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民主党政権 失敗の検証 - 日本政治は何を活かすか (日本再建イニシアティブ)

(注:本稿は、2013年に初投稿したものの再録です)

 会社の近くの図書館の「本日返却された本」の棚でたまたま目に付いたので読んでみました。

 「日本再建イニシアティブ」船橋洋一氏が理事長のシンクタンクで、福島第一原子力発電所事故に関し、民間人の立場から事故の検証を行った「民間事故調」の母体として有名です。

 さて、民主党が掲げた政権運営の中核は、ご存知のとおり官僚依存のガバナンスを政治家に取り戻す「政治主導」でした。

 この点の評価については、まずはじめに、まさにそのものズバリの表題である「第2章 政治主導」において整理されています。
 たとえば、「政治主導」の具体的な表れとして実施された「事務次官会議の廃止」についての総括です。

(p65より引用) 事務次官会議の廃止は、その象徴的な意味合いを超え、政務三役と事務方との意思疎通の不全と相まって、各省間の情報流通の目詰まりを生じさせ、さらには官邸の情報収集能力の低下という想定外の副作用をもたらした。

 この点については、「各自の手動操縦技術の限界を十分に認識しないまま、セーフティーネットでもある官僚による自動操縦のスイッチを全面的にオフにしてしまった」という民主党議員のコメントが当を得ています。

 結果、民主党が声高に訴えた「政治主導」は、かえって自らの能力不足を露呈する結果となったのでした。

(p59より引用) 政権構想第一策に掲げられた政務三役による政治主導は、その具体的な進め方については各閣僚任せだった。そのため、政治主導が比較的成果をあげた省もあれば、政治家による業務の抱え込みや過度の官僚排除により機能麻痺につながった省もあるなど、政治家個人の属人的要因により政治主導の成否が大きく左右された。各省の取り組みの好例を他省に採り入れることもなく、閣僚らの個人プレーを官邸側が統御できなかった。

 この傾向の揺り戻しで、菅政権・野田政権と進むにつれ官僚との関係修復が図られ、結局のところ、旧自民党政権におけるガバナンススタイルと大同小異の姿に落ち着いてしまったのです。

(p271より引用) 野党時代の政策は「理論と枠組み」で済んだが、政権に入った以上、それは「実務と細部」でなければならない。民主党の政策制度設計は「細部」がおろそかだった。

 自らに実務遂行能力が欠如しているにも関わらず、それを補完すべき「官僚」を全否定してしまう。「外交」面での民主党はさらに稚拙でした。

 鳩山氏が惹き起こした普天間移設問題での迷走は言うに及ばず、今後の日米関係のあり方といった基本戦略に関しても「対米追従外交」から「対等な日米関係」へと唱えるだけで、そのグランドデザインと具体的打ち手についてはほとんど詰められていなかったようです。

(p126より引用) ここでいう「対等」とは、対米追従ではないという意味での消極的な対等性であり、日本が米国とともに国際秩序の形成に参画するという意味ではなかった。その結果として、民主党と連立政権には日米同盟の資産を削ることへの合意はあれど、他の積極的な外交政策を展開させる能力が欠けていた。そのため外交政策のバランスシートは地滑りを起こし、マイナス面が先行することとなったのである。

 さて、その他、本書では民主党政権自壊の要因を様々に取り上げ、分析・評価していますが、結局のところ、ひと言でいえば、「民主党は、あらゆる面で、政党としての『政権統治能力』を欠いていた」ということのようです。

(p258より引用) 政権獲得後の民主党は、政策やマニフェストの基本理念にこだわれば確固たる支持基盤が確立されず、かといって利益団体に過度に接近すれば基本理念を失うという矛盾に悩まされた。

 これは、「基本理念を同じ価値観として有する支持基盤を、地道なプロセスを経て構築する」という政治家として極めて基本的な行動すら行っていなかったことと同値です。
 これでは、そもそも「民主党の基本理念」とは国民のどういう意思に基づいていたのかという疑問に行き着いてしまいます。

(p214より引用) 「そもそも明確な論理や解答がない問題だからこそ政治の場に持ち込まれているのに、若手ばかりか幹部さえ朝の四時まででも徹底的に議論すれば答えが出ると思い込んでいる節がある。議論することと、決定することと、納得することにそれぞれ違ったものがあるということが分かってない。だから消費税であんなことになった」

 この民主党議員の述懐は、「政治主導を唱えつつも政治家たり得なかった自分たちの姿」を的確に言い表していますね。



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