菜根譚―中国の処世訓 (湯浅 邦弘)
「菜根譚」は以前、岩波文庫版を読んでみましたが、今度の本は概説書です。
冒頭では、「菜根譚」の中国思想史における位置づけが説明されています。著者といわれている洪自誠は明代の役人であったので、基本的には儒教思想がベースではあります。が、道教・仏教的思想もかなりの程度漂っています。
この点、「三教の融合」が見えつつも、とはいえ現実社会との関わりを踏まえた儒家としての洪自誠の生涯を反映しているようです。
さて、「菜根譚」ですが、まさに前集・後集あわせて357条からなる「処世訓」なので、関心を惹くくだりは数多くありました。
その中からいくつか覚えとして書き記しておきます。
まずは、儒家思想のひとつの基本的なコンセプトである「中庸」について触れているフレーズです。
これは、明代ならずとも現代でも感ずる風情です。
もうひとつ、「拙の極意」との章から。
「拙」であるからこそ謙虚であり、「拙」であるからこそ地道な努力を厭わない、「拙」に積極的な価値を認めた心に残る言葉です。
その他にも、典型的な処世訓的な教えをいくつかご紹介します。
ひとつめは、「心の持ちよう」について。「菜根譚」では釈迦のことばを引用して説いています。
この考え方は、中村天風氏が「人生は心ひとつの置きどころ」と説いている姿勢と同一のものですね。
そして、もうひとつ、私の心に強く響いた指摘は「信用」についてのくだりです。
これは、しっかりと心に留めておきたいと思います。
最後に、著者が指摘する「菜根譚」の処世訓として広く読み継がれている要諦です。
時代に応じて、また、環境に応じて、「処世」の前提は相違・変遷していきます。そういう変化に対応した柔軟な解釈の「遊び」をもっていることが、時や国を超えた有益の書として伝えられている因なのでしょう。