欧州のエネルギーシフト (脇阪 紀行)
(注:本稿は、2014年に初投稿したものの再録です)
ちょっと読む本が切れたので下の娘に相談したところ「これはどう?」と出してきてくれた本です。
高校の先生から勧められたとのことですが、新品同様の外観からみると、どうも読んだわけではないようですね・・・。
内容は、原子力発電への姿勢をはじめとして再生エネルギーへの取り組み等について、主要ヨーロッパ各国の対応を実際の現地取材により明らかにしたものです。
東日本大震災とそれに続く福島第一原子力発電所事故後間もない時期の著作ですから、問題に対する真剣さは最大級です。
ヨーロッパの中でも原子力発電に対する姿勢は国によって様々です。フランスのような推進派もいればドイツのように原発撤廃に動き始めた国もあります。
「第一章 苦悩-原発を切り離せない構造」で紹介されている北欧フィンランドは、地勢がら風力や水力といった環境負荷の小さいエネルギーには期待できません。そのため、ある程度の原子力発電には頼らざるを得ない状況です。
そのフィンランドでエネルギー行政に携わっている雇用経済省リク・フツネン氏は、福島第一原子力発電所事故に関して、非常用発電機の設置場所等、日本の安全技術の取り入れ姿勢等に言及したあと、日本が追随しているアメリカ流の原子力安全文化と欧州とのそれを比較してこう語っています。
ドイツは、従前より最も原子力撤廃に意欲的な政策をとっていましたが、メルケル政権下、脱原発路線の修正を図ろうとしました。その矢先、福島第一発電所の事故が発生しました。2011年5月30日、ドイツ国内各界の有識者らによる「安定したエネルギー供給のための倫理委員会」は「約10年以内に脱原発を行うのは可能であり、望ましい」とする勧告を示しました。
その会のメンバであったベルリン自由大学M・シュラーズ氏は、こう語っています。
この発言はとても興味深いものです。
人々の将来の、それもかなりロングレンジの生活に関わる政策の議論において“倫理的”な観点で基本的な方向性が決せられるというのは、とても大事なことだと私は思います。
エネルギー問題への対処は当然国家レベルの取り組みになります。国としての意識統一が極めて重要ですが、当然それは、国民一人ひとりがどのくらい当該問題を我が事と真剣に捉え行動するかにかかっています。
このあたり、地勢的にも比較的小さな塊である北ヨーロッパの小国は、国としての進むべきベクトルがしっかり根付いているようです。
その中の1国、自然エネルギー立国を目指すデンマーク。
中東戦争勃発に伴う第一次石油危機で原油価格が暴騰した1973年は、多くの国々にとってエネルギー政策の転換点であった(はずの)年でした。
また、環境共生都市の構築を進めているスウェーデンの取り組みも、日本の現状を鑑みると「あせり」さえ感じさせるものです。
原子力発電の存続or廃止がどうであろうと、すなわち「エネルギー生産」の今後のポートフォリオがどうであろうと、今後の地球という生活環境を生存可能な状態に保ち続けるためには、「エネルギー消費」を抑えることは絶対条件です。
本書を読んでの最大の気づきは、すでにヨーロッパの多くの国々では、地球的規模の課題であるエネルギー問題への具体的対応として「今の生活スタイル、すなわち価値観」そのものを根本的に変え始め、それを社会・都市政策として着々と具現化しているという事実でした。
このヨーロッパの切迫感に対し、日本は決定的に出遅れているのです。
(注:さて、今は2023年。本書を読んでから10年経ちました。その間、日本もヨーロッパも国際的なスケールでそれぞれを取り巻く環境が大きく変化しました。ただ、それゆえにというかそれにも関わらずというか、この10年で大きく改善への一歩を踏み出したかと振り返っても、実態はなんとも“千鳥足”状態のようです。やはり人間は結局のところ、目の前の課題がクリティカルであればあるほど “近視眼的思考” しかできないのでしょうか。何とも情けなく、残念至極です・・・)