見出し画像

戦争というもの (半藤 一利)

(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)

 著者の半藤一利さんの著作は、今までも「聯合艦隊司令長官山本五十六」「昭和・戦争・失敗の本質」「ぶらり日本史散策」「幕末史」「日本史はこんなに面白い」等々を読んでみています。
 最近も「墨子よみがえる」を読んだのですが、今回は、より半藤さんらしい「太平洋戦争」に係る著作に立ち戻ってみました。

 半藤さんの眼で選ばれた “戦時の言葉” の数々は、怒り、悲しみ、悔恨・・・、さまざまな心情を湧き上がらせます。
 そのうちからいくつか書き留めておきます。あのとき、こういった言葉を発した人もいたのだという記録です。

 まずは、日米開戦にあたっての “慎重派” の重鎮たちの言葉です。

 連合艦隊司令長官山本五十六大将
 1941年11月13日、御前会議の決定をうけて、岩国海軍航空隊に全指揮官を集めた場での強い言葉。

(p24より引用) いまワシントンで行なわれている日米交渉が成立したならば、 十二月八日の前日の午前一時までに、出動全部隊に即時引揚げを命ずる。その命令を受領したときには、たとえば攻撃隊の発進後であってもただちに収容し、反転、帰投してもらいたい。何があっても、である」

 そして、その指示に反論する機動部隊司令長官南雲忠一中将に対し、さらに厳しい口調でこう続けました。

(p26より引用) 「百年兵を養うは何のためだと思っているのか!一に国家の平和を守らんがためである。もしこの命令を受けて帰ってこられないと思う指揮官があるのなら、ただいまより出動を禁止する。即刻辞表を出せ!」

 そして今ひとり、1941年11月29日、開戦の是非を議論する重臣会議、東条英機首相兼陸相の積極論に対し、首相経験者で長老格の若槻礼次郎は強くこう反駁しました。

(p52より引用) 「理論より現実に即してやることが必要でないかと思う。力がないのに、あるように錯覚してはならない。したがって日本の面目を損じても妥結せねばならないときには妥結する必要があるのではないか。たとえそれが不面目であっても、ただちに開戦などと無謀な冒険はすべきではない・・・ いや、理想のために国を滅ぼしてはならないのだ

 それでも、時の為政者は我不関焉、開戦の道を選んだのでした。

 もうひとつ、戦いの趨勢も明らかな中での沖縄戦。連合艦隊参謀長草鹿龍之介中将が戦艦大和への出撃命令を伝えたときの第二連合艦隊司令長官伊藤整一中将とのやりとり。

(p123より引用) 伊藤長官はこういったといいます。
 「いったいこの作戦にどういう目的があるのか。また、成功の見通しを連合艦隊はどう考えているのか。成功の算なき無謀としかいえない作戦に、それを承知で七千の部下を犬死させるわけにはいかない、それが小官の本意である
 草鹿は黙って聞いていましたが、やがてポツリといったといいます。「これは連合艦隊命令であります。要は大和に一億総特攻のさきがけとなってもらいたいのです」
 伊藤はしばし草鹿を睨みつけていましたが、やがて表情をやわらげて、「それならわかった。作戦の成否はどうでもいい、死んでくれ、というのだな。もはや何をかいわんやである。了解した

 理不尽の極み。結果、何ごとも成すことなく大和は坊ノ岬沖に沈みます。

(p125より引用) 大和艦上の伊藤長官は、もはやこれまでと思ったとき、「駆逐艦に移乗して、沖縄へ突っ込むべきです」という参謀たちの進言をしりぞけて、まだ海上に浮いている駆逐艦長あてに命令を発しました。
「特攻作戦を中止す。内地へ帰投すべし」
 これをうけた駆逐艦は四隻のみです。・・・これらは作戦中止命令をうけると同時に、空襲のやんだ合間をぬって、海上に浮いている生存者の救助にかかり、大和の生き残りも、ほかの艦の生き残りも全員を、海上から救いあげました。もし伊藤の中止命令がなければ、そのまま沖縄へ突っ込んでいき、ほんとうに全滅するところでした。

 こういった本書で紹介されたエピソードの数々が半藤氏から私たちへの別れのメッセージになりました。

(p167より引用) 「墨子を読みなさい。二千五百年前の中国の思想家だけど、あの時代に戦争をしてはいけない、と言ってるんだよ。偉いだろう」
 それが、戦争の恐ろしさを語り続けた彼の、最後の言葉となりました。
 天災と違って、戦争は人間の叡智で防げるものです。戦争は悪であると、私は心から憎んでいます。あの恐ろしい体験をする者も、それを目撃する者も、二度と、決して生みだしてはならない。それが私たち戦争体験者の願いなのです。

 本書の「あとがき」は、半藤さんと想いを同じくする奥さま末利子さんのこの言葉で締められています。



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集