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三流シェフ (三國 清三)

(注:本稿は、2023年に初投稿したものの再録です。)

 以前勤めていた会社の同僚の方が紹介していた本です。

 三國清三シェフの著作は、以前「僕はこんなものを食べてきた」を読んだことがあります。
 そのときも面白く拝読しましたが、本書は、ご自身のお店(オテル・ドゥ・ミクニ)を閉じるという大きな節目にあたって記した “自伝” とのこと、大いに期待して手に取ったものです。

 まずは、“厨房のダ・ヴィンチ” と称されたアラン・シャペルさんからの教え。
 リヨン郊外の彼の店で腕を磨いていた三國さんですが、ある日、三國さんの作った料理をみてシャペルさんはこう一言口にしました。「セ・パ・ラフィネ(洗練されていないね)」。その言葉の意図を三國さんはその後何カ月もずっと考え続けました。

(p198より引用) あのエクルヴィスのムースは、ぼくの心で作った料理ではなかった。知識と技術だけで作った料理だ。いうなれば、天才の料理を上手に真似た優等生の料理だ。うわべはよくできていても魂が抜けていた。
 シャペルにはたぶんそれがわかったのだ。
 それはただのアラン・シャペルの料理じゃないか。皿の上のどこにも、お前自身がいないじゃないか。お前はダサいなあ、と。

 それに気づいた三國さんは、“日本人としてフランス料理を作る” べく、日本に帰国する決心をしたのです。
 そして、その挑戦の結果はといえば、1990年、オテル・ドゥ・ミクニを訪れ三國シェフの料理を楽しんだ後、ゲストブックに記したアラン・シャペルさんのメッセージがその答えでした。

(p232より引用) キヨミはフレディ・ジラルデ、ジャンとピエール・トロワグロ、ボール・エーベルラン、それに私、アラン・シャペル、その他彼の師匠と呼ばれるフランス人シェフたちの料理を見事に “ジャポニゼ” してのけたのだ。

 この “ジャポニゼ(日本化)” とは、本場フランス料理を「日本人好み」にアレンジしたということではありません。日本の文化的要素を採り入れ「フランス料理の可能性を拡げた」との賞賛の言葉でした。

(p243より引用) 日本の評論家たちが「こんなのフランス料理じゃない」と批判したぼくの挑戦を、彼らはクリエイティブだと評価した。

 世界一流の匠は進歩を尊びます。彼らによる三國さんへの激賞の声です。

 さて、本書、三國さんのエネルギッシュな姿がテンコ盛りの楽しい内容でしたが、その中でもやはり最も心に響いたのは、三國さんが帝国ホテル村上信夫総料理長と巡り合ったときのエピソードですね。

 帝国ホテルでは厨房に入れず洗い場での仕事に就いていた三國さんは、村上総料理長からスイス大使専属料理人に推挙されました。その後日譚です。
 三國さんがジュネーブでの大使の料理人の職を勤め上げ日本に帰国する前夜、大使夫人は「三國さんの採用の時、最初は断ったのだ」と語りはじめました。

(p119より引用) 「ですけど、私たちがお断りしたら村上さんが仰ったんです。『あの若者なら大丈夫です。私を信じてください』と。村上さんがそこまで仰るので、それ以上断れなかったんです。三國さん、日本に帰ったら村上料理長を生涯大切にしなさい」
 大使が同意するというように、奥様の隣でひとつ頷いた。ぼくが面接に遅刻したとき、あんなに激怒した理由もそれでわかった。目頭が熱くなって「わかりました」と下げた頭が上げられなくなった。

 まさに三國さんにとって村上総料理長との邂逅は、その後の人生を一変させた “奇跡的な出会い” でした。



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