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ドリトル先生航海記 (ヒュー・ロフティング・井伏 鱒二 (翻訳))
(注:本稿は、2020年に初投稿したものの再録です。)
福岡伸一さんのお薦め本だったので、「この歳になって」という気がしますが手に取ってみました。
読む前に私が勝手に想像していた “航海記” というイメージとはかなり違っていましたが、確かに良質の物語だと思います。
読むとしたら「小学校の中高学年」ぐらいがちょうどいいのではないでしょうか。
この歳になって読むと、あの井伏鱒二さんの訳なのかとか、この言い回しは今はちょっとマズイのではとか、どうでもいいことが気になったりするのですが、それ以上に、読む人によってさまざまな刺激を受けることのできる素晴らしい作品です。
特に、最後のドリトル先生がポプシペテルを離れ、故郷の街に戻ることを決断するシーンはとてもいいですね。
(p372より引用) 偉大な決意がなされるのは、いつでも、一瞬間をでないものです。だんだん明るくなる空をあおいで、先生の姿がきゅうに起きなおりました。ゆっくりと先生は、神聖な王冠をぬいで砂の上におきました。
「あれたちは、ここで、かんむりをさがしあてるだろう。」と、先生は、涙にむせぶ声でつぶやきました。「わしをさがしにきて、そうして、わしの逃げ去ったのを知ることだろう…。わしの子どもたち、かわいそうな子どもたち!ーなぜ逃げたか、わかってくれるだろうか…。なあ、わかってくれるかしら。ーでは、堪忍しておくれ!」
先生は、パンポから古い帽子を受けとりました。それから、ロング・アローのほうにむいて、さし出された手を、無言でにぎりしめました。
こういった作品を読むと、“小学校での授業” や “塾での勉強” よりも、幼い時期の「いい本との出会い」がとても大切なことをシンプルに気づかせてくれます。