いろいろしなければならないという窮屈さを感じていて、その窮屈さに一番気づいている子たちではないか

社会と個人が衝突したら変わるべきなのは社会であると僕は考えてる(その学校にあるルールと子どもたちの尊厳が衝突するならルールを見直す方向が僕は大切だと思っている)

子どもたちがふざけられるというのは、担任の先生のありのままを見せられているから、素晴らしい学級経営だと思う、ふざけられるのは大変だろうけど(笑)

子どもたちの話すことの中にある理由や要望、願いを聴いてみたいな

なんてことを伝えた。

僕の中では、ここを整えてからSDGsやキャリアの話に入ることが必要だと思ったから。

担任の先生は、とても喜んでこれをやることを望んでくれた。

入り口の2時間はここを整える方針に決まった。

でも出口はまだ決めてないので、いったんこれで保留して、次回のミーティングでもう一度、出口から考えることにして終わった。

自分で振り返ると、Sustainabilityを推進するのに不可欠なのが主体性であり、主体性を発揮するためには、今無自覚に自動化してる受動性に気づく必要がある。

失敗を怖れる文化に埋没してたり、組織という考えに染まっていたりしていることに無自覚なままでは、取り組みの威力はフルに発揮されないということだ。

主体性の無さは、いろんな活動を蝕んでいる。

Sustainability推進の流れにおいて知的な学びやアクションも大事だが、その中に主体性の発揮(受動性の自覚と選び直し)の機会をどう織り込むかがプログラムデザインにおいて重要である。

そして主体性が発揮されてくると人間関係も充実してくる。そのときに関係性を結ぶための動きをデザインに組み込むと相乗効果が出る。

かすみがうら市主催のSDGs研修はこのことの『実験』でもある、そして小学校6年生対象のキャリア教育も。

かすみがうら市のプログラムは7月末から始まって、いろんな方からのフィードバックがある。

うれしかったものを書くと

「ここまで多様でおもしろい人たちが集まっていて驚いた」

「みんなの熱さがすごくて、最後のみんなで一周話す間に一体感が出て、すごくよかった」

「高校生や大学生、地元の人たちと集まって、ここまで多世代で多様性のある人たちと一緒に取り組めるプログラムはない」

今回、かすみがうら市の担当の方々が心が広いのと先見性があったおかげと、この間の出会いの中で共感して協力してくれた方々のおかげで、この『実験』ができている。

そして参加してくれた方々がとても素晴らしくありのままに動いてくれて、その躍動が生み出してくれてるグルーヴィングのおかげだ。

まだ10月末まで気が抜けない、先の読めない部分がある綱渡りなプログラムだけど、みんなが協力してくれて道を開いてくれてる。

必ず素晴らしいところに辿り着く。

この探究的な場こそが、主体性とクリエイティビティの発揮において大切だから。

探索でなく探究だ。

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