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墨子よみがえる (半藤 一利)

(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)

 著者の半藤一利さんの著作は、今までも「聯合艦隊司令長官山本五十六」「昭和・戦争・失敗の本質」「ぶらり日本史散策」「幕末史」「日本史はこんなに面白い」等々を読んでみていますが、今回の著作は、それらとはちょっと毛色が異なったテーマを扱っていたので気になって手に取ってみました。

 ご存じのとおり「墨子」は、古代中国戦国時代、諸子百家の墨家の開祖で平和主義・博愛主義を説いたと言われています。

 まずは、墨子のいう “愛(兼愛)” について説明しているくだりです。

(p43より引用) 「人を憎み人を害しようとするのは、兼愛の立場にあるのか、それとも別愛の立場にあるのかと問えば、必ずそれは別愛の立場からであると答えよう。相互に差別する "別”の立場こそ、天下の大害を生みだす根本なのではないか」(「兼愛」篇〔下〕)

 墨子の “愛(兼愛)” は、いわゆる “愛情” とは異なり、キリスト教の「汝の敵を愛せよ」というニュアンスに近いようです。

 続いての覚えは、この墨子の説く「愛」と神風特別攻撃隊、回天特別攻撃隊などに向かった覚悟とを対置させての、半藤さんの “非戦” への強い想いが吐露されたくだりです。

(p53より引用) この人間の誠実さと強い意志を、無謀な十死零生の作戦ではなく、尊い理想の実現に向かわせれば、つまり墨子のいう兼愛の思想による非戦の徹底で、人類に永遠の平和をもたらす、それは決してできないことではない。夢ではない、われわれの希望でなければならない。わたくしはそれを心から祈っている。

 さらに、半藤さんは、墨子が “非戦”論 の根本を説いた「非攻」篇〔上〕の一節を紹介しています。

(p193より引用) 「一人を殺さばこれを不義と謂ひ、必ず一の死罪有らん。 若しこの説を以て往かば、十人を殺さば不義を十重し、必ず十の死罪有らん。百人を殺さば不義を百重し、必ず百の死罪有らん。かくのごときは、天下の君子みな知りてこれを非とし、これを不義と謂ふ。いま大に不義をなし国を攻むるに至りては、即ち非とするを知らず、従ってこれを誉め、これを義と謂ふ。情にその不義を知らざるなり。故にその言を書して以て後世に遺す。若しその不義を知らば、それ奚の説ありてかその不義を書して以て後世に遺さんや」

 “One murder makes a villain; millions a hero.”
 チャップリンの「殺人狂時代」での有名な台詞です。

 墨子は侵略目的の戦争のみならず「戦争そのもの」を心底嫌ったと半藤氏は語っています。
 そして、この墨子の「非戦」の想いと同じ熱さをもって、半藤さんも「非戦への弛まぬ努力」を誓っているのです。

(p226より引用) 戦争は、ある日突然に天から降ってくるものではない。長い長いわれわれの「知らん顔」の道程の果てに起こるものなのである。漱石『吾輩は猫である』八章でいうように、「すべての大事件の前には必ず小事件が起るものだ。大事の件のみを述べて、小事件を逸するのは古来から歴史家の常に陥る弊竇である」、つまりでっかい事件にのみ目をくれているのはみずからが落し穴に落っこちるみたいなもの、日常座臥においておさおさ注意を怠ってはならないのである。そのつどプチンプチンとやらねばならない。わが父やサン=テグジュペリのいうように、いくら非戦をとなえようが、それはムダと思ってはいけないのである。そうした「あきらめ」が戦争を招き寄せるものなんである。心の中に難攻不落の平和の砦を築かねばならない。読者よ、戦争をなくするために奮闘努力せざるべけんや、なんである。

 半藤さん亡き後、この非戦の想いは、すべての人々が引き継いで求め続けなくてはならないものだと強く思います。

 最後に蛇足ですが、本書で紹介された墨子と同じく「非戦」を信念とした人物について書き留めておきます。

 日本を代表する映画監督黒澤明氏の言葉です。

(p202より引用) 「自分の大切な人が殺されそうになったら反撃しないのかって、よく反論されるんだ。そういうことじゃないんだ。戦争というものが始まってしまうと、虫も殺せなかった人間が人を殺し、心優しい人間も身内を守るために鬼の形相になる。戦渦の中では自分が生きていくことだけで精一杯、人間が人間でなくなるから怖い。だから、戦争を始めてはいけないんだ

 もうおひとり、半藤さんが “現代の墨子” と名付けた中村哲さん
 2012年、半藤さんとの対話の中での言葉です。

(p254より引用) 私が居続けたのは結局、去ってしまうと後悔するんじゃないかと思って。自分が解決できる問題があるのに、それをほったらかして逃げるのはどうも……。今の若い人にはわからないかもしれませんが、日本人として男がすたるといった、シンプルな感覚ですよ。

 墨子の “兼愛” を体現した素晴らしい方ですね。
 志半ばでの現地での悲劇、本当に心が痛みます。



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