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生まれたときから「妖怪」だった (水木 しげる)

(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)

 久しぶりに近所の図書館に行ったとき、館内の企画コーナーで見つけた本です。

 「ゲゲゲの鬼太郎」の作者として有名な水木しげるさんですが、激烈な戦争体験をはじめとした水木さんの想いや言葉は、以前からとても気になっていました。
 本書でもそれは大いに語られています。

 まずは、水木さんの戦争体験にまつわる想い。
 水木さんは鳥取連隊に入隊し「ラッパ卒」に任じられました。しかしながら水木さんは上手くラッパを吹くことができません。ラッパ卒を辞めさせて欲しい旨人事係に具申したところ、なんと南方の最前線に送られてしまいました。

(p206より引用) 私は、兵隊が南方の戦地に送られたことでなかば死を覚悟し、そして死んでも、それを"美しい散りぎわ"とは断じて思わなかった。むしろ、悪あがきに見えても、生き残ろうと努力する人間のほうがよほど素晴らしいと思っていた。

 そして、もうひとつ、水木さんが「幸福」について語ったくだりから。
 終戦で最前線の戦場から奇跡的に生還した水木さんは、紙芝居絵師、貸本漫画家、雑誌漫画家として働きました。しかし暮らしは苦しいままです。
 そして、ようやく雑誌への掲載のチャンスを得て、それを機に、ついには妖怪ブームを牽引する人気漫画家として筆を振るうことになります。

 水木さんが、何とか「貸本漫画家」ら抜け出し、「駆け出しの雑誌漫画家」として悪戦苦闘していたころのことです。

(p224より引用) 「水木しげるの過去」のなかで、幸福とまではいかないが、ささやかな快感と思ったことが二つある。
 一つは、宇宙物をお断りしたことだ。別にエラソーにしたいわけではない。
 のどから手が出るほど雑誌の仕事をしたかったが、お断りした。
 自分の得意分野で勝負をしたかったからだ。

 それでダメだったら仕方がない。なのに、不本意なテーマで描いたマンガで「雑誌マンガ家失格」の烙印はイヤだった。貸本マンガ家から雑誌マンガ家に立場を変え、不得意なテーマでマンガを描いて失敗し、貸本マンガ家にも戻れず、かといって雑誌マンガ家として評価を得ず、いつのまにやら姿を消したマンガ家を数多く見てきた。
 私は断腸の思いでお断りした。水木サンのマンガ人生のなかでの大きな分岐点であり、緊張感と恐怖心をともなった、ささやかな快感だった。

 「結果はその人の努力の結果とは違う」という現実を心に刻み込んだうえで、「自分がしないではいられないことをし続ける」ことを貫き通し、そこに自らの「幸福」を認めた水木さんでした。



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