震災日録 ― 記憶を記録する (森 まゆみ)
(注:本稿は、2013年に初投稿したものの再録です)
いつも行っている図書館の新着書コーナーで目に付いたので手に取ってみました。
著者の森まゆみさんはノンフィクション作家ですが、地域雑誌の発行等の市民視点の地域活動も行っています。
本書は、その森さんによる東日本大震災の等身大の記録です。
森さんとその周りの人びとの震災発生後その時々の生の声を残したもので、とても興味深い内容です。
それら数々の記録の中から、いくつか覚えとして書きとめておきます。
まずは、日本の旧来型マスコミに見られた3月27日東京での脱原発デモの扱いについて。
意図的に情報を矮小化したとしか考えられない姿勢が、海外メディアとの対比の中で際立ちました。
今回の大震災は、いろいろな面で様々な人々の実像を浮かび上がらせました。それは個々人の場合もあれば集団の場合もありました。
美点という点では、災害後の治安の安定がよく語られていましたが、こんな日本人評もありました。
ちなみに、ピーター・バラカン氏はイギリス生まれで日本在住の音楽評論家、テレビ番組のキャスターも務めたこともある社会派です。
特に巨大津波が押し寄せた際、「自己の判断力」が厳しい運命の分水嶺にもなりました。
外国の方という点では、海外からいち早く援助の手が差し伸べられたことは多くの報道で伝えられました。他方、あまりマスコミには取り上げられませんでしたが、日本在住の外国人の方からも献身的な心遣いをいただいていたのです。
いわきで炊き出しのボランティアをされたマクブールさん。
こういった個人レベルでの援助がさまざまなシーンで広がりをみせた反面、国・地方自治体等行政機関のいかにも「お役所仕事」といった後追い対応も問題視されました。被災状況の把握・援助物資の分配・・・、被災現場の切迫した状況への対応としては全く不十分でした。
献身的な活躍をした自衛隊に対してですら、震災後日が経つにつれ、実際に被災した方々は微妙な気持ちのズレを感じ始めたとのことです。
このあたりの “現場でなくては感じることのできないリアルな感覚” はとても大事だと思います。
今回の未曽有の大災害は、人々の生活のありとあらゆる面に計り知れないほどの傷を残しました。その傷は、癒されつつあるものもあれば、未だに快方に向かっていない、むしろ傷口が広がりつつあるものもあります。
本書で紹介されている地道な活動は、日々起こっている現実を現場視線で掴み続けること、そしてそれを問題意識とともに発信し続けることの重要性を改めて強く訴えています。
この先、復興の名で行われる諸々の営みが、旧態の復活に止まらないよう、喉元過ぎれば・・・には決してならないよう、折に触れ心したいと思います。