見出し画像

知のトップランナー149人の美しいセオリー (リチャード・ドーキンス 他)

(注:本稿は、2020年に初投稿したものの再録です。)

 「セイラー、ドーキンス、ピンカー、ラマチャンドラン、ジャレド・ダイアモンド…知の巨人たちが愛するエレガントな科学理論とは何か?」という“謳い文句”に釣られて手に取ってみました。
 分厚い本ですが、ひとつひとつの項は数ページ、それが149人分という作りです。

 本書の編者ジョン・ブロックマンが主催すウェブサイト「エッジ」にて、「2012年の鋭い問い」として示されたのが
  “あなたのお気に入りの、深遠で、エレガントで、美しい説明は何ですか?”
という投げかけです。

 それに対するレスポンスは、それこそ多種多様ですが、それらの中から私が興味を感じたものを書き留めておきます。

 まずは、スタンフォード大学レオナルド・サスキンド教授(物理学)。

(p37より引用) 個人的には、少ないところからたくさんのことを説明するものが好きだ。物理学では、それは、単純明快な式か、一般原理である。

(p40より引用) それが良い説明であるほど、より多くの疑問を生み出すのである。

 同じような趣旨のことを、ヨハネス・グーテンベルグ大学トーマス・メッツィンガー氏もアインシュタインの言葉として書き記しています。

(p59より引用) アルバート・アインシュタインの言葉には、次のようなものがある。「すべての科学の大目標は、… 可能な限り多くの実証的事実を、可能な限り少数の仮説や公理からの論理的演繹で覆うことである。」

 その他、私がなるほどと首肯した考えを並べてみましょう。

 ハワード・ガードナー(ハーバード大学教授)は「個人の大切さ」というタイトルの章で「人類学者の有名な言葉」として以下のフレーズを紹介しています。

(p184より引用) 「考えた上で覚悟を決めた少数派の市民が世界を変えることができることを、決して疑ってはならない。実際、いつも、それしかなかったのだ。」

 アンドリュー・リー(南カリフォルニア大学准教授)は「情報が不確実性を少なくする」という章で、「情報化時代は1948年にクロード・シャノンによって作られた」と語りました。
 クロード・シャノンは、アメリカの電気工学者・数学者で情報理論の考案者です。シャノンは「情報とは、不確実性を少なくすることだ」と考えました。

(p221より引用) そこからシャノンは、「不確実性を減少させるもっとも簡単な方法は何か?」と問うた。彼にとって、これはコイン投げと同じで、表か裏か、イエスかノーか、二者択一の答えしかない事象であった。彼は、どんなタイプの情報も、イエスかノーかの答えのシリーズとして暗号化できると結論した。今日、私たちは、その答えが、1と0を使ったディジタル情報のビットというものであることを知っている。e-メイルのテキストも、ディジタル写真も、コンパクト・ディスクの音楽も、高解像度ビデオも、すべてがこれだ。すべての情報は、どんなものも、不連続のビットを用いて、概要ではなく完璧に、エラーもノイズもなく暗号化して表現することができるということは、本当に画期的な発展であり、単純で普遍的な情報理論を構築しようと四苦八苦していた、大学の研究所やベル研の仲間たちをも驚愕させた。

 確かに、「0」と「1」だけで、あらゆる情報を正確に伝達・蓄積できるという技術は「エレガント」と言えるでしょう。

 PZマイヤーズ准教授(ミネソタ大学)の言葉も大いなる気づきを与えてくれました。

(p224より引用) 科学とは、貯蔵された事実の集大成ではなく、新しい知識を獲得するために、私たちがたどるべき道筋のことなのだ。

 「科学」は “過去のストック” ではなく “未来志向のプロセス” だというのでしょう。人々に将来への期待を抱かせ、それに向かう意欲を湧き上がらせる素晴らしいメッセージだと思います。

 ランドルフ・ネシー教授(ミシガン大学)が「自然淘汰が生み出すシステムの複雑性」を説明している項で紹介しているジョン・スコット・ホールディンの言葉は、福岡伸一氏の説く“動的平衡”のコンセプトを思い起こさせます。

(p380より引用) 「こうしてわれわれは、物理学者にとっての質量保存の法則と同じくらい、生物学者にとって重要かつ本質的で、観測事実に合致する結論にたどり着いた…生物の構造の挙動に、機械との実質的な類似点は存在しない…生きた生物において、『構造』は見せかけに過ぎず、それは本来、環境中に端を発し環境中に収束する、特定の物質の絶え間ない流れでしかないのだ」。

 ニコラス・A・クリスタキス(ハーヴァード大学)の「お気に入りの説明」は、万人にとってとても身近な現象についてでした。

(p385より引用) 空がなぜ青いかの説明には自然科学が凝縮されている。可視光スペクトル、光の波としての性質、太陽光が大気を照らす角度、散乱光の数式、窒素分子と酸素分子の大きさ、そしてヒトの目が光を知覚するメカニズム。科学の大部分は、小さな子どもが抱くような疑問の中にあるのだ。

 なるほど、小さな「不思議」のタネが、人ぞれぞれの様々な興味・関心の枝を広げていき、そこに新しい発見という見事な花をつける・・・、
“科学”を学ぶということは、誰もが可能性として持っている素晴らしい成長のプロセスなのですね。



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集