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日本海軍400時間の証言 ― 軍令部・参謀たちが語った敗戦 (NHKスペシャル取材班)

(注:本稿は、2012年に初投稿したものの再録です)

 毎年夏になると、何か一冊「太平洋戦争」関係の本を読んでみようと思っています。

 今年手に取ったのは、2009年NHKで放送された同名の番組を書籍化したもの。貴重な証言が読後に鈍く響きます。

 満州での謀略により大東亜戦争への口火を切ったのは陸軍でしたが、太平洋戦争に向かう決断を迫ったのは海軍でした。何百万人もの犠牲を払うこととなった開戦に至る舞台裏、そこでの海軍エリートの自己目的的行動には言葉も出ません。

 主戦論を展開した第一委員会(正式名称:海軍国防政策委員会・第一委員会)の主要メンバのひとりである高田利種元少将の証言から。

(p108より引用) 「それはね、・・・デリケートなんでね、予算獲得の問題もある。・・・それが国策として決まれば、臨時軍事費がどーんと取れる。好きな準備がどんどんできる。・・・固い決心で準備はやるんだと。しかし、外交はやるんだと。いうので十一月間際になって、本当に戦争をするのかしないのかともめたわけです。」
「だから、海軍の心理状態は非常にデリケートで、本当に日米交渉妥結したい、戦争しないで片づけたい。しかし、海軍が意気地がないとか何とか言われるようなことはしたくないと、いう感情ですね。・・・」

 海軍の組織拡大を目指しつつも、開戦には至らないぎりぎりの妥結を期待するという海軍幹部の甘い見通しが、日米開戦から太平洋戦争に至る未曾有の惨禍をもたらしたのです。昭和16年の南部仏印への進駐、ここまでであればアメリカも容認するだろうという根拠のない海軍の確信が致命的でした。

(p114より引用) 予算獲得のために危機を煽り、事態が予想を超えて深刻化すると、引っ込みがつかなくなってさらに強硬な意見を主張する。その主張を正当化するために、現実をねじ曲げる。できあがったのは「夢みたいな」計画だった。

 そして、そのつけはすべて国民が被ったのです。

 本書は、太平洋戦争の種々の局面の中から、「開戦」「特攻」「東京裁判」を取り上げて具体的に取材を進めています。

 2つめのテーマの「特攻」、こちらも気が重くなるような事実が明らかにされていきました。
 人類の戦史上最悪ともいえる「特攻作戦」。この軍事作戦を発案し実行させた海軍中枢では何が起こっていたのか。当時、その場に加わっていた扇一登大佐の遺族のお話しです。

(p211より引用) 「おじいちゃまはよく、“やましき沈黙”あれは良くなかった、とおっしゃっていました」・・・
「悪いと思っていてもよう言わんかった。それが海軍という組織の欠点だったということです。・・・海軍には、やましき沈黙をしたという罪がある、とはっきり言っていました」

 この“やましき沈黙”の罪がもたらした特攻作戦は、さまざまな関係者の苦悶を伴ったものでした。
 “必死”の特攻兵器の開発に関わった三木忠直元海軍技術少佐は、「桜花」の設計図を残していました。

(p278より引用) それらを丹念に調べていくと、判ったことが一つあるという。それは、命令と良心の間で揺れ続けた現場技術者の苦悩を示す痕跡ともいえるものだった。
 桜花の操縦席に、脱出装置を取り付けようと試みた跡があったのだ。・・・死地に赴く兵士たちに、何とか生き残る余地を残してあげたいという技術者の感情が、無機質な図面から浮かび上がってくる。
 しかし、結局、脱出装置が取り付けられることはなかった。・・・

 なぜ、人は、ここまで非情になれるのでしょうか。

 そして、最後のテーマは「東京裁判(極東国際軍事裁判)」
 「平和に対する罪」または「戦争を謀議した罪」に当たるA級戦犯で死刑宣告を受けた海軍関係者は「0」でした。そして、海軍において、「従来の戦争犯罪」「人道に対する罪」を裁くBC級裁判で画策されたこと。非はすべて戦闘最前線で命を賭けて奮戦した現場の人間の独断にある・・・。

(p337より引用) 「陛下に累を及ぼさないために中央に責任のないことを明かにしその責任を高くとも、現地司令官程度に止めるべし」

 第二復員省の弁護方針を示したメモです。結果、第二復員省で裁判対策を担った豊田隈雄元大佐の手記には、こう記されていました。

(p337より引用) 「BC級刑死者は海軍で200余名。その殆どが現地守備隊士官で、艦隊司令官以上の天皇新輔職では死刑はひとりもなかった」

 本書は、海軍を中心に、戦争遂行者の視点で太平洋戦争戦争の開戦から敗戦後の極東国際軍事裁判に至る舞台裏を追った取材記録です。そして、一連の取材を通して明らかにされたのは、軍部特に海軍中枢が企てた隠れた歴史の真実でした。

(p370より引用) 戦争を指導し、敗戦という結果を招いた海軍。その中心だった軍令部のメンバーの多くは、戦後、二復へと移り組織を挙げて真実を隠匿し、組織を守るための裁判対策を実施していた。その結果、多くの事実が表に出ることなく歴史の闇に埋もれていった。

 このとてつもなく重い現実を省み、そこから多くを真摯に学び取り、それらを私たちの将来に確実に活かすことが、私たちが果たすべき厳然たる責任だと思います。



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