(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)
以前から気になっていた本です。
戦後の教育に大きな影響を与えた著作だと評されていますし、当時の生活を知る民俗学的観点からも貴重な資料とも位置づけられているようです。
本書に収録された詩や作文を書いたのは1950年ごろの中学生とのことですから、1935年ごろの生まれの私の父母とほぼ同年代ですね。
自分の親や兄弟が出征し、自分たち自身も戦中・戦後の厳しい生活環境を生きている最中、彼らが綴った飾らない文章は心に響きます。
その中からいくつか、特に印象に強く残ったところを書き留めておきましょう。
まずは、「母の死とその後」という江口江一くんの作文から。
とりわけ貧乏な暮らしをしている江一くんですが、この真摯で前向きな向学心と他人を思いやる優しい気持ちは素晴らしいですね。
そして、次は、江口俊一くんの「父の思い出」。
俊一くんと俊一くんの家族にとっての辛い「戦争の記憶」であり、正直な「戦争への想い」です。
その他、門間きみ江さん、門間きり子さんが書いた学級日記「なんでも聞く子供」にはこういうくだりがありました。
日々の生活の辛さという現実とこうあるべきという理想との衝突を示す一場面です。
とはいえ、何か気になることがあると、みんなで議論し自分たちとしての考えをまとめていく、この時期、こういう思考様式や行動形式が当たり前のこととして身についているのは素晴らしいことだと思います。
さらに、川合義憲くんの「くぼ」という作文にはこんなことが紹介されています。
村の田畑の広さを実際に調べようとして、義憲くんはお父さんから強く止められました。
そして、先生からそう教わった義憲くんは、お父さんの言葉と対比させて頭を悩ませます。
こういった自律を育む教育環境が大きく影響しているのだと思いますが、佐藤藤三郎くんの「ぼくはこう考える」という作文には、しっかりとした思考と主張が記されています。
本書の最後に収録されている藤三郎くんの「答辞」に、山元中学校での彼ら彼女らの成長の証しが高らかに謳われています。
山形の裕福とは縁遠い山村の中学校です。
日々暮らしに苦労が絶えないような生活環境の中、ここまで自分たちの考えを見事に自信をもって宣言できる生徒たち。素晴らしい、これは本当に “驚き” 以外の何物でもありません。