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自分のアタマで考えよう (ちきりん)
(注:本稿は、2015年に初投稿したものの再録です)
先日、稀代の読書家である出口治明氏の著作「本の「使い方」 1万冊を血肉にした方法」を読んだのですが、その中で出口氏がお薦めの本として紹介されていたので手に取ってみました。
内容は、タイトルどおり「自分の頭で考える」ための具体的ヒントを分かりやすく語ったものです。
まず、著者のちきりんさんは、「考える」ための “知識/思考の意味づけ” について、序「「知っている」と「考える」はまったく別モノ」の章でこう整理しています。
(p20より引用) 知識とは「過去の事実の積み重ね」であり、思考とは、「未来に通用する論理の到達点」です。
いきなり「なるほど」という指摘ですね。
そして著者は、こう続けます。
(p21より引用) 自分の頭で考えること、それは「知識と思考をはっきりと区別する」ことからはじまります。「自分で考えなさい!」と言われたら、頭の中から知識を取り出してくるのではなく、むしろ知識をいったん「思考の舞台の外」に分離することが重要なのです。
知識と思考を明確に分離して物事に対面しないと、過去の知識に未来の思考が歪められる恐れがあるというのが、著者が鳴らす警鐘です。
とはいえ、著者は「知識」の必要性や重要性を否定しているのではありません。先験的な知識によって自由な思考が妨げられることを問題視しているのです。
(p237より引用) 重要なことは、それらの知識をそのままの形で頭の中に保存するのではなく、必ず「思考の棚」をつくり、その中に格納するということです。単純に「知識を保存する」=「記憶する」のではなく、知識を洞察につなげることのできるしくみとして「思考の棚」をつくる―これこそが「考える」ということなのです。
これが、著者にとっての「知識」と「思考」の理想的な関係です。
この「思考の棚」というコンセプトは面白いですね。
この棚に知識を整理して入れていけば、その棚の空いているスペースが「自分の求めている知識」だということになります。そこに必要な知識がはまれば、その結果、「それで言えること」が生まれる、すなわち「何らかの価値のある結論」を得ることができるわけです。
頭の回転の速い人は、情報が揃ってから考えるのではなく、この「思考の棚」をつくって、「この情報が埋まれば、こういうことが言える」というところまで予め考えているのだ、だから最後の情報ピースが揃った瞬間に「結論」を語ることができるんだ、と著者は指摘しています。
これは、「情報の価値は、それを入手する前に考えておくべき」という著者の主張にもつながるものです。
(p234より引用) 「情報の価値」とは「その情報によってわかることの価値」なので、後者を明確にすることによって「妥当な情報入手コスト」も明確になります。貴重な予算や時間を投入する前に「この情報が手に入ればわかること」を事前に考えておく癖をつけると、無用な情報収集時間を費やさず、その時間を本当の意味での「考える時間」に回す余裕も出てくることでしょう。
そうですね、これも、改めて言われるとそのとおりだと思いますね。
さて、本書ですが、読み通してみて、膝をポンとたたくような著者ならではといった “考えるヒント” は山盛りでした。
とはいえ、もちろん、世の中にある王道的な考え方に触れているところもあります。たとえば、「データ」との向き合い方です。
典型的な「自分で考える」というシーンは、何らかの「数字(情報)」を見せられたときですね。この場合の著者がとる基本姿勢は「なぜ?」と「だからなんなの?」です。
(p43より引用) データを見たときには、その背景(=データの前段階)を考える「なぜ?」と、そのデータをどう解釈・判断し、対応すべきか、と一歩先(=データの後段階)を考える「だからなんなの?」のふたつの問いを常に頭に浮かべましょう。
この考え方は、ロジカルシンキングの基本として「Why So?」「So What?」と同根のものですね。
こういう二分法的な思考法が著者の基本スタイルのようで、本書の随所で「2×2のマトリックス」や「時間軸 & 空間軸」といった思考のテンプレートが紹介されています。
豊富な事例と親しみやすい語り口、確かに本書は、「考え方」の入門書としては取っ付きやすいもののひとつだと思います。
出口氏の推薦も“さもありなん”と頷けますね。