実力も運のうち 能力主義は正義か? (マイケル・サンデル)
(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)
マイケル・サンデル教授の代表的著作である「これからの「正義」の話をしよう」には大きなショックを受けました。あれからもう10年以上経ったのですね。
私にとって本書は、それ以来、間に「サンデル教授の対話術」を挟んで3冊目のマイケル・サンデル教授の著作になります。
メインテーマは「能力主義」のようですが、かなり私の頭は退化しているので、どこまで議論について行けるかチャレンジです。
以下、私なりに興味を惹いたところを書き留めておきます。
まずは「能力主義とは」という概念整理です。
この能力主義と和訳されている言葉ですが、原語では「meritocracy」。“merit” は「能力」とか「功績」といった意味で、“meritocracy” は、“merit” に基づいて、人々の職業や収入などの社会経済的地位が決まるしくみをもつ社会のことを意味します。
ちなみに、対語は「属性主義」「貴族制(aristocracy)」。家柄など本人が変えることができない属性により生涯が決まってしまう前近代的なしくみです。
さらに、もう少し具体的に「能力主義」が導く行く末を説明するとこうなります。
これが、能力主義が生み出す「分断(新たな階級社会)」の主成因です。
能力主義をより公平にしようとする方法のひとつが「機会の平等」の実現ですが、この「機会の平等」が “曲者” です。
すべての人々が同じ条件で「機会」を活かせるか、競い合えるかといえば、現実はそうではないからです。すなわち人種・階級・民族・性別等々、人には「違い」があり、その違いによって既に機会の平等は、理想的な機能を果たしていないというのが実態なのです。
そして、この能力主義の世界は、結果については “自己責任” とするという考え方につながっていきます。そこで成功を得られなかった人々は、自らの「労働の意義」を否定されたような心情に陥ってしまうのです。
しかし、どんな労働であっても、そこには厳とした「尊厳」があるのです。“職業に貴賎なし” です。
マーティン・ルーサー・キング牧師も「労働の尊厳」を「共通善への貢献」に結び付けてこう語ったと言います。
さて、本書を読み終わっての感想ですが、やはり大いに刺激を受ける内容でしたね。
「能力主義」とそれが生み出す「労働の尊厳の否定」、そして「社会の分断」、「成果の平等」ともいうべき能力主義を是正する方法としての「機会の平等」、その機能不全から求められる「条件の平等」。などなど多彩な論考が詰め込まれた労作です。
ただ、予想どおりなかなかサンデル教授の議論にはついていけませんでしたね。
特に、第五章のフリードリヒ・A・ハイエクやジョン・ロールズらによる政治哲学的論考の解説のあたりでは、私の脳味噌は完全に固まってしまいました。情けない限りです。
とはいえ、またサンデル教授の著作が出版されると気になるでしょうね。“返り討ち覚悟” で手に取る可能性大ですが。
あと、最後に蛇足ですが、もう一言。
この日本版のタイトル「実力も運のうち」は如何なものでしょう?
確かによく考えると “言いえて妙” ではありますが、マイケル・サンデル氏の著作ですから、無理やり捻ることはなかったようにも思います。
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