(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)
著者の半藤一利さんの著作は、今までも「聯合艦隊司令長官山本五十六」「昭和・戦争・失敗の本質」「ぶらり日本史散策」「幕末史」「日本史はこんなに面白い」等々を読んでみています。
最近も「墨子よみがえる」を読んだのですが、今回は、より半藤さんらしい「太平洋戦争」に係る著作に立ち戻ってみました。
半藤さんの眼で選ばれた “戦時の言葉” の数々は、怒り、悲しみ、悔恨・・・、さまざまな心情を湧き上がらせます。
そのうちからいくつか書き留めておきます。あのとき、こういった言葉を発した人もいたのだという記録です。
まずは、日米開戦にあたっての “慎重派” の重鎮たちの言葉です。
連合艦隊司令長官山本五十六大将。
1941年11月13日、御前会議の決定をうけて、岩国海軍航空隊に全指揮官を集めた場での強い言葉。
そして、その指示に反論する機動部隊司令長官南雲忠一中将に対し、さらに厳しい口調でこう続けました。
そして今ひとり、1941年11月29日、開戦の是非を議論する重臣会議、東条英機首相兼陸相の積極論に対し、首相経験者で長老格の若槻礼次郎は強くこう反駁しました。
それでも、時の為政者は我不関焉、開戦の道を選んだのでした。
もうひとつ、戦いの趨勢も明らかな中での沖縄戦。連合艦隊参謀長草鹿龍之介中将が戦艦大和への出撃命令を伝えたときの第二連合艦隊司令長官伊藤整一中将とのやりとり。
理不尽の極み。結果、何ごとも成すことなく大和は坊ノ岬沖に沈みます。
こういった本書で紹介されたエピソードの数々が半藤氏から私たちへの別れのメッセージになりました。
本書の「あとがき」は、半藤さんと想いを同じくする奥さま末利子さんのこの言葉で締められています。