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「課題先進国」日本―キャッチアップからフロントランナーへ (小宮山 宏)

フロントランナー

 小宮山宏氏の本は「地球持続の技術」に続いて2冊目です。

 先の本は、エネルギー・資源問題が主題でしたが、今回のスコープはもっと広汎なテーマを扱っています。

 本書の中で、小宮山氏は、日本がエネルギー・資源・環境・高齢化・少子化・教育等々・・・「課題山積」の国であることを指摘しつつ、それに積極的な意味づけを行います。

(p20より引用) それぞれ、その当時の先進国が、自国が直面した課題を解決することによって、結果として世界の課題を代表して解決し、歴史に残る偉業を成し遂げていったのである。
 日本がいま課題山積の先進国であるということは、日本がこの先の人類の地平を切り開く立場に立ったと捉えるべきなのである。それが、「課題先進国」日本ということの含意である。

 そういった「課題解決先進国」に日本がなるために必要な条件は、「自ら新たなモデルを創造するという気概」だと小宮山氏は説きます。

(p51より引用) 日本に欠けているのが、新しいことをゼロから始めるというメンタリティであり、それを促す社会の仕組みだと思う。アントレプレナーシップ(起業家精神)に富む人材が少ない。それを歓迎する世論に欠ける。また、失敗が許されないという風土では、ベンチャーはやりにくいことになる。・・・
 結局、日本社会全体が、課題解決の手段を外国に探すのではなく、自ら創造していくのだという気概を持っていない。日本全体がまだ途上国意識なのだと思う。まず、そこから変わっていかないと、日本は課題解決先進国になかなか向かうことができないだろう。

 フォロワーは、発生する課題も既知のものですし、その解決策もすでに示されています。他方、フロントランナーはそれとは全く異次元の環境に立ちます。アイデアの発想、ものごとに取組む姿勢、実行方法・・・すべてが未知のものです。従来の思考スキームを一変させなくてはなりません。

(p180より引用) 「薄い教科書がダメ、厚いのもダメ、中間に」ではなく、新しいものをつくるのだ。それがフロントランナーである。

 間をとった安易な妥協は通用しないと心得なくてはなりません。

 あと、もうひとつ、本書の中で興味を抱いたフレーズを覚えとして記しておきます。

 「教育」に関する提言のなかでの小宮山氏のことばです。
 特に数年前、教育にも市場原理を導入すべきとの論が強く主張されたことがありました。この考え方に対して、小宮山氏は否定的です。

(p194より引用) 教育を受けるのは基本的権利であるし、それは個人の能力を精一杯引き出すためのものだから、社会もコストを負担するという考え方が前提にあるのだ。・・・
 例外はビジネススクールである。・・・これは、教育機関というより株式会社の延長として、例外と考えたほうが、教育問題の本質を理解しやすい。教育に市場原理を導入せよと主張している人々には、ビジネススクールの出身者が多いように思う。そうした方の経験は教育の主体を反映していない。教育機関として例外なのだと考えていただくほうがわかりやすい。

 ある一つの行動の結果が「遠い将来」に影響を及ぼすような場合、そういった類の課題解決には、「市場原理に基づく自律性」は有効に機能しません。市場原理はその性格上、短期的な結果や即効性のある行動を重視するよう動機づけられているのです。

 他方、まさに「教育」は「国家百年の計」です。
 近視眼的な教育機関の選別(淘汰)は、長い目で見た場合「教育基盤の弱体化」をもたらすものだとの考えです。

知の構造化

 小宮山氏は、20世紀に入っての「知の爆発」が生み出した「知の細分化」状況と、それと並走した「リアリティ喪失」状況に危機感を抱いています。そして、それに対する手立てとして「知の統合=全体像を把握する能力」の必要性を主張しています。

(p71より引用) 人類は、エネルギー問題、環境問題、高齢化、過疎化、巨大都市化といった基本的課題に直面している。しかし、それらはリアリティに欠ける。・・・全体像を把握する能力を回復することは、失ったリアリティを取り戻すために不可欠の条件なのである。

 小宮山氏は、細分化された知を統合化・構造化することにより、全く新しい価値を創造することを目指しています。こういう「細分化」から「統合化」へというプロセスは、最近流行の言い様では「創発」ということになるのでしょう。

 知の統合化・構造化を推進する主体のひとつに大学があります。
 小宮山氏が、東京大学で取り組んでいる「学術俯瞰会議」や「学術統合化プロジェクト」はそれに向かった実際のアクションです。学者たちの姿勢が「専門分野への深化・収斂」と合わせて「他分野・学際への拡大・連携」に向かうことを期待したいものです。

 もう1点、小宮山氏が指摘している以下のような学者の議論の方法は、非常に参考になりました。

(p146より引用) エネルギー問題の議論は、理論値を計算する、現状を計算する、理論と現実の差を、技術として分析する。これが構造化された議論の方法である。・・・
 理論は、最も構造化の進んだ知である。

 理論は、事象の抽象化のためにあるのではなく、現実を技術で進化させる際の「目標(限界)」を指し示す「実践のための知」だということです。

 このような科学の進歩はもちろん望ましいものですが、同時に、小宮山氏はそういった時代に対する警句も発しています。

(p244より引用) 21世紀、科学技術の力は、さらに大きくなりつつある。人間は、文明の基盤たる地球そのものを、自らの活動の結果壊すことさえ可能である。・・・
 そうした意味で、21世紀は人類の意志が問われる時代に入ったといえる。人類の活動によって、よくもなるし、悪くもなるのだ。予測が重要なのではない。21世紀は意志の時代なのである。

 科学の驕りを諌め、人間の理性(意志)を重視する指摘です。



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