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平家物語 (角川書店 編)

(注:本稿は、2012年に初投稿したものの再録です)

 今年(注:2012年当時)のNHK大河ドラマは「平清盛」。私は最近の大河ドラマには全く関心がないのですが、改めて原作が気になって手に取った本です。

 「平家物語」は、ご存じのとおり、平安末期、貴族政治から院政さらには武家政治への移行期およそ50年間の激動の時代を舞台にした軍記物語です。
 原書はかなりの長編ですが全編を読み通す元気もないので、現代語訳が中心のエッセンス版で妥協してしまいました。

 古文の教科書でもお馴染みの作品ですから、大体のストーリーは、断片的なシーンの継接ぎですが何となくイメージできます。文章も和漢混淆文で、平安初期の宮廷ものに比べると格段に読みやすいですね。
 戦いに臨む人物描写や合戦の様など、実際の情景が総天然色で眼前に彷彿とされる文章です。しかし、一通り読み通してみても、やはり、あの有名な冒頭の一節に如くものはありません。

(p16より引用) 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる者久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き人もつひには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。

 ただ、これだけの紹介ではあまりにさびしいので、強いて、そのほかのくだりで印象に残ったものをひとつふたつ書き留めておきます。

 まずは、巻第三の「足摺り」
 安元3年(1177年)、藤原成親・西光らによる平氏打倒の密議が行われましたが、密告により露見、俊寛藤原成経・平康頼と共に鬼界ヶ島へ配流されました。その後、清盛は成経・康頼のみ赦免し、使者を鬼界ヶ島に送りました。二人を乗せた船が漕ぎ出されていく場面です。

(p60より引用) 僧都せん方なさに、渚に上がり倒れ伏し、幼き者の乳母や母などを慕ふやうに、足摺りをして、「これ、乗せて行け、具して行け」と宣ひて、喚き叫び給へども、漕ぎゆく船の習ひにて、跡は白波ばかりなり。いまだ遠からぬ船なれども、涙にくれて見えざりければ、僧都、高き所に走り上がり、沖の方をぞ招きける。

 このシーンは、現在でも「俊寛」という演目で歌舞伎でも上演されています。私も数年前、十八代目中村勘三郎で観ました。ラストシーン、舞台が回り、崖上から行く船を追う勘三郎「俊寛」の姿は印象的でした。


 もうひとつ、源平の戦いの雌雄が決せられた壇ノ浦の合戦、巻第十一の「能登殿最期」の一節。
 平氏随一の猛将として知られた能登守教経の奮闘ぶりの後、知盛は「見るべき程の事は見つ」とのつぶやくとともに入水。壇ノ浦の合戦は源氏方の勝利に終わりました。

(p250より引用) 海上には、赤旗・赤符ども、切り捨てかなぐり捨てたりければ、龍田河の紅葉葉を、嵐の吹き散らしたるに異ならず。汀に寄する白波は、薄紅にぞなりにける。主もなき空しき船どもは、潮に引かれ風に随ひて、いづちを指すともなく、ゆられ行くこそ悲しけれ。

 華やかな戦装束に身を包んだ武士、紅白の旗・幟が交錯する合戦の絵模様から一転、まさに諸行無常の物悲しさが染み入るくだりです。



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