職業は武装解除 (瀬谷 ルミ子)
(注:本稿は、2015年に初投稿したものの再録です)
何かの書評欄を見ていて気になった本です。とても興味をひくタイトルですね。
著者の瀬谷ルミ子さんは、国連をはじめ幾多の国際的組織で活躍している「武装解除」のプロとのこと。本書は、その瀬谷さん自らの手による半生記であり、活動ドキュメンタリーです。
著者の専門は「DDR」と略されているジャンルです。
この3つの頭文字は、“Disarmament”=兵士の武装解除、“Demobilization”=動員解除、“Reintegration”=社会復帰のことですが、より実際に則した活動内容を著者はこう説明しています。
このフェーズで兵士の意識や行動がうまくコントロールできないと、武器が野放しになった非統制状態が出現し、再び紛争状態に逆戻りしてしまう恐れがあります。
著者がこういった仕事に取り組もうと決意したきっかけは17歳のときに見たルワンダの母子の写真でした。そして、学生時代のルワンダでのホームステイを皮切りに、ボスニア・ヘルツェゴビナ・アフガニスタン、シエラレオネ、コートジボワール・・・、と次々に紛争地域に自らの意思で飛び込んでいったのですが、そういった現場で著者が経験したショッキングな気づきは「和解」という言葉の本質でした。
こういった数々の「現場」において著者が直面した認識のギャップや自らの活動への疑問は、まさに「本質的」なものであり、その解決に向けての道のりは一筋縄ではいかないものばかりでした。
たとえば、元兵士に対する “Reintegration(社会復帰)”支援において、著者が感じたジレンマ。
DDRは「絶対的に正しい施策」ではなく「紛争終結のための政治的妥協案」に過ぎないというのが著者の認識であるだけに、この状況は、看過できない、とはいえその解決案が浮かばない忸怩たる思いがつのるものでした。
そして、もうひとつは、アフガニスタンで取り組んだ “Disarmament(武装解除)”活動の果たした役割への疑問。
著者たちの努力は、それだけですべての課題が解消されるものではなく、それに続く押さえの打ち手が必要不可欠なのです。ですが、これが難しい・・・、問題が国際政治のダイナミズムの中で扱われるレベルになるとなおさらです。
この最終的な課題解決のフェーズにおいて最も重要な要素は、「現地の人々の意識と行動」です。これが変わらなければ、いくら著者たちが誠心誠意種々の取り組みに汗水垂らしたとしても、結局、日が経つにつれ“元の木阿弥”に落ち着いてしまうでしょう。
著者は、何より現地の人々の能動的な「自主性」を重んじました。
さて、本書を読み終えてですが、久しぶりに、“できるだけ多くの人に、この本を手にとってみて欲しい” という気持ちを抱きましたね。
老若男女誰でもOKですが、今後の進む道を模索している(若い)皆さんには特にお勧めです。自分の将来を考えるうえで、素晴らしい刺激になるでしょう。
経験の舞台は全く異なりますが、「ボクの音楽武者修行」という本で語られた小澤征爾さんの若いころの姿に重なる “チャレンジ精神”と“躍動感” を感じることができます。