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人新世の「資本論」 (斎藤 幸平)

(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)

 ベストセラー新書です。

 いつも聞いているピーター・バラカンさんのpodcast番組にも著者の斎藤幸平さんが登場して、本書での主張のポイントをお話ししていました。
 経済と環境問題とを関連付けた議論の視点は、宇沢弘文さんを想起させます。(本文中でも宇沢さんの主張に言及していました)

 さて、本書で力説されている斎藤さんの主張ですが、まず基本的な課題認識はこういうものです。

(p31より引用) 資本主義による収奪の対象は周辺部の労働力だけでなく、地球環境全体なのだ。資源、エネルギー、食料も先進国との「不等価交換」によってグローバル・サウスから奪われていくのである。人間を資本蓄積のための道具として扱う資本主義は、自然もまた単なる掠奪の対象とみなす。このことが本書の基本的主張のひとつをなす。
 そして、そのような社会システムが、無限の経済成長を目指せば、地球環境が危機的状況に陥るのは、いわば当然の帰結なのである。

 この “地球環境の危機” への対応としては、「技術革新」がその解決策を提示するという「加速主義」「エコ近代主義」に代表されるような楽観的な考え方があります。
 こういった考えを “閉鎖的技術” であると否定したうえで、さらに斎藤さんは「技術の意味づけ」をこう指摘しています。

(p228より引用) さらに、技術の問題は根深い。世間を見渡せば、新技術の発明が、想像もしなかった素晴らしい未来を作り出すかのように、まことしやかに囁かれている。・・・
 だが、エコ近代主義のジオエンジニアリングやNETといった一見すると華々しく見える技術が約束するのは、私たちが今までどおり化石燃料を燃やす生活を続ける未来である。こうした夢の技術の華々しさは、まさにその今までどおり (status quo) の継続こそが不合理だという真の問題を隠蔽してしまう。ここでは、技術自体が現存システムの不合理さを隠すイデオロギーになっているのである。
 別の言い方をすれば、この危機を前にして、まったく別のライフスタイルを生み出し、脱炭素社会を作り出す可能性を、技術は抑圧し、排除してしまうのだ。

 “技術が想像力を奪う” というのは、インパクトのある指摘ですね。

 さて、現下の世界において最大の課題である「脱炭素社会」を作り出す動きは、地方自治体レベルで芽生えつつあります。
 2020年1月にバルセロナで発表された「気候非常事態宣言」は、具体的な行動計画も列挙されたマニュフェストです。そこには「経済モデルの変革」と題して、こう記されています。

(p330より引用) 既存の経済モデルは、恒常的な成長と利潤獲得のための終わりなき競争に基づくもので、自然資源の消費は増え続けていく。こうして、地球の生態学的バランスを危機に陥れているこの経済システムは、同時に、経済格差も著しく拡大させている。豊かな国の、とりわけ最富裕層による過剰な消費に、グローバルな環境危機、特に気候危機のほとんどの原因があるのは、間違いない。

 そこで、書き留めておくべき本書での大切な気づき。政治経済学者ケイト・ラワースの指摘です。

(p106より引用) ラワースによれば、仮に資源やエネルギー消費がより多く必要になるとしても、公正を実現するための追加的な負荷は、一般に想定されるよりもずっと低いという。
 例えば、食料についていえば、今の総供給カロリーを1%増やすだけで、8億5000万人の飢餓を救うことができる。現在、電力が利用できないでいる人口は13億人いるといわれているが、彼らに電力を供給しても、二酸化炭素排出量は1%増加するだけだ。そして、一日1.25ドル以下で暮らす14億人の貧困を終わらせるには、世界の所得のわずか0.2%を再分配すれば足りるというのである。・・・
 こうした議論が示唆するように、南北のあいだの激しい格差という不公正は、経済成長にしがみついて、これ以上の環境破壊をしなくとも、ある程度は是正できるのである。

 いわゆる裕福な先進国(の富裕層)がちょっと我慢すれば、多くの発展途上国の貧困層の人々の生活水準を大きく改善させることができるということです。これはとても重要な事実だと思います。

 そして、最後にもう一点。

(p107より引用) もうひとつ重要なラワースの指摘は、あるレベルを超えると、経済成長と人々の生活の向上に明確な相関関係が見られなくなるという点だ。経済成長だけが社会の繁栄をもたらすという前提は、一定の経済水準を超えると、それほどはっきりとはしないのである。・・・
 要するに、生産や分配をどのように組織し、社会的リソースをどのように配置するかで、社会の繁栄は大きく変わる。いくら経済成長しても、その成果を一部の人々が独占し、再分配を行わないなら、大勢の人々は潜在能力を実現できず、不幸になっていく。
 このことは、逆にいえば、経済成長しなくても、既存のリソースをうまく分配さえできれば、社会は今以上に繁栄できる可能性があるということでもある。

 この指摘にも希望が見えますね。

 さて、本書を読み通しての感想ですが、流石に大いに話題になった著作だけあって、斎藤さんが発した “脱成長コミュニズムを目指す” というメッセージはとても刺激的なものでした。
 あとは、「おわりに」での訴え、“3.5%” ですね。



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