考えるよろこび (江藤 淳)
(注:本稿は、2013年に初投稿したものの再録です)
最近見た新聞の「書評欄」で紹介されていたので手にとってみました。
1960年代末ごろの講演録ですからかなり前のものですね、しかしながら流石に江藤淳氏、小気味よい語り口でなかなか興味深い指摘が数多くありました。
まずは、本書の表題にもなっている「考えるよろこび」とのタイトルの講演から。
この中では、江藤氏は“ソクラテス”を取り上げて「フィロソフィア(知恵を愛する)」の姿勢の素晴らしさを語っています。
ソクラテスは、中傷から裁判にかけられ死刑判決を受けました。彼は自らの裁判も客観的にみていました。彼を陥れた人々も自分たちの正義を唱えるひとつの「党派」と考えました。そして、「党派」を超える「国家の精神」を尊重するために、ソクラテスは「国家の法」に従ったのです。
彼は、自由な精神をもち、ひとつの「党派」に拠るものにはならなかったのです。
その他に、本書で江藤氏が称えている人物としては“勝海舟”がいます。
「転換期の指導者像―勝海舟について」と「二つのナショナリズム―国家理性と民族感情」というふたつの講演の中で、海舟の普遍的・鳥瞰的思考について言及しています。
江戸末期から明治初期にかけての海舟は「国家理性」を代表する論客であり実務上の大立者でした。そして、海舟といえば、当然並び立って登場するのが西郷隆盛。彼は「民族感情」の代表者でした。
この二人を材料に興味深いテーマで語ったのが「二つのナショナリズム―国家理性と民族感情」という講演です。
この「民族感情」について、江藤氏は非常に重要で鋭い指摘をしています。
幕末から明治初期にかけては、民族意識の高揚という大きなエネルギーが様々なベクトルをもって放射され、維新において、江戸幕府に代わるひとつの「政府」の成立に至りました。
この民族感情の反発は、「佐賀の乱」に代表される廃藩置県以後の士族の叛乱であり、西郷を担いだ「征韓論」であり、「自由民権運動」といった反政府運動でした。
こういった「国家理性」と「民族感情」という“二つのナショナリズム”の存在とその交錯は、今の時代においても様々な政治シーンの背景として通底しています。しかし、いずれの“ナショナリズム”も一国の中に閉じ、その中のみでの影響力の行使に止まることは、もはやできません。
この講演は1968年に行われたものですが、氏の指摘はそれから半世紀近く経った現在においても生き続けています。
さて、最後に、本書で紹介された江藤氏の6つの講演のなかで最も印象に残ったフレーズを書き留めておきます。
「大学と近代―慶応義塾塾生のために」というタイトルの講演から“革命家”について触れたくだりです。
「革命」「創造」の本質ですね。
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