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玄奘三蔵 (前嶋 信次)

(注:本稿は、2024年に初投稿したものの再録です。)

 最近聴き始めたpodcast番組「玄奘三蔵」の解説をしていて、その人物と業績に興味を持ちました。
 「大唐西域記」にトライしようかとも思ったのですが、まずは「玄奘」その人に焦点をあてた新書レベルで様子をみようと手に取った本です。

 ともかく、“途轍もない人” ですね、玄奘という人は。
 仏法のみならず諸学を極めた卓越した知力、そしてどこまでも根源に迫ろうとする止めどない探求心、それを行動にまで導く強靭な意思。

 本書で紹介されている玄奘の数々のエピソードの中から、特に私の関心を惹いた2つのシーンを覚えとして書き留めておきます。

 まずは、玄奘が経を求めて西域へ向かう決意の場です。
 幼い頃より俊才の覚えめでたく、国内各地の高僧の元を訪れては教えを受けていた玄奘、23歳のときです。

(p9より引用) さて、ここまで来て玄奘の悩みが深くなった。佛門に入って十餘年、各地を遊歴し、到る處の大德の門をたたいて見たが、それぞれその宗派の説をたてている。一人一人離して見れば、皆、一かどのもので、深く覺りを開いているようではあるが、さてこれを聖典と照し合わせて見ると、説く所に異同がある。釋尊の本義は果してどこにあるのであろう。また自分が今もって疑問とする根本的の問題だけでも百餘條もあるのだが、誰に訊ねて見ても滿足な解答を與えてくれるものがない。
 これでは駄目だ。・・・この悩みを解決することは、もうこの國に居たのでは駄目であろう。佛教の起った地まで行って、そこの學者達に訊ねる外はない。また多数の經典が中國にもたらされてはいるが、かの地には、まだまだ 未見のものが多くあるにちがいない。
 それらを取って来て、この國に傳えたなら如何に意義が深い事か。
ことに十七地論(瑜伽師地論)のようなものは、原典を取って來さえすれば、多くの疑點は氷解することであろう。インドは遠い。途中の困難も思いやられるが、すでに前代にも法顯や智酸の如くこの大旅行を企て、その目的を貫いた人々もある。彼も人、われも人である。法を遠くに求めて人々を導くこと、彼等でもって終りとしたのではならぬ。あれらの先達のあとをつぐのが意義深い仕事だ。

 こう考えた玄奘は、国法を犯してまでも遥かインドを目指し旅立ちます。26歳、貞観元年8月のことでした。

 そして、もうひとつ。
 幾多の困難の後、インド国内各地を巡りつつ修養を積んだ玄奘は、いよいよ帰国する決心を固めます。
 ナーランダーでの師長老戒賢とのやりとりです。

(p122より引用) 人々は玄奘をつれて長老戒賢(シーラバドラ)の前に出て訴えた。「そなたが歸國を決意されたわけは」と云われ「この国は佛の生處、玄奘とて愛著しておりますが、もともとここまで参りましたのは大法を求め歸って、廣く人々の利としたいためで御座いました。幸いに御師より瑜伽師地論を教えたまわり、多くの疑網を破ることが出来ました。また聖迹を巡禮し、諸派の學の奥義をも聴いて、心ひそかに、旅の無駄でなかったことを喜んでおります。この上は故國に帰り、經典を翻譯し、有縁の徒と、この見聞を頒けあって師恩に報いたいと考えて居ります」と答えると、戒賢は老顔に喜びの色を浮べ「それこそ佛陀の思召しにかない、またわたしの望む所でもある。十分に旅仕度をなさるがよい。皆の衆もしいて引き留めないで貰いたい」と云って私室にもどって行った。

 その後、貞観19年、帰国した玄奘は、皇帝の勅許を得て持ち帰った経典の翻訳に着手し、齢63歳でこの世を去るまでこの大業に余生を捧げました。



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