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かけがえのない人間 (上田 紀行)

 著者の上田紀行氏は、仏教にも造詣が深い文化人類学者です。

 本書の中心に据えている著者の危惧は、人間を「交換可能な『使い捨て』られる存在だ」と見る今の社会風潮にあります。著者が主張するアンチテーゼは、「人間は『かけがえのない存在』だ」という考えです。

 2006年、著者はダライ・ラマと面会し5時間にわたり対談をしました。その中で、著者はいくつもの気づきを得ていますが、その中のひとつが「社会的不正に対する怒り」についてです。

(p48より引用) ノーベル平和賞を受賞した宗教家というと、「怒りを捨てて、心安らかに平和を目指しましょう」と言いそうな気がしませんか?しかし、ダライ・ラマは差別や暴力に対して怒りを持たなければならない、愛や思いやりの心を持てばこそ、怒るべきだ、と言っているのです。

 社会的不正に対して怒らない、むしろ、みんなが社会的不正を感受している状況に共感?すら覚えている今の日本の(特に若者の)状況に対して、著者は非常な危機感を持っています。

(p64より引用) 僕たちはそういう社会で使い捨てになっている。・・・
 本当はそこで、「バカヤロー」と言って、社会というものはそもそもそういうものではないんだ、それでは共同体でもなんでもないじゃないか、と怒らなければいけないところです。それなのに「全員が使い捨てだということをわかってくれた」と共感するような情けない社会になっているということが、今のこの社会で生じている問題の根本にある核心部分なのです。

 著者が訴える「かけがえのない人間」という覚醒は、次に実際の行動に移らなければ、時間とともに薄れていきます。
 逆に、その「かけがえのない人間」だという意識から、自らの行動を律し変えていく、「これからは、こうしよう」とか「もう、こんなことはやめよう」、こんなふうに行動を高めていけば、さらに意識も高まっていきます。プラスのスパイラルが動き始めるのです。

(p103より引用) 自分をかけがえのない人間だと認める、その時に自分の行動が変化します。そしてそれはもう一つの思いへとつながっていきます。それは、かけがえのないものだという扱いを受けられないで、使い捨てのように扱われ、尊厳をおかされている人を見ると、その人に何とかしてあげたいという思いが湧き上がってくるということです。

 「人の目を気にする」「過度に空気を読む」、そういった姿勢では「自分に価値を認める」ことは到底できません。
 どうすれば、人は「かけがえのない人間」だと気づくのか。著者が説くそのためのひとつの方法は「ネガティブな状況」をトリガーにするものです。

(p206より引用) 自分のかけがえのなさ、それは自分の人生を掘り起こすことから始まるのです。・・・
 ・・・特に私の人生でネガティブに見える出来事の意味を私たちは知っているでしょうか。・・・そこにこそ「かけがえのなさ」に気づく大きなチャンスがあるのに、それが活かされていない、そのことはとても残念なことです。

 ネガティブなものに正面から向かい合うとき、その苦悶と苦闘の経験が、他人にはない自分でしか持ち得ない「かけがえのない」経験となるということです。
 そして、その経験は未来へと繋がります。

(p220より引用) 未来の希望は、誰か他の人がかなえてくれるものなのでしょうか?・・・
 大きな誤解は、私たちの未来の希望は、誰かがかなえてくれるのだ、と思ってしまっているところにあるのです。・・・
 かけがえのない人とは、未来を創造していくという意識をもち、行動していく人なのです。

 受動的な人間から能動的な人間へ、「愛される人から愛する人へ」
 自分自身を信頼することから始める、それが著者のメッセージです。



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